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【弓月と和臣】

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「いらっしゃいませ」

鈴が鳴るようなその声に、鼓動が胸を打って、

手を握りしめる。真っ白なシャツに、

黒いエプロンが映えて、眩しかった。

「どういったお花をお探しですか?」

少し首を傾げて、彼女は柔らかな笑みを

僕に向けた。

「花を……ください」

咄嗟に口をついて出た言葉があまりに的外れな

もので、彼女が笑みを深める。

その笑みにまた鼓動が鳴って、僕は視線を

花へと移した。

「あの、仏壇に供える花を……」

もう一度、息を整えて発した声が震えたのは、

吸い込んだ空気が冷たかったからではなかった。

「仏壇のお花ですね」

と、頷く彼女に「白い花を」と付け加えた声は、

また震えていて……僕はコートの襟を掴んだ。

花を選び始めた彼女が「新しい仏様ですか?」

と、振り返って訪ねる。肩口までは届かない、

艶やかな黒髪がわずかに揺れる。

「はい」と答える僕に頷くと、一輪、また一輪、

と手に取って、器用に花を束ねていった。


長いまつ毛に縁取られた瞳が、零れるような光を

映していて、僕は彼女の横顔を静かに眺めながら、

時が流れてしまうことを、ただ惜しんだ。

「こちらで、どうですか?」

濃い緑と白のコントラストが涼しげな花束を、

すっと彼女が差し出す。

しばし彼女に見惚れていた僕は、不意にその声に

意識を引き戻され、慌てて首を縦に振った。

にこり、とまた笑って、彼女が透明のセロファンを

切り取る。黄色い光が、ゆらりと踊るそのセロファン

で花束を包み込むと、彼女は一度レジ台に置いた。

会計を済ませ、財布をカバンにしまい込んだ

僕の手に、そっと花束をのせる。

「ありがとうございました」と、レジ台越しに

彼女は僕に笑った。咄嗟に、何か言わなくては、と、

思いを巡らせた僕は、不自然なほど真剣な眼差しを

彼女に向けた。けれど、考えた末に口をついて出た

言葉は、「また来ます」という、ありふれたもので……

ただの客のひとりに過ぎない僕が、ここにいる理由は、

もはや、何もなかった。僕は名残惜しい気持ちを振り

切るように頭を下げると、ポツリと雨が落ち始めた

夜空の下に飛び出して行った。

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