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第三幕 『呪禁師の策と悲恋の束縛』

四章-3

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   3

 夕刻になった廃寺では木製の人形を前に、墨染が無言で座していた。
 屋根の隙間から差し込む日の光が消えると、人形に安貞の霊が宿った。


「安貞様……」


「墨染、待たせたな。この身体は不便でならねぇ」


「……いえ。それより、昨晩の返答をまだ聞かせて頂いておりません。なぜ、堅護さんを殺そうとしたのです?」


 墨染の問いに、安貞は困った顔をした。
 安貞は、堅護が墨染の知己だと知らなかった。ただ墨染には、それ以上の感情を抱いているように思えたからだ。
 堅護も墨染に対し、恋慕を抱いているのは明白だ。
 安貞はどう答えるか悩んだが、呪で縛られた思考は、墨染を納得させるのではなく、単にこの場をやり過ごすための言葉を選んだ。


「なに……要石を捜す障害だっただけだ。彼に……対する殺意があるわけではない」


「……本当ですか?」


「ああ、本当だとも。要石さえ破壊できれば、彼に用はない。邪魔をするなら、戦う必要はあるが……な。とりあえず、黄龍の要石に行くとしよう。あとは、状況次第だ」


 安貞は笑みを浮かべると、墨染を外へと促しながら、自らも歩き出した。
 その表情はどこか能面を思わせる、感情の浮かんでいない笑みだった。

   *

 ――時刻は、アズサと権左右衛門の一戦から、少し遡る。


 鬼の住処にある〈穴〉の周辺が、わずかに暗くなってきた。
 ここのところ、鬼たちの住処近くで過ごしているから、これで夕方になったことがわかる。このあたりの森には、夕日が入り込みにくいらしい。周囲が橙色に染まる前に、うっすらとした夜の帳が降り始めてしまう。
 鬼たちが用意してくれた、ゴザの上に座っていた俺の元に、三さんと四さんが来たのは、そんなころだった。


「烏森殿、アズサ様より書状を預かって参りました」


「ありがとう」


 俺は書状を受け取ると、仰々しく何重にも巻かれた紙を受け取った。
 確かに、これは書状っぽい。なぜなら、巻かれた紙の上面に、デカデカと『書状』と、達筆な字で書かれていたからだ。

 ……いや、この文字って必要かなぁ?

 俺は紙を広げるけど、一向に文面は出てこない。四、五〇センチは手から下に下がったころ、ようやく文字が見え始めた。


『烏森堅護さん、タマモちゃんへ。
 呪禁師接近との警報に接し、作戦を展開、これを撃退せんとす。天気晴朗なれど波高し。人里の興廃この一戦にあり。各員奮闘努力せよ。

 追伸
 山本五十六と秋山真之、どっちが攻めだと思います?』


 ……いや、最後のはしらんし。それに、こんな山間の里で『波高し』とか言われても。

 なにげに罰当たりというか。なんかノリノリなんだけど。アズサさんって、こんな人だったか――ああ、こんな人だったっけ。
 見た目に反して、この手のネタも好きなんだ。まあ、数日前には一文銭と小判をぼんやり眺めてると思ったら、『小判一文銭……ありよねぇ』などと、意味不明なことを呟いていたし。
 これはどうやら、お金で淫らなことを考えていたようだ、け、ど……理解をするのは難しい。
 俺が呆れ半分に書状を読み終えると、タマモちゃんが覗き込んできた。


「なになに? なにが書いてあったのかな? かな?」


「多分なんだけど、人里で呪禁師退治をやるから、俺たちは俺たちだけで頑張れ……ってことかな」


「なんだ、つまらないのぉ、のぉ」


 プイッと離れていったタマモちゃんは、ゴザの上にコロン、と寝転がった。
 がやがやとした話し声が、背後から聞こえてきた。振り返れば、鬼が五人……五鬼、こっちに来るのが見えた。
 先頭で細めの金棒を肩に担いでいた鬼の少女が、俺に小さく手を挙げた。


