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第三幕 『呪禁師の策と悲恋の束縛』
二章-5
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ぼんやりとした夕日が沈んでから、一時間が経過した。
森の中にある廃寺では、本堂だった板張りの部屋に、墨染が独りで座していた。正座をした膝の上で手を重ね、目を閉じている。
眠っているというわけではない。なにかを待つように、姿勢を正したままで、静かに目を閉じていた。
そんな墨染の前には、木製の人形が壁に凭れるように置かれていた。夜空に浮かぶ月が高く昇った頃、この人形を包むように、陽炎のような影が出始めた。
その影は次第に人の形を取り始め、数十秒をかけて侍の姿となった。
「安貞様……」
正座をしてままで、墨染は深々と頭を下げた。
安貞は最初はぎこちなく立ち上がったものの、姿勢を正してからは、動作も滑らかになっていった。
「墨染……待たせてしまったな」
「いいえ。ここで座していただけですから」
静かに微笑む墨染に、安貞はどこかホッとしたような顔をした。
墨染の前で胡座をかくと、安貞は膝に手を置いて、墨染に微笑んだ。
「要石を探し出すだけではなく、破壊までしてくれたとはな」
「あの要石には、妖や怪異避けの呪言が刻まれていましたから。あちきも近寄れませんでしたが、操った蔦などの植物には影響がありませんでしたから。きっと、今の安貞様ではご苦労なさると思った次第です。余計なことをしでかしたのであれば、心から謝罪申し上げます」
「いや、墨染。余計だなんて言わねぇよ。むしろ拙者のために、そこまでしてくれたことに、感謝をしているくらいだ」
安貞は墨染の肩を抱きかけたが、木製の人形に施された呪のことを思いだし、慌てて手を引っ込めた。
「仕事のためとはいえ……この身体は難儀なものだな」
「すぐに、仕事は終えられますから。そうしたら、自由になれるのですよね?」
「ああ。そういう話だ。新しい身体を得て、おまえとも添い遂げることができる」
安貞は墨染に微笑んだあと、思案げに右手を顎に添えた。
「東の要石が失われたとなれば、次を探す必要があるな。東からだと……北か、南か。どちらがいいんだろうな」
「それでしたら、北がよろしいかと存じます。黒水山であれば、何度か登ったことがありますから、安貞様の道案内役ができると思いますし」
「ほお……いや、それは有り難い」
安貞はどこか納得をした顔をすると、すくっと立ち上がった。
顔から笑みの消えた安貞を見上げた墨染が、僅かに腰を浮かせた。
「安貞様、黒水山へ行かれるのですか?」
「いや……そういうわけじゃねぇ。あの御方に、今後のことを伝えてくる。それに、要石の情報も得られるかもしれねぇしな。墨染――すまないが、御主はここで待っていてくれねぇか。すぐに戻る」
「……はい」
墨染が深々と頭を下げると、安貞は微笑みながら頷いた。それから早足に本堂を出て、そのまま廃寺をあとにした。
安貞が向かったのは、森の奥だ。木こりたちが使う獣道もなく、月明かりさえも通さぬ鬱蒼とした森の中に、紫色の衣を着た男が佇んでいた。
「権左右衛門殿」
「安貞……首尾はどうだ?」
「はい。東の要石は、墨染が破壊してくれたそうです」
「ああ……今朝、青葉山が赤く光っていたのは見た。人里――天狗もどきと仙女が去ったあと、俺も周囲を調べてみたが、文字の刻まれた破片が転がっていた。要石を破壊したという墨染の言葉は、嘘じゃなさそうだ」
権左右衛門は言葉と真逆に、鼻に皺が寄るほどの顰めっ面をしていた。
そんな依頼人の様子に、安貞は不安げに問いかけた。
「なにか……おかしなところでもありましたか?」
「破壊された要石に関してではねぇんだが……俺には墨染が、これほど簡単に人里を裏切るとは思わなかったんでな」
「ああ……今は人里で世話になっていたと、そう仰有ってましたな」
安貞は微笑みながら、小さく手を擦り合わせた。
「小野小町姫――いや、今は墨染ですか。彼女は、拙者と恋仲です。あれは情が深い女ですから、義理よりも恋心が勝っただけだと思いますが。現に、次の要石は北が良いと、助言もしてくれました」
「ほお……まあ、そうだと良いんだがな」
フッと息を吐いた権左右衛門は、微かに首を振った。
「まあ、しばらくは警戒を怠るな。東の要石を破壊までしたんだ。おまえさんの味方であることには、間違いはないだろうさ。それに人里の長とて、簡単に元の鞘に戻せはせんだろうしな」
「ええ。拙者も同じ考えです。新たな身体を得るために、協力してくれるでしょう。烏森堅護でしたか。気の毒だが……彼を討てば、本当に身体を戴けるのでしょうな?」
「ああ、それは保証するさ。だが、一つ気をつけておけ。烏森の死体がそのまま、おまえの身体になる。なるべく、五体満足な状態で殺せよ?」
「な――っ!?」
権左右衛門が言い放った言葉に、安貞は目を剥いた。
「そ、そんな外道な――最初の話とは違いやしませんか!?」
