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第三幕 『呪禁師の策と悲恋の束縛』

二章-4

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 赤翼川の畔で、多助は腕を組んで悩んでいた。
 嵐にでもならない限り、荒れることのない清流の川だ。おぼろな陽光を受けた川面には時折、川魚が顔を出したり、飛び跳ねたりしている。
 のどかと言えなくもない光景が広がっているが、まるで鋭利な矛先を突きつけられているような顔で、多助は目の前の岩を凝視していた。
 人里から南西の方角、しかも反対側の川岸にある雑草の生い茂った場所に、その岩は鎮座していた。
 雑草に覆われているから全体を視認することはできないが、表面に刻まれている文字らしき窪みは見ることができる。


「それはいいんだがよ……これ以上は近寄れそうにねぇな」


 妙な呪力が、岩を中心に半径二〇メートルほどを包み込んでいた。
 それは、ある意味で結界に近いものだ。ただし障壁というよりは、妖の類いを寄せ付けない圧力か、もしくは妖が苦手とする気配が、岩の周辺に満ちていた。


「こりゃあ……アズサか烏森、吉備凰花だったか。あの女陰陽師あたりが、適任かもしれねぇな。それに、今の状況は……こりゃあ、嶺花殿の失策かもしれねぇな」


 岩から視線を外して天を仰ぐ多助は、空から折り鶴が舞い降りてくるのを見た。
 同時に、周囲からザワッとした気配が伝わって来た。


「これは式神――か? アズサのものじゃねぇな」


 多助が両手に炎を生み出したとき、折り鶴が凰花の声で喋りだした。


〝お待ち下さい! 人里の吉備凰花です〟


「……なんでぇ、あんたか。驚かすな。それで、なんのようだ?」


 多助が炎を消すのを待って、折り鶴はスッと多助の目の前まで降りてきた。


〝黒水山で沙呼朗さんが要石を見つけたのですが、なんでも妙な呪力のせいで近寄れないとのことです〟


「ああ……それは、こっちでも確認してる」


 草むらの岩を一瞥した多助から僅かに遅れて、折り鶴はスッと位置を変えた。


〝なるほど……こちらでも確認されてましたか。それで黒水山側は、流姫殿が要石の警護をして下さるそうです。流姫殿は要石に近寄れるそうですし、嶺花さんも同調していただけました。
 そこで沙呼朗さんが、赤翼川へと向かわれています。なんとか、あなたがたで赤翼川の要石を護って下さい〟


「おおっ! 沙呼朗が来るのか。そいつは、ありがてぇ」


 顔を綻ばせた多助は、やる気をみなぎらせるかのように指の骨を鳴らした。
 今にも鼻歌でも歌いそうな雰囲気だった多助だが、まだ側で浮いている折り鶴に気付いて怪訝そうな顔をした。


「なんでぇ。まだ、なにかあるのか?」


〝いえ――その。流姫殿の御依頼がありまして……黒水山を護る代わりに、多助さんと沙呼朗さんの合流時の様子の様子を、できるだけ詳しく、そして扇情的に伝えて欲しいと言われてまして〟


「扇情的――?」


 多助は言葉の意味が掴みきれずに、腕を組みながら眉を顰めた。やがて……人里での書物のことを思い出した多助は、折り鶴を睨み付けた。


「……その依頼は、忘れて良い。普通に会った、と言っておけ」


〝ですが――〟


「言っておけ。まったく……なんて状況だって話だ」


 黒水山を護る黒龍でありながら、人里でそこそこ流行っているアズサや恋子の書籍にのめり込んでいる始末だ。
 凰花への依頼も、その好事絡みだというのは容易に想像ができる。


「まったく……ほら、さっさと消えろ。じゃねぇと、巻き込まれるぞ」


〝巻き込まれる……なににですか?〟


「なにって、あとを付けられただろ。そろそろ、仕掛けてきそうだぜ? あと、嶺花殿に伝えておけ。不用意に要石を見つけると、俺たち自身が、やつらにとっての目印になるってな」


 多助が腰から出刃包丁を抜くのを見て、折り鶴は煙のようにかき消えた。
 一人っきりになった多助は、油断泣く周囲を見回し、耳と目、鼻、肌――を総動員して〝敵〟の存在を探った。
 サササ――と、多助の左後ろ方向から、草が鳴る音がした。
 多助は腕から炎を放ち、音がした周辺の雑草を焼き払った。大火に炙られて草むらから飛び出したのは、忍のように身体の線が出る白装束だった。
 しかし頭部は人のものではなく、一つ目の鬼を思わせる異形のそれだ。


