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第三幕 『呪禁師の策と悲恋の束縛』

一章-1

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 一章 侍と要石


   1

 障子戸から、朧気な朝日が差し込んできた。
 日差しというものがない妖界だが、太陽のような存在が空を明るくしている。それについての名称は、誰に訊いてもわからない。太陽が苦手な妖界が昼間も平気で出歩いていることから、実際には別のなにかなんだと思う。    
 なんとなく習慣から日差しとか日光とか呼んでいるけど、人里で使うと周囲から変な目で見られることも多かったりする。
 とにかく、俺は差し込んできた朝日で目が覚めた。
 着替えてから、井戸から水を汲もうと外に出た。井戸は嶺花さんの屋敷の裏にしかないから、朝一で顔を洗うだけでも、軽い労働になってしまう。
 空の水桶を持って庭を歩いていると、縁側にいた山女という妖、嶺花さんが手招きしてきた。
 今朝は蜜柑色の着物に藍色の帯をして、腰まである黒髪はボサボサで手入れをしているようには見えない。
 勝ち気そうというか、傍目にはサドっぽい容姿の美女だ。


「烏森、今日は早いじゃないか」


「おはようございます、嶺花さん。たまたま……目が覚めてしまったんですよ」


「そうかい。それじゃあ……ちょっくら、お使いを頼まれてくれないか?」


「お使いって、なにをすればいいんです?」


 質問に質問で返してしまったけど、嶺花さんはそんなことは気にするでもなく、煙管に火を入れた。


「今日の昼前までに、五聖獣の加護を得た妖たちとアズサ、タマモ、次郎坊を集めておくれ。皆に、ちょっと頼みたいことがある」


 嶺花さんの告げた『お使い』の内容に、俺はアズサさんが言っていたことを思い出していた。
 最近、噂になっているという、とある存在のことだ。


「人里に侍だか武士が出るってことですか?」


「ああ、知っていたかい。感心なことだね。そうやって、人の口から出たことに注意を払うのは、悪いことじゃない」


「アズサさんから聞いただけですけど……噂は本当っぽいんですね。あ、お使いについては、承りました」


 嶺花さんは、ここ人里の街の長ともいえる妖だ。そんな存在に対して、砕けた口調だったけど、この辺りも大雑把だ。
 その点については、とても助かっている。


 俺は「頼んだよ」という嶺花さんに会釈をしてから、先ずは水を汲みに行った。
 昼前までにさっきのメンバーを集めるのは、まあなんとかなる――と、気楽に考えていた。
 井戸まで来たとき、俺はメイド姿の女性――もちろん、アズサさんだ――に、会釈をした。


「おはようございます」


「あら、烏森さん。おはようございます。お早いですね」


「ええ、まあ……」


 と、ここで欠伸を一つ。


「そのお陰で嶺花さんに、お使いを頼まれちゃって……あ、昼前までに、嶺花さんの屋敷に集合でお願いします。この前、アズサさんが言ってた……侍っぽい何かについて、話があるみたいですよ」


「あ、やっぱり。侍のことをやるんですね」


「はい。アズサさんの言ってた通りですね。単なる誤魔化しじゃなかったんだ」


 俺が無意識に付け足したひと言で、アズサさんはギクリと身体を強ばらせた。


「な、なんのことでしょう……」


「ああ、すいません。大したことじゃ……ただ、多助さんとかが文句を言いに押しかけたとき、俺らの去り際に、そんな呟きが聞こえたので……」


 俺が話をしているあいだにもアズサさんの顔は青くなり、滝のような汗が流れ落ちていた。
 しばしの沈黙のあと、アズサさんはポンと手を打った。


「そ、そうだ! 皆さんへのお声かけ、お手伝いしますね。次郎坊さんとタマモちゃんは、あたしで声をかけておきますから。次郎坊さんの住まいとか、烏森さんは知らないでしょうから」


「あ、そういえば……」


 言われて気付くとか、間抜けな話なんだけど……これは、寝起きで頭が動いてなかったということにしておこう。
 俺が苦笑いを浮かべていると、アズサさんは指折り数えながら、言葉を続けた。


「烏森さんは、墨染さんと、多助さん、沙呼朗さんをお願いしますね。金鬼さんは、呼ばなくていいと思いますし」


「そうですね。それじゃあ、お願いします」


 アズサさんにお礼を言ってから、俺は井戸で水を汲んだ。
 墨染お姉ちゃんは勿論、多助や沙呼朗も嶺花さんの屋敷の庭に住んでいる。声をかけるのあは楽に終わりそうだ。
 俺はアズサさんに感謝しつつ、自分の住んでいる離れへと向かうことにした。

   *

 俺たちを広間に集めた嶺花さんは少し難しい顔で、重ねられた畳の上に座っていた。
 最後に、赤い着物姿の少女――タマモちゃんを連れたアズサさんが広間に入ると、嶺花さんは溜息を吐きながら顔を上げた。


「皆、よく集まってくれたね。話というのは人里で噂になっていた、侍のようなモノのことだ」


「噂になっていた、ということは――侍は消えたので御座ろうか?」


 木の葉天狗の次郎坊の問いに、嶺花さんは否定するように首を左右に振った。


「いいや。まあ、話は最後まで聞いておくれよ。侍は夜な夜な、人里に現れていたわけだが。昨晩、ついに人里の民を斬ったらしい」


「つまり、だ。噂は噂ではなく事実で、かなり物騒な相手ってことってわけだ」


 腕を組んだ多助が、ふんっと鼻を鳴らした。これは皮肉とか上から目線とか、そういうことではなくて、単に侍と戦いたいだけだ。
 ソワソワと身体を揺らす多助を手で制してから、嶺花さんは難しい顔をした。


「切っ掛けは、侍に『要石』について聞かれた腕自慢の荒くれの妖が、腕試しに突っかかっていった――ということらしい」


「要石って、なに? なに?」


 タマモちゃんの問いかけたことは、俺も思っていたことだ。
 しかし嶺花さんは、その問いに首を振った。


「さあね。凰花に調べさせてはいるが……まだ返答はない。それまでは、侍が悪党かどうかもわからん。無闇に、こちらから手を出すんじゃないよ。あんたたちに調べて欲しいのは、侍の正体の確認――それと、できればここまで連れてきて欲しい。手間をかけるが、頼んだよ」


 これで話は終わりなのか、嶺花さんはアズサさんへ小さく頷いた。
 頷き返したアズサさんは、俺たちを促すように、襖の向こう側へと手を向けた。


「侍が出るのは夜ですし、それまでは御自由にどうぞ。昼餉は別室に御用意してありますから、是非食べていって下さい」


「……墨染お姉ちゃん。食べていく?」


「そうですね。折角ですから」


 俺は墨染お姉ちゃんと頷き合うと、別室でお昼御飯を御馳走になった。食事は美味しかったけど……俺は予感めいたものが頭の奥にこびり付いてしまい、心から食事を楽しめなかった。

 侍……どんなヤツなんだろう?

 幽霊か、それとも土鬼のように妖へと変じた存在なのか――そのことが、頭の中をグルグルと回り続けていた。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

連日、酷暑が続きます。
火曜日……仕事を終えて帰宅後、疲れから、一時間ほど落ちてました。
結果、木曜日の今日にアップとなりました。夏は仕方ないですね。

以上、言い訳で御座いました。

皆様も脱水症状には、お気を付け下さいませ。外仕事をしていると、一日に3リットルの麦茶やスポーツドリンクがあっても、まったく足りません。倍寄越せ、倍。
あと、スタバのフラペチーノも頼むで……。

少しでも楽しんで頂けたら、幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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