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【Diary ~あなたに会いたい~】

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一度大きく目を見開いて、父親は顔を伏せた。

暗がりの中、その顔から光に照らされた滴が、

ひとつ、またひとつと、零れ落ちる。ありがとう、

と、くぐもった声がして、僕は小さく首を振った。

顔を伏せたままの父親が、僕の手を握りしめ、

震える声で、また、ありがとう、と言った。

僕はその声に、何も答えられないまま、

ただ、緩く、父親の手を握り返した。

「はい。合格」

目の前に座るなり、マスターは俺が差し出した

履歴書も広げずに、にんまりと口髭を歪めた。

俺は思わず吹き出してしまう。

面接をして欲しいと、マスターに伝えてから、

まだ5分と経っていない。

「合格って、まだひと言も話していませんけど。

 せめて履歴書に目を通してから、合否を決めた

 方がいいんじゃないですか?」

一応、雇い主とアルバイト志望の立場を弁えて

改まった口調で言う。すると「そう?じゃあ、一応」

と、マスターは履歴書を一見し、すぐに同じ言葉を

繰り返した。

「はい。合格」

またもや吹き出しそうになりながらも、俺は姿勢を

正して、ありがとうございます。と頭を下げる。


飲食店での勤務歴がないことなど、不安要素が全く

ないわけではなかったが、それを伝えたところで

マスターの気が変わるようには見えなかった。

「まあ、そう硬くならずに。いつものペースで

 やってくれて構わないよ。もともと、あの

 貼り紙は恭さんに来て欲しいと思って貼った

 ものだしね」

マスターが、顔の前で手をひらひらとさせながら

笑う。俺はマスターの思わぬ一言に目を丸くし、

その理由を訊いた。

「それじゃ、あのバイト募集は俺の為って

 ことですか?」

「それもあるけど、もちろん、それだけが

 理由じゃないよ。色々とタイミングが合った、

 ということかな。恭さんが店を手伝ってくれれば、

 僕はカミさんの介護に時間を割けるし、恭さんも

 この店で働きながらゆづるちゃんを待てる。まあ、

 仕事は覚えるまで大変だろうけど、恭さんなら大丈夫。

 僕の目に狂いはないからね。きっといいバーテン

 になると思うよ」

マスターが結婚しているという事実に内心驚きつつ、

俺は眉を顰めてマスターの顔を覗く。

マスターは相変わらず、にんまりと笑っている。

「介護が必要な奥さんがいる、っていうのは初耳です」

「うん。いま初めて話したからね。しばらく前から

 若年性認知症、っていうのを患ってるんだけど、

 施設に入れなきゃならないほど症状が進んでいる

 わけでもないんだ。家族は僕しかいないし、僕が

 何とかできるうちは、看てやりたいんだよね。

 だから、仕込みや開店準備なんかを、恭さんに

 任せられるだけでも、僕は助かるんだ」

マスターが口髭を指で撫でながら、目を伏せる。

病気の進行は緩やかだが、できれば時間が許す限り

側にいてやりたい、ということだろう。今まで知ることの

なかった家庭人としてのマスターの一面に、どこか

親近感を感じながら、俺は是非力になりますよ、と笑んだ。


------それがひと月前の話だ。


思った以上に、黒のカマーベストに蝶ネクタイという

バーテンスタイルが似合ってはいるものの、覚える仕事は

膨大で、あまりマスターの役に立っているとは言えない。
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