恋の終わりは 【恋に焦がれて鳴く蝉よりも・番外編】

橘 弥久莉

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第一部:恋の終わりは

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 たった一年暮らしただけだが、歴史を
感じさせる煉瓦造りの建物は趣があって
素敵だったし、その古い街並みの中を走る
赤い二階建てバスも、まるでおもちゃのよ
うで可愛かった。

 道路には電柱も電線もなく、だから空は
どこまでも広い。そよぐ風に揺れる街路樹
が青々として美しいのは、空気が澄んでい
たからなのだろう。

 紫月はそんな街中を、一人で散歩するの
が好きだった。

 「私、イギリスが好きよ。日本の暮らし
も快適だけど、やっぱり、歴史や伝統を
重んじるあの美しい街並みの中で暮らした
日々は忘れられないわ。あんな素敵な国で
育ったあなたが、羨ましいと思う。
だから……」



-----私はあなたに、ついて行きたい。



 思わずそう、口にしそうになって紫月は
その言葉を飲み込んだ。

 自分はまだ、彼に気持ちを伝えていない。
 焦らなくていいと、もっと、確かな気持ち
を見つけてからでいいと、レイに言われた
からだ。けれどいま、口にできない理由は
それだけではなかった。

 こんな時になって、もう会えないはずの
その人の顔が浮かんでしまう。

 自分はレイと出会い、そしていま、新たな
幸せを掴もうとしている。



-----けれどあの人は?



 きっと今頃、父親の会社にいられなくなっ
た彼は、たった一人で足掻いているはずだ。
なのに、勝手に縁談を結び、勝手にその縁
を手放してしまった自分が、このまま何も
なかったように、彼と幸せになっていいの
だろうか?

 紫月はゆるく唇を噛むと、カップ麺を
テーブルに置いた。そうして、少し温くなっ
たコーヒーに手を伸ばす。苦いその液体で
喉を潤せば、或いは、小さな迷いが消える
ような気がした。

 不意に、その手を掴む手があった。
 レイだ。
 紫月ははっとして、彼を向いた。

 「いま、何を考えてる?」

 いつになく、低く呻くようなその声に紫月
の心臓が震える。じっと自分を見据える瞳に
は、いつの間にか見たこともない熱が渦巻い
ている。紫月はその眼差しから逃げるように
目を逸らすと、小さく首を振った。

 「別に。イギリスに……会いたい友達が
いることを、思い出していただけよ」

 咄嗟についた嘘は、途切れ途切れだった。
 その嘘を見透かしたレイの目が、すぅ、と
細められる。

 「本当にそれだけ?」

 嘘は聞きたくないとばかりに、レイが問い
詰める。紫月は一瞬迷ったが、彼を向き、
小さく頷いた。レイが僅かに目を伏せる。
 
 その表情には失意の色が滲んでいる。

 「……レイ?」

 傷つけてしまったのだろうか?

 不安になり、顔を覗き込むようにして
声を掛けると、突然、強い力が自分を
引き寄せた。
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