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天狗の転生と言われて、何故か妖怪の世界を護ることになりました

一章-1

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 一章 目覚め、そして少女との再会


   1

 俺、烏森堅護は窮地に晒されていた。
 この春に高校を卒業して、製菓系の専門学校に入学したんだけど……大学や工業系の専門に行けという親とは、随分と長いこと反発していた。
 結局、小遣い無しという条件で希望の進路に進むことができたんだ。
 小遣いがないということは、交友費などを得るためにはバイトをしなくてはならない。
 俺が進学してすぐに、小さな工場でのバイトを見つけた。そこで二ヶ月ほど、夕方から働いていた――んだけど、今日出勤してみたら、なんの連絡もなしに倒産していた。


「……倒産っていうか、夜逃げだな、こりゃ」


 バイト仲間が半ば呆然とした口調で言うのを、俺は黙って聞いていた。


「先月のバイト代さ。支払いを十日待ってくれって言われたとき、少し変だなって思ったんだよな。あれ、夜逃げまでの時間稼ぎだったのかな」


「さあ……」


「さあって、以外と呑気だねぇ。たった二ヶ月でバイト先がなくなったんでしょ? 焦るとかないわけ?」


「まあ……そうっすね。でも今さら、しょうが無いでしょ、これ」


「いや、いくらなんでも呑気すぎでしょ……」


「はあ……すんません」


 謝りながら、頭の中では別のこと――明日からどうやって食いつないでいこうか、考えていた。
 小遣いがないということは、昼飯代だって出ない。学校で使う消耗品もバイト代でまかなっていた俺にとって、この夜逃げは死活問題だ。
 せめて先月の給料だけは、ちゃんと支払ってから逃げて欲しかった。


「ちょっと社員の人たちに電話をしてみる」


 バイト仲間が、スマートフォンで電話番号を呼び出した。
 応答を一緒に待つこととなった俺がふと目を逸らすと、工場の窓に映る自分自身と目が合った。
 短くカットしているけど、ほとんど手入れをしていない黒髪に、二重の目。顔の作りは平均的な日本人――くらいはあると思う。
 この前測定したBMIでは、ギリギリ標準体型だった。半袖と長袖のTシャツを重ね着した上から、無地のシャツを一枚。それにデニムとスニーカー。
 ひと言で言えば、パッとしない風体だ。
 電話は二人目で繋がったみたいで、小さな声でなにやら喋っているのが聞こえてきた。


「あ、それじゃあ、スンマセンでした。いえ、お疲れ様でした……」


 通話を切ったバイト仲間は、俺を見てオーバーに肩を竦めてみせた。


「梶さんたちも今朝、知ったばかりだってさ。多分、知ってたのは社長と経理やってた奥さんと息子だけだろうって。社長たちへの電話は、繋がらないってさ」


「まあ……でしょうね。ということは、ここにいても仕方ないっすね。あ、でも作業着とかどうします?」


 俺がリュックサックから作業着を取り出すと、バイト仲間は洋画でよく見るような、手を上に挙げて肩を竦める仕草をした。


「さあね。貰ってもいいし、捨ててもいいんじゃない? 夜逃げされたんじゃ、返す相手もいないっしょ」


「ですねぇ……。こんなん売れないでしょうしね。まあ、部屋着にでもするかな」


「部屋着に? 冗談でしょ。着る度に、夜逃げされたことを思い出しそうじゃん」


「うげ……確かに、それはイヤっすね」


 俺たちは力のない笑みを交わしながら、「じゃあ」と言って別れた。バイトもないことだし、工場の前で長居しても時間の無駄だ。


「あーしーたーから、どーするっかなぁ……」


 俺は周囲に誰もいないことを確かめてから、溜息を吐いた。
 このあとのことは、あまり記憶にない。バイト仲間と別れたあと、俺は求人誌を求めて駅へと向かっていた。


(あ、まただ――)


