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天狗の転生と言われて、何故か妖怪の世界を護ることになりました

一章-2

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 嶺花さんの屋敷を出た俺は、アズサさんに連れられて、屋敷の西にある町に出た。
 景色を見る限り屋敷や町のある土地は、山脈に囲まれているみたいだ。町の周囲には田畑があり、さらに北側には森が広がっていた。
 アズサさんの話では、南には大きな河もあるという。


「そんなわけで、ここは縁起がいい土地柄なんですよ」


 ということらしいけど、周囲の山の形状とか、俺にはまったく理解できなかった。
 町は獣よけらしく、肩くらいまでの塀に囲まれていた。煙突から煙が立ち上っているのが風呂屋――銭湯で、町の南端には神社があるのか、鳥居が見えた。
 舗装すらされていない道を歩いていると、時代劇でしか見ないような家々が見えてきた。
 板張りの塀に囲まれた街は、そこそこに賑わってた。反物……っていったっけ。布や着物を売っている店や、うどんや蕎麦の店、それに米屋などの商店が、街の出入り口に近い通りの両側に並んでいた。ちなみに、町の名前は『人里』というらしい。
 板と土壁の家屋と通りは、碁盤の目のように並んでいた。もう少し雑多な造りだと思っていたけど、予想以上に整然としているみたいだ。
 所々雑草が生えた道は歩く度に砂埃が舞うけど、町の人たちは気にしていないようだった。ふと道の隅を見れば、まだ夏前だというのに枯れた葉っぱが落ちている。元の世界とは違って、季節感というのも曖昧だったりするんだろうか。
 通りを往来する町人たちは、実に様々だった。
 着物姿の人間――ちょんまげはしてない――もいるけど、大半は人間以外だ。
 犬や猫の頭を持つ者なら可愛いもので、猿人のような姿をしていたり、酷いと壺が頭だったりしてる。


「あれは……妖怪?」


「ん――ああ、そうですよ。妖さんたちですね。人間も居ますけど……それは、あたしたちみたいに、人界から来た人たちの子孫みたいです」


「へえ……あ、ということは、アズサさんは俺みたいに、こっちに飛ばされたんですか?」


「そうですね。あたしも一応、生まれ変わりというか。血を引いていたというか……」


「へえ。なんの妖怪……なんですか?」


「仙女ですって」


 俺からの質問に、アズサさんはイヤな顔一つせずに答えてくれた。


「仙術っぽいのも使えますけど、一番得意なのは呪符や霊符の無限生成ですねぇ」


 呪符といえば、さっき俺の身体から天狗の魂を浮かび上がらせたっけ。あれもアズサさんの力ということみたいだ。


「アズサさんは、こっちに来たのって、どんな感じでした? 俺はなんか、身体が勝手に動いて、光に飛び込んだ――って感じなんですけど」


 俺の問いに、アズサさんはフッと目を伏せた。少しだけ悩む素振りを見せたけど、寂しげに微笑みながら口を開いた。


「似たようなものですけど……あたしって人界では、誰の一番にもなれないタイプだったんです。一番の友達でもない、一番好きな人でもない――って感じで。それでも、社会人になって、ちょっと仲良くなった男の人が出来たんです。ある日、食事に誘われて……あたしは精一杯のおしゃれをして、待ち合わせ場所に行って。
 食事が終わると、少し寂れた公園に連れて行かれたんですよ。子どもが忘れていった、金属バットが転がっているような、そんな公園に。ブランコの前で軽くキスをしてきた彼が、笑顔で言ったんです。『俺、奥さんがいるんだよね』って」


 あいたた……と、気まずそうな顔をした俺に、アズサさんは微笑みながら話を続けた。


「『正直、二人目のセフレとしてだったら、胸も大きいし、全然オッケーなんだけど。これからホテルで一回やってかない? 絶対に気に入ると思うから』なんて言われて。あたしは頭の中が真っ白になって、同時に絶望感とか怒りとか、そんなの沸いてきちゃって。つい、落ちていた金属バットを拾って――」


「頭を殴った、とか?」


 俺の言葉に、アズサさんは苦笑しながら左右に首を振った。


「まさか。殺そうとまでは思いませんでしたし。ええっと、その……金属バットのフルスイングを、股間に一撃」


 最後のひと言を聞いた瞬間、俺の下腹部がギュンとなったけど、アズサさんは気づく様子はない。自業自得とはいえ……この一撃は、男性として致命的だったんじゃなかろうか。
 血の気の引いた俺の前で、昔の感情が蘇ったらしいアズサさんは、拳を握り締めた。


