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【一輪の恋】
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不意に、僕の視線に気づいた彼女がこちらを向いた。
驚いたように一度、目を見開く。けれど、すぐに、
柔らかな笑みを浮かべ、店の戸を開けてくれたので、
僕はようやく、店の入り口をくぐることが出来た。
「こんにちは」
澄んだ声が、心地よく耳に届く。僕は口元に笑みを
浮かべ、軽く頭を下げた。あんなに、彼女にかける
言葉を考えたのに、緊張で硬くなってしまった喉が、
上手く声を発してくれない。黙って、ただ店内の
花を見ている僕に、彼女の方が声をかけてくれた。
「仏壇のお花ですか?」
声に引き寄せられるように、彼女の方を向く。
エプロンの前で、両手を重ね合わせた彼女が、
僕の隣に立っていた。思っていたよりも、彼女の笑みが
近くにあったので、「はい」と答えた声が上ずってしまう。
そんな僕の様子を、まったく気に留めない素振りで
にこりと頷くと、彼女は僕の側を離れていった。
僕は、慌ててシャツのポケットに手を入れると、
小さな紙切れを取り出した。けれど少し悩んで、
またポケットにしまった。
「あの」
花を選んでいる彼女の背中に、思い切って声をかける。
「はい?」
振り返った彼女の視線が、まっすぐに僕を見て止まる。
僕は、カラカラに渇いた喉を、一度咳払いして整えると、
心を落ち着かせて言った。
「あの、白いトルコキキョウを、
一輪だけ、もらえますか?」
僕はごくりと、唾を呑んだ。彼女の笑顔が、少しだけ
ぎこちないものに変わる。ほんの一瞬、店内に静寂が流れ、
大通りを走るトラックの振動が、カタリと窓を揺らした。
「わかりました。トルコキキョウですね」
にっこりと、目を細めて言った彼女の声が、今までの
ものと同じだったので、僕はホッと胸を撫で下ろした。
一輪のトルコキキョウを手に戻った彼女が、一昨日の
夜と同じように、透明のセロファンで花を包んでくれる。
細く白い指が、小さな金色のシールをセロファンの
切れ端に貼った。
「お花、好きなんですか?」
ピッ、ピッ、とレジを打ちながら、唐突に、彼女が
そう訊ねる。どう答えようか?と曖昧な笑みを
浮かべたままの僕に、彼女が言葉を続けた。
「このお花の名前を知っている男性って、
めずらしい気がして」
にこり、と、小首を傾げて僕の目を覗き込む。
その仕草にまた、どきりと胸を打たれながら、
僕は一瞬、答えに迷った。そうして、
-----小さな嘘をついた。
「花は、好きです。そんなに沢山、
知っているわけじゃないですけど」
僕は彼女に微笑みかけた。
“あなたの為に、この花の名を覚えました”
という本心は、胸の奥にしまい込んでおく。
「そうなんですね。白のトルコキキョウには素敵な
花言葉があって、結婚式のブーケにもよく使われる
んです。1本の茎にいくつも大きな花を咲かせて
くれるから、仏様のお供えにも華やかでいいですよ」
白い花を僕の手にのせて、目を細める。
彼女の深く澄んだ瞳に、また、鼓動がひとつ鳴って、
------僕は2度目の恋に落ちた。
「花言葉か。それは、知らないな」
つい、と視線を花に移す。けれどすぐにまた顔を
上げると、僕は彼女に言った。
「明日、また来ます」
その言葉に、目の前の瞳が大きく開かれる。
何かを言おうとして、彼女の唇が薄く開いた。
「明日も、来ます」
彼女の瞳の奥に揺れる自分を意識して、
もう一度繰り返す。
-------今日は、あなたに会いに来ました。
-------明日も、あなたに会いにきます。
言葉にできない想いが、胸を焦がして苦しい。