 俺の中に、ふと誰かに会いたい――という想いが蘇った。誰に会いたいかとか、それは分からない。忘れただけかもしれないけど、会いたいという想いだけは強く残っていた。
 なんでなんだろうな……と思うことはあるけど、もう気にならなくなっていた。
 でも、幼い頃から俺の中に『なにかが足りない』という想いは常に、そして強く存在してる。強烈な桜のイメージを伴う願望だけど今もう、その正体はわからなくなってた。
 俺はそんな思考を振り払うと、目先の問題に向き合うことにした。
 とりあえず今日は、早めに家に帰って履歴書を書かなきゃ……。ネットでの募集も増えているけど、小さい店や工場なんかじゃあ、まだまだ紙ベースでの応募も少なくない。
 あと何枚くらい、履歴書の残りがあったっけ――そんなことを考えていた俺は、下からの突風で我に返った。
 一体、どれだけ歩いたんだろう――俺がいるのは、県境にある橋の上だ。日はすっかり暮れ、後ろからは制限速度を超えて走る車の音が聞こえてきた。
 今の俺は両手で橋の柵を掴みながら、上半身を河の上へと乗り出していた。

 ……やっべ。

 俺は慌てて身体を引っ込めよう――としたけど、身体が動けなかった。とはいえ、石になったように――という感じじゃない。
 まるで自分の中にいる誰かが、勝手に俺の身体を動かしているようだった。
 橋の下には、街灯の光を反射した河の水面が見える。ここいらで、一番大きな河だ。昨日は雨が降ったし、暗いけど河の流れは早いだろうから、落ちればただでは済まない。
 動けなくなった俺の目が水面を見下ろしたとき、橋のすぐ下――河の水面ではない場所だ――で、なにかが光った。
 その光が大きくなり、目が眩むほどになってきた。
 それがなにかは、わからない。だけど、こんなに眩しい光があるなら、周囲の人も気になるんじゃ――そう考えて目だけで周囲を見回したとき、俺はこの光が水面で反射していないことに気づいた。

 ……なんだこれ。

 そう思った瞬間、耳鳴りがした。


〝加護を持つ者よ――〟


 幻聴なのか、ノイズのような声が聞こえた途端、俺の手が勝手に柵から離れた。重力に逆らえず、俺の身体が光へと落ちていった。
 意識を失う寸前、俺は金色の龍を見た気がした。

   *

 俺が気がついたとき、見たこともない和室の中にいた。
 真上に見えるのは竿縁天井で、床は畳。障子戸から日差しが差し込んでいて、右手側は壁で、他の二方は襖だ。
 天井に、蛍光灯みたいな照明器具はない。今の時代、天井に照明器具のない家なんかあるか? 
 まるで時代劇みたいだと思いつつ横を見たら、そこにいたのは――メイドさんだった。
 黒髪をアップで纏めた二〇代前半くらいの女性だ。紺色でマキシ丈……というのだろうか。足首までありそうなエプロンドレスに、頭のホワイトブリム。
 くりくりとした瞳のある顔は、愛嬌があって可愛らしい。
 どこから見てもメイドさんな彼女は、目を覚ました俺を見てにっこりと微笑んだ。


「あ、目を覚まされましたね。どこか痛いところとか、ありますか?」


「あ、いえ……痛いところは、全然。それより、ここは……どこですか?」


 俺の問いに、メイドさんは人差し指を唇に添えながら、視線を上に向けた。


「んーと、妖界というところですけど……これだけじゃよくわからないですよねぇ」


「えっと……まあ。全然」


 上半身を起こしながら、俺は頷いた。ようかい? と言われても、妖怪か溶解くらいしか思いつかない。
 布団の上で正座をした俺に、メイドさんは柔和な笑みを浮かべた。


「ですよねぇ。百聞は一見にしかずって言いますし。まずは、この屋敷の主様にご挨拶しませんか?」


「主……様? 随分と古風な言い方ですね」


「ああ、そう思いますよね。まあ、お会いになればわかりますよ。それでは、今から参りましょうか」


 促されるままに俺は立ち上がると、障子戸を開けたメイドさんと縁側に出た。
 縁側から見える庭は、砂利が敷き詰められていた。日本庭園という趣はなく、単に砂利だった場所に屋敷と板張りの壁を作ったみたいだ。
 日差しの強さから朝か――と思ったけど、空は夕暮れに近い薄いオレンジ色、日差しと思っていたものは、どう見ても月だった。
 だけど、月にしては異様に明るい。まるで、日差しのように煌々と照らしているけど、あの暖かさは微塵も感じられなかった。