「こんな、女性を何人抱いたかが武勇伝なんかになる世界、おさらばしてやるって思っちゃって。そんな気持ちで街中を歩いていたら、知らない間に森の中にいたんです。どうやら、ショックや怒りで目覚めちゃった仙力が、あたしを妖界へと誘ったみたいで。
 ここで嶺花さんに救われて……昔から少し憧れてたこともあって、いっそメイドでもやろうかと」


「……ああ。それで、その格好なんですね」


 なんで、こんなところにメイドが――って思っていたけど、これで謎が解けた。要するに、趣味ってことなんだ。


「それで、俺の住まいはここにあるんですか?」


「いえ。きっとお屋敷の離れになると思います。ここには、必要なものを買いに。着替えとか……あの」


 アズサさんは不思議そうな顔で、俺の顔を眺めた。


「なんか、すごく落ち着いてませんか? 呑気というか、普通はこう……もっと喚いたり、文句を言ったり、落ち込んだりするんですけど」


「だってこれ……今さら、どうしようもないんでしょ?」


「それは、そうなんですけど……なんか人生。冷めちゃってます?」


「よく言われます、それ」


 俺が苦笑いで返すと、アズサさんは「まあ」と顔を綻ばせた。


「さて、それでは必要なものを買うとしましょう。呉服屋に小間物屋――どこから行きましょうか?」


「そうですね。先ず必要なものといえば……小麦粉、できれば薄力粉がいいんですけど。あと砂糖に塩、卵、牛乳、バニラエッセンスとか、季節の果物とかあれば、そのあたりも」


 俺が指折り数えながら言った内容に、アズサさんは目を瞬かせた。


「ええっと……御菓子でも作るんですか? もしかして人界では今、スイーツ男子とか流行ってたりします?」


 どこか戸惑っているアズサさんに、俺はのんびりと答えた。


「だって町に店があるってことは、生活のためには金銭がいるんですよね? だとしたら、稼ぐ手段を考えないといけないかな……って」


「あらぁ……若いのに、なんて堅実な。でも、他の人はそうでしょうけど……烏森さんは大丈夫だと思いますよ? なにせ、天狗の転生ですからね。他の仕事を任せられると思います。あたしみたいに。
 まあ、そのあたりは、あとにしましょう。まずは……着替えと身の回りの品ですね」


 アズサさんは俺を案内しながら、近くの小間物屋――雑貨屋みたいなものだ――から店を巡り始めた。
 店に入るなり、店主の禿げた爺さんが声をかけてきた。


「お、嶺花さんとこの。今日はなにかね?」


「あ、こんにちは。今日は、こちらのかたの日用品を買いにきました」


「へぇ? 妙な格好だが……もしかして、また人界から?」


「ええ。新人さんですよ」


 アズサさんの言葉に続いて、俺は店主に頭を下げた。


「烏森です」


「おう、よろしくな。どうぞご贔屓に。まあ、店を廻るなら噂にはなるだろうけどな。あまり気にしないでくれ。少々柄の悪いヤツもいるが、ほとんど実害はねぇからさ」


「……ありがとうございます。そうします」


 俺は礼を言ってから、店の中を見回した。
 棚はなく、木の台の上に商品が並んでいる。商品によっては、天井から吊されているものもある。
 店にいるほかの客――猫頭とか腕のない蛇そのものの妖だ――の好奇の目に晒されながら、俺たちは買い物を続けた。
 歯ブラシがあるのは驚きだったけど。アズサさんが言うには、歯ブラシは江戸時代あたりから作られてはいたらしい。
 ただし歯磨き粉が塩っていうのが……少し不安だけど。洗剤も竹の樹液が元だっていうし……衛生的に大丈夫かなぁ?
 雑貨屋の次に反物屋――服屋かな? そこで下着、換えの服、手ぬぐいなど……最低限の品々を購入してから、俺たちは屋敷へ戻ることにした。


「初めての土地で、気疲れしました?」


「あ、いや……少し」


 俺は素直に頷いた。元々、あまり人付き合いが上手なほうじゃないし……。
 溜息を吐きながらふと頭上を見上げると、星が瞬いているのが見えた。銅色というんだろうか。赤みのある星だった。