「えっと……御飯?」


「ちげーよ。それは、さっきやったろ? もうすぐ、ここを襲うヤツが来るかもしれねぇんだろ。いい加減、この辺りでゴチャゴチャとやって欲しくねぇんだよ。手伝ってやるから、さっさと終わらせろよ」


「俺たちが来れば、どんなヤツだってイチコロよ」


 そう言って、鬼たちは笑った。
 気楽に言ってくれるけど、俺の気持ちは……正直に言って重い。昨晩、安貞という侍と墨染お姉ちゃんが一緒にやってきて、要石ではなく俺と戦おうとした。
 墨染お姉ちゃんは驚いていたようだけど……いや、それが問題なんかじゃなくて。俺の中ではどちらかというと、安貞が墨染お姉ちゃんの恋人なのか――という、重苦しい感情のほうが強かった。
 会って話そう……と思っていたけど、それも辛い。
 今日は来るのか、それとも来ないのか――そんなことばかり考えていると、四さんが短く告げてきた。


「烏森殿、タマモ殿――昨日の二人が、また来ました」


 身構える三さんに僅かに遅れて、タマモちゃんが尻尾を使って飛び起きた。さらに遅れて俺が立ち上がりかけたとき、森の中から安貞と墨染お姉ちゃんがやってきた。
 安貞は俺に険しい目を向けたものの、刀の柄には手を伸ばさなかった。俺を睨めながら、俺たちへ向けて、怒鳴るような声を出した。


「我らの狙いは、要石だ――鬼や妖に用はない。邪魔立てせねば、危害は加えぬ。だが……逆らうなら、容赦せぬ」


 そこで初めて、安貞は抜刀した。墨染お姉ちゃんはそんな安貞を辛そうに見つめてから、僅かに顔を伏せた。
 俺は、そんな二人を順番に見てから、震える声で返答をした。


「悪いけど……要石を破壊するつもりなら、ここは通せない」


「そういうことだ。土鬼様が護ったこの地は、誰にも手を出させねーぞ!」


 鬼の一人が威嚇するように金棒を地面に叩き付けた。
 安貞はそんな俺たちへ冷ややかな目を向けていた。いや、正確には視線を向けていたのは、俺のみだ。
 墨染お姉ちゃんは少し顔を伏せたまま、俺のほうへと一歩進んだ。


「安貞様は要石を。あちきは……足止めを致します」


「いや、この数だ。おまえ一人で、足止めは無理だろう。手分けをして、蹴散らすしかねぇ」


 刀を正眼に構えた安貞へ、墨染お姉ちゃんの意識が一瞬だけ逸れた――その一瞬の隙を好機と捉えたのか、タマモちゃんが飛びかかった。


「墨染ぇっ!! 染ぇっ!!」


 九本のうち、七本の尻尾が墨染お姉ちゃんへと伸びた。反応が遅れた墨染お姉ちゃんは、両手と腰を尻尾に絡め取られ、身動きを封じられた。
 安貞はタマモちゃんの尻尾を切ろうとしたが、それは残り二本の尻尾が掴んでいた金棒に防がれた。


「あ――俺の金棒」


 そんな呟きが聞こえる中、他の鬼たちも安貞と墨染お姉ちゃんへと向かって行った。
 墨染お姉ちゃんは蔦を出して、鬼たちを絡め取ろうとしたみたいだけど、その手は読まれていたみたいだ。
 二体の鬼が巧みに金棒を操って、蔦を弾いていた。そして二体の鬼は大振りの鉈や斧で、動きの止まった蔦を切り落としていく。


「墨染っ!」


「安貞様は、要石へ」


「……すまん」


 安貞は墨染お姉ちゃんにひと言、謝った。そして身体の向きを変えると、三さんと四さんに護られた俺へと向かって来た。
 迎え撃つために三さんと四さんが前に出るのに合わせて、俺は神通力を練り上げた。


「神通力――ぬかるみの束縛!」


 俺が右手で地面を打ち付けると、放たれた神通力が地面を伝い、安貞の足元の地面が一瞬で泥と化した。


「うぉ――!?」


 踏み出した安貞の右脚が、足首まで地面に埋まった。
 姿勢を崩した安貞の両腕を、三さんと四さんが掴んだ。あとは気絶させるための神通力を、あいつの身体に撃ち込むだけだ。
 俺は手の平を広げた右手を、後ろに引いた。


