Diary ~あなたに会いたい~ 

橘 弥久莉

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【弓月と和臣】

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その日、

僕はいつもと同じ帰り道を、足早に歩いていた。

ちら、と見上げた空は、今にも泣きだしそうな梅雨空だ。

駅からの道筋にある、寂れた商店街に足を進める。

人影の疎らなタイル張りの通りを、オレンジ色の光が

所々明るく照らしている。その道の途中で、僕は

不意に立ち止まった。いつも立ち寄る小さな花屋の

シャッターは、硬く閉じられていて「本日休業」の

文字が、広告らしき紙の裏に乱雑に書かれていた。

湿気に濡れた風が、撫でるように前髪を揺らす。

トレンチコートのポケットに両手を入れ、もう一度

見上げた空は、少しの間、雨を落とさずに待って

いてくれそうだった。


僕は、何とはなしに、帰り道とは全く別の脇道を

歩き出した。今まで歩いたことのないその道は、

さらに人の気配を隠してシンと静まり返っている。

とても、目的の店は見つかりそうになかった。

それでも、時折、空を気にしながら、僕はその細い

道を進んでいった。


たった一人の身内である母が他界したのは、

まだ、八重桜が公園の片隅に残る、

春の終わりの事だった。

母と子、ふたりきりの家族だった。

その母とも、高校卒業と同時に家を出て以来、

年に1度、顔を合わせるだけになっていた。

ずっと、離れて暮らしていたからだろうか?

母の存在は、僕の中で希薄なものになっていた。

父ではない別の男と、母が暮らし始めたことも、

そうなってしまった原因のひとつなのだと、

今になって思う。けれど、ただ一人の母の死に、

涙を流せなかった自分を、僕はあの日からずっと

責めていた。

部屋の低い洋ダンスの上に、至極小さな仏壇を

買ったのは、つい、最近のことで……

その時から、僕は花を買うようになった。

流せなかった涙の代わりに備える花々が、

仏壇の周囲をあっという間に埋めていった。

いつしか、歩いてきた道のその先に大通りが

見えて、僕はピタリと足を止めた。


行き交う車のライトが遠目に見て取れて、さて、

と息をつく。この通りを左に曲がれば、ひとつ先の

駅へと繋がる。店は見つかるかもしれないが、

あまりにも家から遠ざかってしまって、帰りが

遅くなりそうだった。仕方なく、来た道を戻ろうと

回れ右をしようとしたその時だった。通りの向こう

の角に、淡い光を見つけた。目を凝らしてみれば、

白い建物の大きな窓ガラスの向こうに、花と沢山の

緑らしきものが見える。

良かった。ここまで歩いてきた甲斐があった、と、

胸を撫で下ろし、僕は大通りの信号を渡った。

窓ガラスから溢れる光が、柔らかに店先の歩道まで

伸びている。白を基調とした爽やかな印象のその店の

天井には、ほのかに黄色が混ざる、明るいライトが

2つ、3つ、花や緑の色彩を鮮やかに惹きたてていた。

僕は小さく息をつき、店の入り口をくぐった。

少し肌寒い店の中ほどまで進む。チリリン、と、小さな

ベルが鳴って、はい、と奥から澄んだ声が聴こえた。

思っていたよりも広い空間を埋めつくしている、

色とりどりの花を見ていた僕は、目の前に現れた

彼女の姿を見て、時を止めた。


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