「へえ……妖界って、昼間でも星が出るんですね」


「え? どこにもありません……けど」


 アズサさんは空を見回してから、首を傾げた。


「いや、だって――」


 再び見上げた空に、星は浮かんでいなかった。


「あれ? おかしいな……」


「もしかしたら、妖怪の悪戯を見たかもしれませんね。気にしないほうがいいですよ」


 確かに見たのに……本当に悪戯だったのかな?
 そんな複雑な思いを胸に屋敷へと戻る途中で、少女の声が聞こえてきた。


「あ。帰ってきたきた」


 門の前にいたタマモ――ちゃんは、手を振りながら駆け寄ってきた。


「おかえりだよだよ! 離れ、用意できたってさ、さ」


「あら、早い。それでは烏森さん、御案内しますね」


 そう言ってから、アズサさんは庭を壁沿いに歩き出した。小走りに追いついた俺は、疑問に思っていたことを訊いてみた。


「ところで、今さらなんですけど。なんで、俺の名前を知ってるんです?」


「本当に、今さらですねぇ。荷物にあった定期や学生証から、確認させてもらいました。運転免許がなかったので、少し焦りましたけど」


「あ、そういえば荷物――」


 俺は持っていた荷物のことを、ようやく思い出した。慌ててポケットを弄る俺に、アズサさんはクスっと笑った。


「心配しなくても、離れに運んでありますよ」


「そうなんですか。良かった――」


 とはいえ、この世界でスマホとかキャッシュカードが使えるとは思えないから……せいぜい、作業着を着替え代わりにするくらいかなぁ?
 あとは文房具と……作業着の中に、なにかあったっけ?
 とはいえ、その辺の品々を使う機会があるかどうか、わからない。財布の中に小銭もあるけど、こっちじゃ使えないよなあ。
 荷物……あまり重要じゃないかも。なにか売れたら、生活費の足しにできるかなぁ?
 そんなことを考えているうちに、俺の住まいという小屋に辿り着いた。
 離れはパッと見、木造の小屋だった。
 屋根は瓦だったけど窓は雨戸だけで、ガラスは填まっていない。
 玄関の横開きの戸を開けると、すぐに土間だ。土間のエリアには竃と薪置き場、それに棚がある。六畳半くらいか、畳の敷いてある室内には襖が並んでいて、土間と仕切れるようになっていた。
 畳の上には布団が折りたたんであるほかは、背の低い文机と行灯があるだけ――あ、隅に俺のリュックが置いてあった。


「ほんと……時代劇みたいだ」


「やっぱり、そう思います?」


 アズサさんは微笑みながら、俺に木製の小箱を差し出した。


「これ、火口――ええっと、火を点ける道具です。竃や行灯に使って下さい」


「あ、はい……」


 俺が小箱を受け取ると、アズサさんは屋敷へと帰っていった。
 一人残って家の中を見回しながら、購入した品々を畳の上に置いた。
 化繊じゃないけど、下着やズボン、Tシャツがあったのは正直、有り難い。あとの品をどこに置こうか悩んだところで、俺は気づいた。
「食材……なんも買ってないや」
 野菜や肉はもちろん、米すらない。さらにいえば、それらを買う金銭もない。


「ど、どうしよう……」


 とりあえず、屋敷へ行ってアズサさんに相談するしかない。
 俺は家を出ると、駆け足で屋敷の玄関へと回った。急げば、屋敷に入る前に間に合うかもしれない。俺の小屋は屋敷の東側にある。玄関へは、屋敷を大きく廻る必要があった。
 庭を走っていると、タマモちゃんと喋っているアズサさんを見つけた。


「アズサさん!」


「あら、烏森さん。どうかされましたか?」


 俺はすぐに、食材や金銭のことを相談した。


「あ。ごめんなさい。食材なら、分けて差し上げますので、心配しないで下さい。水は、井戸が屋敷の裏にありますから。そこで汲んで下さいね」


「あ、はい……わかりました」


 俺がホッと胸を撫で下ろしていると、屋敷の北側で、ひらひらしたものが飛んでいるのを見た。
 長い黒髪を風になびかせ、緑、赤、桜色の順に着物を重ね着をした少女が、まっすぐに北を目指していた。
 その姿に、俺の胸中が激しく揺さぶられ――そして思い出した。
 まだ幼い頃、俺はあの――墨染のお姉ちゃんに出会って、御菓子作りを始めたんだ。
 俺は空を飛ぶ墨染お姉ちゃんを指さしながら、アズサさんに訊いた。


「あ、あれってなんですか!?」


「あれは――鬼、かもしれません」


「お、鬼?」


 俺が鸚鵡返しに訊ねると、アズサさんは僅かに表情を引き締めた。


「ええ。あの方角には、この辺りを彷徨いている鬼の住処があるんです。そこに向かったということは――あれは鬼である可能性が高いです。人を喰らう鬼も多いですから、近寄らないほうが良いですよ」


 アズサさんの言葉に、俺は少し目の前が真っ暗になった気がした。
 あの優しげな少女が、人を喰らう? 
 俺は少女が去っていった方角を振り返ると、もう点にしか見えなくなった影を目で追い続けた。
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