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【一輪の恋】

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「そういうところが、好きだから」

どんな顔をして、言ってくれたのか……

僕には見えなかった。だから純粋に、

弓月の顔が見てみたくて、僕は肩に手をかけて、

振り向かせた。僅かに、弓月の肩が震えた。

けれど、僕を見つめる眼差しは揺れることなく、

僕を「好き」だと言ってくれている。

僕は、ごく自然に、彼女の唇にキスを落とした。

柔らかく唇を覆って、そっと舌で唇をなぞる。

カサ、と、部屋の隅に置いたビニール袋が、

小さな音を立て、弓月の手が僕の肩を押した。


「ご飯、作らなきゃ」

僕から逃れるように、弓月が顔を背ける。

僕は、弓月の肩を掴んだまま、部屋の時計を見た。

時刻は11時を少し回ったところだ。

お昼にはまだ、早すぎる。

「まだ、お腹空いてないから。後でいいよ」

擦れた声でそう言って、弓月を抱きしめた。

弓月の躰から、力が抜ける。

たった今、部屋に来たばかりの弓月を

こんな風に欲しがるなんて……

僕は自分が思っていたよりも、

節操がない男なのかもしれない。


そんなことを思って、無意識に「ごめん」と、

呟いてしまった僕に驚いて、弓月が顔を上げた。

そして、「謝らないで」と、首を振った。

「私も、そうしたいって……思っているから」

消えてしまいそうな声でそう言って、

弓月が頬を染める。愛しさが込みあげて、

もう止まらなかった。僕は弓月を抱きしめ、

深く唇を重ねた。


カーテンを閉めきった部屋は、薄暗い。

厚い雲に覆われた空は、相変わらず大粒の雨を

落としていて、窓の桟(さん)に当たる雨音が、

静かな部屋に響いて聴こえた。

ベッドの横に脱ぎ捨てられた服に、

カーテンの隙間から射した淡い光が、

一筋の線を映している。

「弓月」

僕は腕の中にいる、彼女の名を呼んだ。

ただ、僕を見つめ返す弓月の髪を、

そっと掻き上げる。

体重をかけまいと、立てていた膝の力を抜いて

体を重ねると、ぎし、とベッドが軋んだ。

弓月の肌の感触が、直接伝わる。

初めて触れた女性の柔らかさと温もりに、

僕は、頭の奥が溶けてしまうような感覚を知った。

「弓月」

もう一度、慈しむように彼女の名を呼ぶ。

その声に応えるように、弓月が目を閉じたので、

僕は唇を重ねた。濡れた唇を割って差し込んだ

舌を、受け止めるように弓月がそれを絡める。

高鳴りすぎた胸の鼓動に息苦しさを感じながら、

唇を離し、彼女の耳に、首筋に、舌を這わせると

弓月の甘い吐息が聴こえた。

「っあ…」

初めて聞く彼女のその声に、理性が爆発する。

僕の体の中芯が、熱を持って震えた。

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