「神通力――気絶の波動!」


 勢いよく突き出した手から、赤みがかった光球が放たれた。まっすぐに飛翔した光球は、安貞の胴体に当たった。だけど――光球は安貞の身体の表面で、弾けただけに終わった。


「うそっ!?」


「しゃらくせぇっ!!」


 安貞は片手で器用に刀を逆手に握り直すと、手首だけで右腕を掴んでいた三さんの横腹を切っ先で突き刺した。


「あ――」


 刀が横腹に突き刺さると、三さんが短い声をあげた。
 苦痛はないみたいだけど、それでもサクッという音とともに、傷口から白い紙が溢れだした。


「三!」


 四さんが声をかけるが、三さんの身体はバラバラの白い紙になって散り、蝋燭の火のように燃え始めた。


「おのれっ!」


 四さんは左手をどこか鳥の足先を連想させる、かぎ爪のある三本指のものに変化させ、安貞の左胸へと突き立てた。しかし、妖と変じた左手だけが、粉々になってしまった。


「化け物が――」


 安貞は順手に持ち直した刀で、四さんの首を撥ねた。
 バラバラの白い紙になった四さんも、すぐに炎に包まれていく。俺はそのあいだ、なにもできなかった。
 二人が式神だってことはわかっている。だけど、知った顔が無残に殺されてる様子に、頭が真っ白になっていた。


「なにもできぬか――未熟者めが」


 安貞の声で我に返った俺は、咄嗟に身構えた。


「神通力――動体視力、体術、思考能力増強」


 俺が身体能力を増した直後、安貞は斬りかかってきた。袈裟斬りからの三太刀を躱した俺は、神通力で生み出した三鈷杵を安貞の肩に突き立てた。
 でも俺の手には固い感触が返ってきただけで、前と同じく出血もなければ安貞が痛がる様子もない。

 この感触、こいつは――作り物なのか?

 驚く間もなく、安貞が刀で斬りつけてきた。俺はギリギリで躱したつもりだったけど、左腕に浅くない傷を負ってしまった。
 飛び散った鮮血が地面を濡らすのを見ながら、安貞は刀を振って刀身の血を払った。


「若いの――大人しくしろ。俺もその身体は必要でな。傷物にはしたくないんだ」


「……なにを、言っている?」


 左手の傷を手で押さえる俺に、安貞はどこか表情の失せた顔になっていた。


「俺は、その身体を使って生き返る。こんな……作り物の身体じゃなくてな」


「なん、だって……?」


 命を狙われる理由を知って愕然とした俺に、安貞は言葉を続けた。


「おまえ、墨染のことは好きか? 惚れ女のために全身全霊をなげうつのは、男の誉れだと思わねぇか? 新たな身体を手に入れたら、俺は墨染と祝言をあげる約束をしている。俺のためでなくていい――墨染のために、その命を差し出してくれ」


 安貞の言葉を、俺は最後まで聞けなかった。
 この言葉が本当なら、そして、安貞の望みを知っていたなら……墨染お姉ちゃんは、俺が死ぬことを望んでいた?
 その疑問で頭がいっぱいだった俺の前で、安貞は刀を構えた。


「そうやって大人しくしてくれれば、苦しまぬように気を失わせてやれる。あとは、あの御方が、おまえの身体に俺の魂を移してくれる。あとは、眠るように死ねるはずだ」


 安貞は俺に言い聞かせるような言葉を告げつつ、刀身の背を下にした刀を振り上げた。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

ネタとか書いているせいで、まだもや4千字オーバーです。
そのネタの部分ですが、秋山さんは当時のロシア(貴族だった気がします)の御令嬢に恋人がいたようです。戦死なされていますので、未婚ではありますが。
五十六提督もそっちの噂はございません。

念のためですが、付け加えておきます。

イギリスのネルソン提督なんかは、現地のコメディ番組でネタになってますが。ハーディ准将とのチュッチュとか。
モンティパイソンを見てると、この手のネタがどんどん入って来るわ……さすが英国。色んな意味で。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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