さつきの花が咲く夜に

橘 弥久莉

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第三章:准教授 妹崎 紫暢

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 「あんたのお母さんかて二十四時間泣いて
て欲しいなんて、思うとらんやろ。辛いとき
は泣いて、楽しいときは笑う。それが人間
や。あんたはもう十分苦しんどるんやから、
楽しい思うたら笑えばええんや」

 どうしてそんな瞳をして、そんなことを言
うのだろう?満留は妹崎の言葉に呆けたまま、
しばし考える。考えれば、どうしてそのこと
を知っているのだろうと、疑問が湧いた。

 満留は目を瞬きながら、彼に訊いた。

 「あの、どうして母のことを?」

 その言葉に、妹崎は「ああ」と言って親指
でデスクの向こうの窓を指す。

 その指を追って窓を見れば、母の入院する
病院が西日を浴びてきらきらと曙色に染まっ
ていた。

 「そこの窓からな、トコトコ病院へ歩いて
くあんたの姿が見えるんや」

 「それで、教務の人に私のことを訊いたん
ですか?わざわざ?」

 「まあ、ちぃとな」

 そう言って、照れたように鼻筋を擦る妹崎
に満留はどんな顔をしていいかわからなくな
る。もしかして、そのことを知っているから、
妹崎は自分を気にかけて声を掛けてくれてい
たのだろうか。どうして職員と教員の壁を越
えて妹崎が声を掛けてくれるのか。いままで
ちょっと不思議だった。

 「妹崎先生って、見掛けによらずやさしい
んですね」

 何となく、照れくさくて天邪鬼な物言いを
すると、妹崎は口をへの字にして肩を竦める。

 「アホ。見掛けによらずは余計や」

 にゅっ、と手を伸ばして頭に大きな掌を載
せてきたので、満留は大人に窘められた子供
のように身体を硬くして俯いてしまった。

 そうして、古びたパンプスの先を見やりな
がら、ふと思い出す。

 さっき、四時限目の始まりを告げるチャイ
ムが鳴った気がしたが……先生は大丈夫なの
だろうか?

 その疑問を恐る恐る口にすれば、妹崎はピ
タリと表情を止めて壁掛けの時計を見やった。


――そうして、絶望した。


 「あかん。大遅刻や」

 乾いた声でそう言ったかと思うと、妹崎は
デスクの上の本をひったくるように手にして
走り出した。が、その直後に床に散らばって
いた紙を踏んづけて、ずざざっ、と派手に
すっ転ぶ。

 「あだっ!!」

 「先生っ!?」

 まるで、質の悪いコントを見ているようだ
った。痛みに顔を歪める妹崎に満留が声を上
げると、妹崎は右わき腹を擦りながら立ち上
がって言った。

 「すまん。書類は明日や!」

 そう言い残して部屋を出ていってしまった
妹崎に、「またですか?」と呟いた満留の声
は届かなかった。
 
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