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【一輪の恋】

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どうしたらいいだろう。

1秒ごとに、彼女が愛おしくなっていく。

僕は初めての恋に、ただただ、心を奪われるばかりで、

僕のすべてが弓月で満たされていくことに、

少し不安さえ感じていた。

「お待たせしました」

僕たちの前に、違う柄のカップに

淹れられた珈琲が並ぶ。

カウンター奥の壁には、色取り取りのカップが

ところ狭しと並べられていて、

店を訪れる者の目を楽しませていた。


「ご注文は以上でお揃いですか?」

先ほどの店員が、僕の顔を見て尋ねる。

「はい」

僕は弓月の手を握りしめたまま、返事をした。

クルリと、背を向けて店員が席を離れていく。

僕は淹れたての熱い珈琲をひと口飲むと、

小さく息をついた。

ああ、やはり。

珈琲は最初の一口目が一番美味しい。

香りを楽しみながら、またひと口飲む。

すると、自分の世界に浸っていた僕の左手を

グイ、と弓月が引っ張った。

「手を離してくれないと、珈琲飲めないんだけど」

僕に拘束されている右手と、僕を交互に見て

頬を膨らませる。

「ごめん」

思わず、ぷっ、と吹き出してしまったのは、

口を尖らせた弓月が可愛かったからで……

僕は握りしめていた手をそっと解放した。

ふふっ、と弓月も笑んでカップを手に取る。

ほんのり白い湯気の立つ珈琲をゆっくりと

口に運んだ。


「そろそろ出ようか」

8時に帰らなければ、という弓月の言葉を

思い出して、僕は腰を上げた。

花屋の2階が弓月の自宅なのだから、

この店はたった1分で帰宅できる距離だ。

けれど、僕たちには他に寄る場所があった。

会計を済ませ店を出ると、いつものように

近くの公園へと向かった。

人通りの少ない夜道を、手を繋いで歩く。

商店街を抜けて静かな住宅街に入ると、

すぐに小さな公園が見えた。

湿気を含むぬるい風が、アスファルトの匂いを

巻き上げている。明日は朝から雨だと、天気予報で

言っていたから、もしかしたら夜半あたりから

降り始めるのかもしれない。

そんなことを考えながら、僕は彼女の手を引いて

いつもの公園の、いつものベンチに腰掛けた。

古びたブランコと、小さな砂場があるだけの

この“いこい公園”は、今日も人影ひとつない。

たった1本の街灯も、白い光をぼんやりと放つだけで、

あまり街灯の役割を果たしていなかった。

「いつも思うけど、この公園、

何のためにあるんだろう?」

子供たちが遊ぶには狭すぎる、低い緑のフェンスに

囲まれた公園を見渡して、弓月が言った。

さあ、と僕も首を傾げる。
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