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第六章:忍び寄るもの
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大学に勤めている父に至っては、言葉を交
わした記憶すらなく、たまに玄関を出てゆく
背中を見かける程度だった。同じ屋根の下に
暮らしていても、見知らぬ他人のようだと思
ったのは中学のころだったろうか。理学部の
教授である父の血を受け継いだからか、俺は
数学の知識に長けていたが、その成績を父が
称賛することも、否、知ることすら一度もな
かった。
祖母の愛情が足りないと思ったことはなか
った。惜しみない愛情をかけてくれる祖母は
俺にとって掛け替えのない存在で、一番の理
解者だ。けれど、それだけで心が満たされて
いたかと聞かれると、正直、頷くことは出来
ない。
姿が見えるのに、抱き締めてもらえない。
声を掛けて欲しいのに、掛けてもらえない。
そんな漠然とした寂しさは、日々、雪のよ
うに心に降り積もってゆく。
決して、両親から虐待を受けている訳では
なかったけれど、『もしかしたら愛されてない
かも知れない』という恐怖は鉛のように重く、
心の中はいつもぽっかりと穴が開いているよ
うな、そんな心地だった。
けれど一つだけ、いまも鮮明に記憶に残っ
ている出来事がある。
あれは小学二年の、冬休みに入る前だった
ろうか。給食を食べ終えた辺りから始まった
腹痛を下校時刻まで我慢した俺は、痛む腹を
抱えながら壁に沿うようにして通学路を歩い
ていた。
「満くん、大丈夫?顔真っ青だよ?だから
一緒に保健室行こうって言ったのに」
ヨロヨロと歩く俺を気遣って声を掛けてく
れたのはクラスメイトの女子で、保健委員の
子だった。俺は額に脂汗をかきながら、呻く
ように言った。
「……いい。保健室行って、早退すること
になったらっ……婆ちゃん学校に来なきゃな
んねーし」
俺が通う小学校は、高台にあった。
だから、学校に来るためには急な坂道を登
って来なければならない。寒い中、婆ちゃん
にそんな負担はかけたくなかった。
「なになに、腹痛いの?もしかしてヤバい
ヤツなんじゃん?ノロウイルスとか」
背後から声がして振り向くと同じクラスの
男子がにやにや笑っている。どちらかと言う
と、苦手なヤツだった。
「ヤバくねぇって」
「いや、ヤバいね。近くにいると移るん
じゃね?」
「移んねーよ……バーカ」
揶揄うように言って走り去って行くそいつ
のランドセルを、きっ、と睨むと、俺は坂道
を転がるように下って、なんとか自力で家に
辿り着いた。
けれど、玄関を開け、ランドセルを下ろす
とほっとする間もなく、突然、吐き気に襲わ
れる。俺は慌てて口を塞ぎ、バタバタとトイ
レへ駆け込んだ。
「……おえっ」
込み上げる吐き気で腹に力が入り、寒気が
するような激痛が走る。あまりの痛みにじわ
りと涙が滲み出た瞬間、俺は無意識のうちに
その人を呼んでいた。
「……助けて。母さん……」
ぽろりと涙が頬を伝った。
どうしてこんなときに、あの人の温かな手
を思い出してしまうのだろう?あの人がやさ
しかったことなんて、一度しかないのに――。
わした記憶すらなく、たまに玄関を出てゆく
背中を見かける程度だった。同じ屋根の下に
暮らしていても、見知らぬ他人のようだと思
ったのは中学のころだったろうか。理学部の
教授である父の血を受け継いだからか、俺は
数学の知識に長けていたが、その成績を父が
称賛することも、否、知ることすら一度もな
かった。
祖母の愛情が足りないと思ったことはなか
った。惜しみない愛情をかけてくれる祖母は
俺にとって掛け替えのない存在で、一番の理
解者だ。けれど、それだけで心が満たされて
いたかと聞かれると、正直、頷くことは出来
ない。
姿が見えるのに、抱き締めてもらえない。
声を掛けて欲しいのに、掛けてもらえない。
そんな漠然とした寂しさは、日々、雪のよ
うに心に降り積もってゆく。
決して、両親から虐待を受けている訳では
なかったけれど、『もしかしたら愛されてない
かも知れない』という恐怖は鉛のように重く、
心の中はいつもぽっかりと穴が開いているよ
うな、そんな心地だった。
けれど一つだけ、いまも鮮明に記憶に残っ
ている出来事がある。
あれは小学二年の、冬休みに入る前だった
ろうか。給食を食べ終えた辺りから始まった
腹痛を下校時刻まで我慢した俺は、痛む腹を
抱えながら壁に沿うようにして通学路を歩い
ていた。
「満くん、大丈夫?顔真っ青だよ?だから
一緒に保健室行こうって言ったのに」
ヨロヨロと歩く俺を気遣って声を掛けてく
れたのはクラスメイトの女子で、保健委員の
子だった。俺は額に脂汗をかきながら、呻く
ように言った。
「……いい。保健室行って、早退すること
になったらっ……婆ちゃん学校に来なきゃな
んねーし」
俺が通う小学校は、高台にあった。
だから、学校に来るためには急な坂道を登
って来なければならない。寒い中、婆ちゃん
にそんな負担はかけたくなかった。
「なになに、腹痛いの?もしかしてヤバい
ヤツなんじゃん?ノロウイルスとか」
背後から声がして振り向くと同じクラスの
男子がにやにや笑っている。どちらかと言う
と、苦手なヤツだった。
「ヤバくねぇって」
「いや、ヤバいね。近くにいると移るん
じゃね?」
「移んねーよ……バーカ」
揶揄うように言って走り去って行くそいつ
のランドセルを、きっ、と睨むと、俺は坂道
を転がるように下って、なんとか自力で家に
辿り着いた。
けれど、玄関を開け、ランドセルを下ろす
とほっとする間もなく、突然、吐き気に襲わ
れる。俺は慌てて口を塞ぎ、バタバタとトイ
レへ駆け込んだ。
「……おえっ」
込み上げる吐き気で腹に力が入り、寒気が
するような激痛が走る。あまりの痛みにじわ
りと涙が滲み出た瞬間、俺は無意識のうちに
その人を呼んでいた。
「……助けて。母さん……」
ぽろりと涙が頬を伝った。
どうしてこんなときに、あの人の温かな手
を思い出してしまうのだろう?あの人がやさ
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