「なん、ですか、ここ?」


「妖界です。その一部っていうのが正解みたいですけど。まあ、その話はあとで」


 メイドさんは縁側から、屋敷にある板張りの廊下に入った。四枚並んだ襖の前で正座をしたメイドさんは、そのまま小さく頭を下げた。


「烏森堅護様をお連れしました」


「ああ、お入り」


 襖の向こう側から、やけに威勢の良さそうな女性の声が返ってきた。
 メイドさんが「失礼します」と言って開けた襖の奥は、八畳以上はありそうな広間になっていた。広間の奥には緑色の着物姿の女性が、三枚も重ねられた畳の上に座っていた。
 第一印象は、サドッぽい姐さんといった感じだ。
 黒い髪は洗いざらしらしく、毛先がバラバラだった。美女といえなくもない容姿だったけど、目つきはきつめだ。
 サドッぽい美女は、俺を見ると凄みのある笑みを浮かべた。


「あんたが、烏森堅護かい?」


「はい……あの、どうして俺――あ、いえ、僕の名前を?」


 俺の問いかけに、美女は苦笑した。


「名前については、色々とね。しかしまあ……俺でも僕でも、あまり印象は変わりないねぇ。ああ、紹介が遅れたね。あたしは嶺花れいか。人間たちは妖怪・山女と呼ぶ」


「妖怪――へ?」


 俺がきょとん、としていると、嶺花と名乗った美女は面白そうに口元を綻ばせた。


「そんなに驚くことはないだろう? ここは人の住む人界じゃない。妖界――つまり、妖界たちの住む世界だ。ま、元々は人界にも妖はいたし、往復は出来たんだけどねぇ。人と妖のあいだで、諍いが多くなっていたからね。明治時代……だっけ? そのくらいの時期に、とある陰陽師の案で、人は人界、妖は妖界に棲み分けたのさ。とはいえ今でも、人界で妖が産まれることもある――らしい。
 そして、烏森堅護。あんたも今日から、妖の一員なんだよ」


 嶺花――さんの言葉に、俺は苦笑したい衝動を堪えた。


「ええっとぉ……俺は、人間ですよ?」


「あんたは、大天狗、天満山三万坊の生まれ変わりか、血を受け継いだ者なんだよ。アズサ――証拠を見せておやり」


「――はい」


 嶺花さんの指示で、先ほどのメイドさん――アズサさんというらしい――が、いつの間に準備したのか、御札を手に近寄って来た。
 御札を俺の胴体に張ると、アズサさんはポンっと手を叩く。すると、俺の身体から半透明の影が浮き出てきた。
 影はよく見ると、山伏のような衣装に身を纏っていた。鼻は長いというか鷲鼻のような感じ。しかし特筆すべきは、背中にある漆黒の翼だ。その姿は、嶺花さんの言うとおり、まさしく天狗そのものだった。


「これ……は」


「あんたの中にある三万坊の魂さ。ああ、記憶が乗っ取られるとか、別人格になるとか、そういうのはなさそうだから、安心おし」


 そう言われて安心できる人が、果たしているのだろうか。
 かなり不安げな顔をしていたみたいで、嶺花さんは俺を眺めながら、呵々と笑った。


「まあ、安心なんか出来ないか! 住まいなんかは用意しておく。あとでアズサに案内させるからね。わからないことがあれば、アズサか――タマ!」


「はいはい」


 嶺花さんの呼び声で、小さな影が虚空から現れた。
 赤い着物を着た、四、五歳くらいの少女だ。年の頃にしては、瞳は切れ長で美人顔な気がする。
「タマモだよだよ。よろしくしく」

 ……しくしく?

 妙なしゃべり方の少女はアズサさんの横に移動すると、俺に微笑んだ。


「まあ、仲良くやんな」


 それで話は終わりだと言わんばかりに、横になった嶺花さんは寝息を立て始めた。
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