「いや。違わねぇさ。だれも、一から身体をこしらえるとは言ってねぇ。安貞さんよ。おまえは、おまえ自身の身体を、自分で手に入れるんだよ」
「巫山戯るな! 拙者に、己の宿願のためだけに人を殺めろと申すのか!?」
「ああ、そうだ。そうだよ、安貞――いいか、俺の言葉を、よく聞くんだ」
権左右衛門は抑揚の少ない、平坦な口調で語り始めた。
「おまえは、俺だけを信じ、俺の言葉だけに従っていればいい。それが、強いては安貞――おまえ自身の幸福に繋がるんだ。肉体を得て、墨染と添い遂げたいんだろ?」
「……肉体を得て……墨染と添い遂げる……そうです」
どこか意志の感じられない目つきで、安貞は権左右衛門へと答えた。
権左右衛門は安貞の様子を注視しながら、次の言葉を口にした。
「いいかい、安貞。これは、おまえが決めたことでもあるんだ。俺の申し出を断ることもできたはず……そうだろう? しかし、おまえは嬉々として、俺の申し出を了承したんだ。なあ、安貞。嘘を言うのは、善くないことだろ?」
「仰有る、とおりです……嘘は、いけない」
「そうとも! なら、おまえがやるべきことはわかるな?」
権左右衛門の問いに、安貞は無表情のまま頷いた。
「拙者は……権左右衛門殿の仰有る通りに、烏森堅護を殺し、その身体を手に入れます」
夢遊病者のような顔の安貞の様子に、権左右衛門は満足げに頷いた。
「そうだ。それで、いい。これで、おまえの目的は魂に刻まれた。俺と別れたら、このやり取りは忘れるが、目的だけはしっかりと意識に根付く……いいな?」
「はい」
安貞が頷くと、権左右衛門は「それでは、行け」と短く命令を下した。
森の中を安貞が去って行くのを見ながら、権左右衛門は苛立たしげに肩を揺らした。
「これだから、まっすぐな性根のヤツは扱いにくいやな。人心操作の呪符を仕込んでおいて良かったが……こう何度も使うとなると、面倒だな。人里の中で呪術を使うのは、控えてぇのにな」
フッと息を吐いた瞬間、忽然と権左右衛門の姿が消えた。今しがたまで彼が居た場所には、一枚の呪符だけが落ちていたが――それは独りでに発火し始め、やがて灰になって風に舞い散ってしまった。
*
暗闇の中。
廃寺の本堂で独り、安貞の帰りを待っていた墨染の元に、鎌鼬三兄弟のハジメとナカゴが飛んできた。
二匹は墨染の前で畏まったように跪いた。
「墨染の君、只今戻りました」
「仰せつかっておりました件、すべて完了して御座います」
「……ありがとう」
憂いを帯びた顔で頷く墨染に、ハジメが躊躇いながら深々と頭を垂れた。
「僭越ながら……墨染の君にお尋ね申し上げまする。人里に戻らなくてもよろしいのでしょうか?」
ハジメの問いに、墨染は僅かに息を呑んだ。一度だけ唇を固く結んだが、やがて諦めに似た笑みを浮かべた。
「無理よ、ハジメ。あちきはもう……人里にとって裏切り者。戻ることはできないわ」
「ですが、烏森堅護殿も心配しておいででした。皆に事情を話せば、理解して頂けるやもしれませぬ」
「そうでございます。烏森殿なら、お味方になって下さるでしょう」
ハジメに続いて、ナカゴが意見を述べた。
墨染は堅護の名を耳にして、二匹に見えないよう顔を伏せた。
「いけないわ、ハジメ、ナカゴ。あちきにはもう……堅護さんに会う資格はないの。安貞様がこの世にいないことなど……理解していたのに。祝言を挙げようと言われて……断ることができなかったの」
墨染は指先で瞳を拭うと、鎌鼬の二匹へと哀しみを孕んだ顔で微笑んだ。
「おまえたちは……人里に戻りなさい。そのほうが、きっと幸せになれるわ」
「なにを仰有います! 我らが仕えるのは、墨染の君で御座います。ほかの誰にも、従うつもりは御座いませぬ」
「例え人里のモノに討たれることがあっても、決して後悔など致しませぬ」
真剣な顔で見上げてくる二匹に、墨染は深々と頭を下げた。
「……ありがとう。愚かな主で、ごめんなさいね」
「勿体ない御言葉でございます」
墨染が頭を上げたとき、シンガリが風を伴いながらやってきた。
ほかの二匹同様、畏まったように跪くと、恭しく頭を下げた。
「墨染の君――安貞様が帰って参ります」
「……そう。おまえたちは、隠れていなさい」
墨染の指示に従って、三匹は廃寺の天井に空いた穴から、外へ出て行った。
再び独りになった墨染は、姿勢を正して安貞の帰宅を待ち続けた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
金曜日に間に合った……ちょっとホッとした瞬間です。
権左右衛門の言葉が真実がどうかは、一章-5辺りを参考に……というところです。
陰陽師で反魂の呪術を使ったのは、安倍晴明あたりでしょうか。ほかの陰陽師ができたかというと、これは謎です。
少しでも楽しんで戴けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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