罪の在り処

橘 弥久莉

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第一章:瞳に宿る影

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 「最後に、臨床心理士として当団体の情状
監査役を務めております、卜部吾都うらべあさとと申しま
す。本日は出席しておりませんが、この他に
弁護士、労働問題を扱う社労士、転居の支援
にあたる不動産経営者が当団体に就任してお
ります。相談に対する助言だけでなく、さま
ざまな角度からの支援を行っておりますので、
どんなことでも安心してご相談ください。
では、代表理事の貴船よりご挨拶させていた
だきます」

 カタ、と椅子を鳴らし理事長が立ち上がる。

 「えー、ただいま、ご紹介に預かりました、
代表理事を務める貴船と申します。当団体は
設立から今年で十年を迎えますが……」

 締めの挨拶を理事長に任せて席につくと、
僕は人知れずテーブルの下で拳を握り締める。

 SBUの設立に至った経緯や理念、孤立無援
な状況に追いやられがちな加害者家族を支え
続けることの意味を理事長が語り終えると、
やがて『心のよりどころ』は散会となった。

 会が終わり、参加者たちが帰ってゆく。
 すると、互いのプライバシーを守るように、
言葉を交わすこともなく去ってゆく参加者た
ちの中に、僕を向き会釈をする女性の姿があ
った。

――藤治佐奈だ。

 化粧気のない、長い黒髪に覆われた顔は、
控え目ながらもひとつひとつのパーツが整っ
ていて、美しい。こんな場でなければ、否、
加害者家族という罪を背負っていなければ、
彼女は花の咲くような笑みを僕に向けてく
れたのかも知れなかった。

 けれど、彼女は笑みを浮かべない。
 やや、緊張した面持ちのまま顔を上げる
と、彼女は静かに部屋を出て行った。

 「失礼」

 僕はその後を追うように、部屋を出る。
 そうして白い壁に覆われた廊下を歩いてゆ
く華奢な背中を見つけると、さきほど彼女が
口にした言葉を反芻した。

 「……この世に存在する、意味がない」

 かつて、同じ言葉を口にした親友がいた。
 その言葉を口にした親友は、僕の目の前で
短い生涯を終えてしまったのだ。不意に、目
の前で命を絶った親友の顔が、脳裏に蘇って
しまう。と同時に、右手の指の隙間にあるは
ずのない感触が感じられ、バクバクと鼓動が
早鐘を打ち鳴らし始めた。

 僕は小刻みに震え出してしまった右手を握
り締め、額に脂汗を滲ませながら化粧室へと
駆け込む。そして、よろめきながら洗面台に
辿り着くと、蛇口の下に手を差し出した。

 センサーが僕の手を感知し、勢いよく水が
流れ始める。ザーザーと冷たい水が手を濡ら
し、しぶきがシャツの袖を濡らした。その水
で指の隙間にある感触を洗い流すように、液
体のハンドソープで手を洗う。僅かにぬめり
ながら粟立ったそれを、僕は水で綺麗に洗い
流した。

 そうしてまた、ハンドソープを手の平にの
せ、泡立てる。何度も何度も、指の間に残る
あの感触を洗い流すために、僕はひたすら手
を洗い続けた。
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