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第三幕 『呪禁師の策と悲恋の束縛』

四章-1

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 四章 悲恋永別


   1

 朝日が昇る少し前、権左右衛門は人里の西側にある、洞に身を潜めていた。
 洞の壁際に二枚の呪符と酒の入った徳利が置くことで、簡素な祭壇を設けてある。権左右衛門は祭壇を前にして、手に印を作っていた。
 呪符は式神を操るためのもので、式神の一体は安貞の元へ。もう一体は人里に向かわせていた。
 胡座をかいて祭文を唱え続ける権左右衛門は、チラリと視線を外に向け、近くの木の枝にある、奇妙な物体に目をやった。
 奥行き二〇センチ、一〇センチ四方の直方体で、正面には丸いガラスが填め込まれている。枝にぶら下がったその物体は左右への往復を、ただ繰り返しているだけだ。
 試しに突いてみたり石を投げてみたが、特になんの反応も示さなかった。


(式神にしては……奇妙だな。攻撃を仕掛けてくるわけでもないし、あの場所から動けないようでは、監視にも不向きだろうぜ。かといって、結界を作るための呪具でもない……)


 権左右衛門は呪禁道や陰陽道の知識を総動員したが、あの物体がなにを目的としたものなのか、見当がつかなかった。
 もう少し考えたかったが、祭文を唱えることに支障が出てきた。
 

(まあ、直接の害がなければいいか……)


 権左右衛門は、奇妙な物体を気にしないことに決めた。
 今の最優先は安貞への接触と、人里の偵察だ。人里の陰陽師である凰花は、昨日は屋敷に行ったっきり、神社へ戻らなかった。
 式神を人里に潜入させたままにしたかったが、式神を操るのも労力がかかる。勝手に動き回らせるのならいいが、操るとなると意識を式神と繋げ続ける必要がある。
 今回のように祭壇を作って祭文を唱えるならば、かなりの精度で操れるようになる。ただし術者の体力と精神力の消耗が激しいため、長時間は無理だ。
 権左右衛門は先ず、安貞の元へと向かわせた式神のほうへと意識を向けた。

   *

 廃寺から少し離れた大杉へと、安貞は早足に向かっていた。
 墨染は廃寺に残してある。〈穴〉から退いたあと、烏森堅護を殺害しようとしたことを、墨染に問われた。あくまで仕事の流れだった、彼に恨みなどない――ということで、一応は納得したようだった。


(さて……困ったぞ)


 権左右衛門からの仕事の一つは、堅護の確保だ。そして安貞も、堅護の身体を必要としていた。
 新たな肉体を得るために、堅護の身体が必要だった。
 だが墨染が堅護と知己であるのは、新たな不安要素だ。墨染は新たな肉体を許容するか否かで、そのあとのことまで影響が出そうだ。
 そして呪術で縛られた安貞の心に、新たな疑念が生まれつつあった。


(権左右衛門様は墨染が、烏森と知己だったことを知っていたのではないか?)


 その上で、安貞に堅護の始末を依頼したのなら、その目的は――。
 思考を縛る呪術が、そこから先の思考を阻害した。鈍い頭痛に顔を顰めたころ、安貞は目的の大杉に到着した。
 大杉の根元で安貞が立ち止まると、夜の闇に紛れるように、黒い着物の男が近寄って来た。普段とはまるで印象が変わっているが、権左右衛門の顔が露わになると、安貞は深々と腰を折った。


「権左右衛門様、此度はどのような御用件でしょう」


「この馬鹿が――そのくらいは、すぐに察しろ。てめぇが勝手に烏森を殺しに行ったことくらい、お見通だっ!!」


 権左右衛門を模した式神の怒声に、安貞は身を竦ませた。


「申し訳御座いません。墨染がいれば、彼奴に勝つのも容易いと思いましたので……」


「そんな勝手な考えをするんじゃねぇっ!! いいか……烏森を殺るのは、要石をすべて破壊してからだ。そうすれば墨染は、もう後戻りはできねぇ。烏森とだって、戦ってくれるさ」


「果たして、そうでしょうか……」


「ああ? なにがだよ」


 安貞に話を否定され、式神は眉を顰めた。
 そんな表情の変化に気付かぬまま、安貞は話を続けた。


「墨染は情が深い女です。人里を裏切ったからといって、知己の人間と戦えるとは思えませぬ。現に黒水山の妖は、麻痺させただけで調伏はしておりません」


「そりゃそうだろう。ヤツはまだ、心情的に裏切り切れてねぇ。だが、朱雀、白虎の加護を得た妖と戦ううちに、いずれ一線を越えるときが来る。そうなれば、少しずつ抵抗が減っていく……烏森を殺すのは、そのときだ。いや……そのときしかねぇ」


