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最終章:恋に焦がれて鳴く蝉よりも
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書店に併設されているカフェは、採光の良い、落ち着いた空間
だった。休日とあって、店内の座席は半分ほど埋まっているが、
多くの客が静かに読書を楽しんでいるので、騒がしいことはない。
蛍里は入り口でオーダーを済ませると、コーヒーを手に窓際の席
についた。ここは大きなガラス窓に背を向け、陽の光も借りながら
読書を楽しめるお気に入りの場所だ。蛍里はいつものように、
けれど、緊張に強く鼓動を鳴らしながら、本を開いた。
そこには、やわらかで繊細な文章が綴られていた。
-----その店を訪れるのは、初めてのことだった。
以前からそこにあることだけは知っていたものの、本を買う
という目的さえ果たしてしまえば、その場所に留まる理由はなく、
僕はいつもその店の前を通り過ぎていた。
けれど、その日はあまりにも日差しが優しかった。
一面、ガラス張りの店内には柔らかな陽が射し込み、
至るところに白い光が溢れている。天井にまで届きそうな植物も、
その陽を浴びながら店内に鮮やかな色彩を映し出していた。
まるで、時を止めてしまったかのような空間が、そこにあった。
僕は無意識のうちに店の入り口をくぐり、その場所へと導かれ
ていった。窓際の席につき、本を広げる。傍らには、淹れたての
コーヒーがある。その香ばしい香りに、僕は肩の力を抜いた。
こんなゆったりとした休日は、久しぶりだった。その頃の僕は、
慣れない役職に就いたばかりで、休日という概念すら失って
いたからだ。やらなければならない仕事も、学ばなければなら
ないことも、山ほどあった。なぜ、一日は24時間しかないのか?
そんな答えなど存在しない疑問が、頭を過らない日はなかった。
程なくして、僕は隣に女性が座っていることに気付いた。
僕と肩を並べ、ガラス窓を背に本を読んでいる、小柄な女性。
まだ、学生だろうか?ページをめくるたびにころころと変わる表情が、
無垢な少女のようで愛らしい。僕は、本を読むその手を止めるたびに、
コーヒーを口にするたびに、何げなく彼女の横顔を覗き見た。
どれくらい時間が過ぎた頃だろう。
本を手に取ろうとした僕の手は、うっかり紙コップを倒してしまった。
半分ほど残っていた液体が、テーブルに置かれていた本や携帯を
濡らしてしまう。僕は慌てて鞄からハンカチを取り出そうとした。
その時だった。すっ、と白い手が伸びてきて、携帯を濡らしていた
琥珀色の液体をそっと拭った。驚いて手の主を見上げれば、先ほど
まで本を読んでいた女性が、隣に立っている。僕は目を見開き、
そうして彼女に言った。
だった。休日とあって、店内の座席は半分ほど埋まっているが、
多くの客が静かに読書を楽しんでいるので、騒がしいことはない。
蛍里は入り口でオーダーを済ませると、コーヒーを手に窓際の席
についた。ここは大きなガラス窓に背を向け、陽の光も借りながら
読書を楽しめるお気に入りの場所だ。蛍里はいつものように、
けれど、緊張に強く鼓動を鳴らしながら、本を開いた。
そこには、やわらかで繊細な文章が綴られていた。
-----その店を訪れるのは、初めてのことだった。
以前からそこにあることだけは知っていたものの、本を買う
という目的さえ果たしてしまえば、その場所に留まる理由はなく、
僕はいつもその店の前を通り過ぎていた。
けれど、その日はあまりにも日差しが優しかった。
一面、ガラス張りの店内には柔らかな陽が射し込み、
至るところに白い光が溢れている。天井にまで届きそうな植物も、
その陽を浴びながら店内に鮮やかな色彩を映し出していた。
まるで、時を止めてしまったかのような空間が、そこにあった。
僕は無意識のうちに店の入り口をくぐり、その場所へと導かれ
ていった。窓際の席につき、本を広げる。傍らには、淹れたての
コーヒーがある。その香ばしい香りに、僕は肩の力を抜いた。
こんなゆったりとした休日は、久しぶりだった。その頃の僕は、
慣れない役職に就いたばかりで、休日という概念すら失って
いたからだ。やらなければならない仕事も、学ばなければなら
ないことも、山ほどあった。なぜ、一日は24時間しかないのか?
そんな答えなど存在しない疑問が、頭を過らない日はなかった。
程なくして、僕は隣に女性が座っていることに気付いた。
僕と肩を並べ、ガラス窓を背に本を読んでいる、小柄な女性。
まだ、学生だろうか?ページをめくるたびにころころと変わる表情が、
無垢な少女のようで愛らしい。僕は、本を読むその手を止めるたびに、
コーヒーを口にするたびに、何げなく彼女の横顔を覗き見た。
どれくらい時間が過ぎた頃だろう。
本を手に取ろうとした僕の手は、うっかり紙コップを倒してしまった。
半分ほど残っていた液体が、テーブルに置かれていた本や携帯を
濡らしてしまう。僕は慌てて鞄からハンカチを取り出そうとした。
その時だった。すっ、と白い手が伸びてきて、携帯を濡らしていた
琥珀色の液体をそっと拭った。驚いて手の主を見上げれば、先ほど
まで本を読んでいた女性が、隣に立っている。僕は目を見開き、
そうして彼女に言った。
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