「懲りずに、また式神を送り込んできたんだろ!?」


 全身から炎を吹き上げた多助が、茂みの外に着地した白い異形へと飛びかかった。
 炎を纏った多助の突進を、白い異形は小さく左に跳んで躱した。しかし、そこへ出刃包丁を持った多助の右腕が伸びた。
 白い衣に焦げ目のある切り傷ができたのを見て、多助の顔に勝ち誇った笑みが浮かぶ。


「そら――次、行くぞっ!!」


 再び突進をしようとした多助だったが、地面から突き出た手に足を掴まれ、つんのめった姿勢で動きを止められてしまった。
 多助はまだ、炎を全身に纏ったままである。その身体を平然と掴む手の感触に、多助は小さく舌打ちをした。


(こいつ――水の化生か?)


 五行で云うところの水剋火といい、水は火に打ち勝つ。手に掴まれている箇所から身体の熱を徐々に奪われ、多助を包んでいた炎が消えていった。
 手を振り解くのに多助が手間取っているあいだに、白い異形が腰に差していた小刀を抜いた。
 応戦の構えを取りたかったが、体勢が悪すぎる。多助は舌打ちをしながら、右腕の出刃包丁を逆手に構えた。
 白い異形が小刀を振り上げた直後、突如として飛来した槍が、多助の真後ろに突き刺さった。


〝げしゃああっ!!〟


 苦悶の雄叫びをあげながら、土の中から鮒のような頭部を持つ異形が飛び出した。
 そして白い異形には、真横から飛び出した影が蹴りかかっていた。数メートルほど吹っ飛ばされた白い異形が、蛇に似た頭部を持つ妖を睨み付けた。


「や、やはり、こちらも襲われていたか」


「沙呼朗!」


 戒めの解けた多助は、口元に笑みを浮かべながら、沙呼朗の背後で魚頭に刃を向けた。


「助かったぜ」


「いや、や。気にするな。先ずは、こいつらを斃すぞ」


「応よ」


 多助の返事を合図に沙呼朗は魚頭へ、そして多助自身は白い異形へと向かっていった。

   *

 青葉山に近い山中で、権左右衛門は数枚の呪符を前に座禅を組み、一心に呪言を唱えていた。
 しかし一枚、二枚と呪符が燃えていくと、印を形作っていた両手を解き、溜息ともつかぬような息を吐いた。


「くそったれ……前回より連携が取れてきていやがる」


 妖というのは、所謂一匹狼的な性格を持つ者が多い。
 妖界に集められたあとで、集落を造り、集団生活をするようになっても、他者との協力を快く思わない妖は少なくない。
 それなのに、人里の妖――特に嶺花に従う五神の加護を持つモノ、そして彼らに関わるモノらは、少しずつ変わり始めていた。
 一匹狼から、群れなす狼へ。そして他者の排斥から、協調へと。
 この変化は、自然に促されたものではない。


(土鬼の起こした鬼たちとの騒乱。そして、前回の猿神と砂への呪い。助け、助けられ……そして頼み頼まれているうちに、独りより集団で連携をしたほうが、効率がいい。大きな障害を乗り越えてきて、そう悟ったってことか)


 権左右衛門は後頭部を掻き毟りながら、金御門と連絡を取るための人形を睨めた。


「急いでやれっていうから、その通りにやったがな。ちょいと軽率だったんじゃねぇか、金御門の旦那。もっとも妖が成長していく現状は、あんたら人界の呪術師にとっては、面白くない事態かもしれんがね」


 権左右衛門は残った呪符を懐にしまうと、口元に冷ややかな笑みを浮かべた。


「とはいえ、今は人里の手札が一枚、こちらにあるからな。精々、利用させてもらうさ。しかし、人里の陰陽師は取るに足らんと思っていたが……こうなると邪魔だな」


 傍らに置いてあった杖を手に取ると、権左右衛門は瘤状になった上端を軽く回した。するとカチリという音がして、上端が少し浮き上がる。
 その下から僅かに露出した白刃をチラリと見ると、権左右衛門は人里へ向けて歩き出した。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

仕込み杖というのは、暗器としてはそれほど古くないんですよね。江戸から明治あたりというのが通説っぽいです。ですが、江戸より明治って印象があります。
廃刀令が出たあと、地位の高い人が護身のために持ったとか、そんな文献もありますね。

設定的に、かなりギリギリな感じですが……どうかご理解のほどよろしくお願いします。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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