 式神の言葉を黙って聞いていた安貞だったが、しばらくは悩むような顔をしたまま、黙っていた。
 やがて式神に深々と頭を下げ、自らの心情を吐露し始めた。


「それでは……墨染が苦しむことになり申す。拙者は……あれを苦しめたくはない。楽に目的を果たすため、どうか〈穴〉の要石、そして烏森の始末から、やらせてはもらえないでしょうか」


「チッ――面倒くせぇヤツだな」


 式神は舌打ちをすると、呪符を取り出した。
 呪符を安貞に付けようと手を伸ばしかけた式神だったが、すぐに引っ込めた。溜息を吐く素振りだけして、さっさと踵を返してしまった。


「まったく、面倒くせぇ……勝手にしろ。ただし、ケツは自分で拭きな」


「……よろしいので?」


 安貞もまさか、こんなあっさりと許可されると思っていなかったらしい。きょとん、とした顔を向ける安貞に、式神は舌打ちをした。


「面倒になっただけだ。結果的に、この地にある四神の力が弱まればいいからな。ただし、自分の勝手で、ヤツを殺しに行くんだ。俺は一切、手助けをするつもりはねぇ」


「あ、ありがとうございます」


 深々と頭を下げる安貞から離れたところで、式神は呪術による束縛を解かれた。



 意識を安貞へ向かわせた式神から切り離した権左右衛門は、祭文を中断して大きく息を吐いた。


「ホントに……ああいうヤツは嫌いだぜ。虫唾が走る」


 権左右衛門が安貞の好きにさせたのは、温情や同情などではなく、嫌悪感からだ。あれ以上の説得を続けたら、きっとどこかで安貞を縛る傀儡の呪法を解いてしまっただろう。
 そうすれば、今までしていたすべてが泡沫と化す。


「まあ、いい。これで、陰陽師に集中できる」


 安貞は再び祭文を唱え始めると、人里に送っていた式神と意識を繋ぎ直した。
 人里の中は相変わらず、妖と人が気ままに往来していた。そんな町の中を歩き出したのは、紫色の着流しに身を包んだ式神だ。
 町の中を見回せば昨日までとは異なり、奇妙なものが目についた。
 権左右衛門が潜む洞の外にあるのと同じ形をした、四角い奇妙な物体が、家の軒先や屋根の上に数多く点在していた。


(なんなんだ、あれは……)


 首を振るように、左右に動く物体の無機質さが、権左右衛門には不気味に映った。これならまだ、怨霊のほうが可愛げがある――などと思っていた。
 神社の周辺は相変わらず、自警団が見張りをしていた。神社を遠巻きに眺めるように、歩いていると、柵の向こう側に社務所が見えた。半分ほど空けられた障子窓から凰花と、目を閉じて座っているアズサの姿が見えると、権左右衛門と意識の繋がった式神は、薄い笑みを浮かべた。


(こんなところから、中が見えたのか――)


 どうして、今まで気付かなかったのか。最初こそ残忍さを滲ませた笑みを浮かべた権左右衛門だったが、すぐに真顔へと戻った。


(いや、おかしい。神社は塀で囲われていたはずだ。どうしてここだけ柵に……まるで、ここから狙ってくれと言わんばかりだ。直感が告げていやがる――ここは、やべぇ。式神に持たせた呪符では、どうにもできねぇ。呪詛返しでもされたら、俺の身がもたねえ)


 権左右衛門は、式神を神社から退かせた。


(あの女陰陽師を暗殺するなら、やはり直接出向くしかねぇか……)


 祭文を唱えるのを止め、組んでいた印を解いた権左右衛門は、腰に差した小刀の柄に手を添えた。
 力の弱いものばかりだが、妖を封じた式神の呪符が十枚以上、それ以外の呪符も数枚ほど残っている。
 安貞を直接手伝うつもりはないが、敵の式神だけは阻害しておく必要があった。安貞と墨染では、多数の式神や堅護たちが相手では、苦戦を強いられるのは目に見えていた。


「まったく、面倒くせぇ……先祖が一緒とはいえ、金御門家の依頼なんか受けるんじゃなかったな」


 権左右衛門は洞から出ると、夜を待って人里へと向かうことにした。
 木の枝にある四角い物体が動きを止め、丸いガラスのようなものを自身に向けていることに、やる気の失せかけていた権左右衛門は、ついに気づけなかった。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

地味にアズサの悪知恵がちりばめられた回となりました。技術格差による識別難易度……これは看破できないヤツですね。
こんな無機物を妖界で出して良いのか――という疑問のあるかた。回答はあとの回にて書くつもりです。

少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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