僕は彼女の返事を待たずに頭を下げると、
くるりと背を向けて店を後にした。
驚いたように一度、目を見開く。けれど、すぐに、
柔らかな笑みを浮かべ、店の戸を開けてくれたので、
僕はようやく、店の入り口をくぐることが出来た。
「こんにちは」
澄んだ声が、心地よく耳に届く。僕は口元に笑みを
浮かべ、軽く頭を下げた。あんなに、彼女にかける
言葉を考えたのに、緊張で硬くなってしまった喉が、
上手く声を発してくれない。黙って、ただ店内の
花を見ている僕に、彼女の方が声をかけてくれた。
「仏壇のお花ですか?」
声に引き寄せられるように、彼女の方を向く。
エプロンの前で、両手を重ね合わせた彼女が、
僕の隣に立っていた。思っていたよりも、彼女の笑みが
近くにあったので、「はい」と答えた声が上ずってしまう。
そんな僕の様子を、まったく気に留めない素振りで
にこりと頷くと、彼女は僕の側を離れていった。
僕は、慌ててシャツのポケットに手を入れると、
小さな紙切れを取り出した。けれど少し悩んで、
またポケットにしまった。
「あの」
花を選んでいる彼女の背中に、思い切って声をかける。
「はい?」
振り返った彼女の視線が、まっすぐに僕を見て止まる。
僕は、カラカラに渇いた喉を、一度咳払いして整えると、
心を落ち着かせて言った。
「あの、白いトルコキキョウを、
一輪だけ、もらえますか?」
僕はごくりと、唾を呑んだ。彼女の笑顔が、少しだけ
ぎこちないものに変わる。ほんの一瞬、店内に静寂が流れ、
大通りを走るトラックの振動が、カタリと窓を揺らした。
「わかりました。トルコキキョウですね」
にっこりと、目を細めて言った彼女の声が、今までの
ものと同じだったので、僕はホッと胸を撫で下ろした。
一輪のトルコキキョウを手に戻った彼女が、一昨日の
夜と同じように、透明のセロファンで花を包んでくれる。
細く白い指が、小さな金色のシールをセロファンの
切れ端に貼った。
「お花、好きなんですか?」
ピッ、ピッ、とレジを打ちながら、唐突に、彼女が
そう訊ねる。どう答えようか?と曖昧な笑みを
浮かべたままの僕に、彼女が言葉を続けた。
「このお花の名前を知っている男性って、
めずらしい気がして」
にこり、と、小首を傾げて僕の目を覗き込む。
その仕草にまた、どきりと胸を打たれながら、
僕は一瞬、答えに迷った。そうして、
-----小さな嘘をついた。
「花は、好きです。そんなに沢山、
知っているわけじゃないですけど」
僕は彼女に微笑みかけた。
“あなたの為に、この花の名を覚えました”
という本心は、胸の奥にしまい込んでおく。
「そうなんですね。白のトルコキキョウには素敵な
花言葉があって、結婚式のブーケにもよく使われる
んです。1本の茎にいくつも大きな花を咲かせて
くれるから、仏様のお供えにも華やかでいいですよ」
白い花を僕の手にのせて、目を細める。
彼女の深く澄んだ瞳に、また、鼓動がひとつ鳴って、
------僕は2度目の恋に落ちた。
「花言葉か。それは、知らないな」
つい、と視線を花に移す。けれどすぐにまた顔を
上げると、僕は彼女に言った。
「明日、また来ます」
その言葉に、目の前の瞳が大きく開かれる。
何かを言おうとして、彼女の唇が薄く開いた。
「明日も、来ます」
彼女の瞳の奥に揺れる自分を意識して、
もう一度繰り返す。
-------今日は、あなたに会いに来ました。
-------明日も、あなたに会いにきます。
言葉にできない想いが、胸を焦がして苦しい。
僕は彼女の返事を待たずに頭を下げると、
くるりと背を向けて店を後にした。
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