転生して古物商になったトトが、幻獣王の指輪と契約しました(完結)

わたなべ ゆたか

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転生して古物商になったトトが、幻獣王の指輪と契約しました

三章-4

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    4

 腕の痛みで、俺は目を覚ました。
 目を覚ました途端、全身を包み込むような鈍い痛みや痛痒さ、そして熱を持った気怠さが俺を襲った。


「う――くっ」


 痛みに顔を顰めたとき、俺の横で衣擦れの音がした。


「トラストン――目を覚ましましたのね!? 良かった……丸一日も起きなくて……わたくしは、どうしたらいいか、わからな……あ、ごめんなさい。まだ、どこが痛みますか?」


 クリス嬢の声に、俺はかなりの努力を要しながら薄目を開けた。
 最初に目に飛び込んできたのは、泣き顔だった。
 前髪が下に垂れて瞳が露わになったクリス嬢が、俺の前で涙を浮かべていた。瞳から零れた涙の滴が、俺の頬に何粒も落ちていた。
 まだ思考が混濁としていた俺は、荒い息を吐きながら彼女に訊いた。


「……なんで、泣いて、いるん……です、か?」


 俺の問いかけに、クリス嬢は一瞬だが怯えるような表情になった。唇を振るわせて、さらに今にも泣き出しそうになりながら、俺から視線を逸らした。


「わ、わたしは、あなたの首を絞めて殺そうと……なんてことをしてしまったのと――」


「ああ……」


 クリス嬢は、あのときの記憶を持ったまま洗脳が解けたようだ。
 精神を操られていた以上、クリス嬢に罪はない。俺は左手を挙げ――ようとしたが、鋭い痛みが走ってしまい、動かすことができなかった。
 俺は仕方なく、無理矢理に笑顔を浮かべて見せた。


「操ら、れていた、んで……しょう? あなたの、せいじゃ……ない、です」


「でも――」


 俺は、ほんの微かに首を振ってみせた。


「それで……あれから、どうなった、んです?」


「まず、お爺様たちに、あなたが目を覚ましたことを伝えてきますね」


 話はそれから――と、ドレスの裾を僅かに上げながら、クリス嬢は部屋から出て行った。
 ぼんやりと周囲を見た俺は、十秒以上の時間をかけて、ここが伯爵の屋敷にある客室のベッドであることに気づいた。部屋には治療の名残か、アルコール臭が強く残っていた。
 胸元に竜の指輪がないことに気づいた俺は、僅かに首を左右に向けた。


「ガラン――」


〝なんだ?〟


 ガランの声は、意外なことに横から聞こえてきた。いつもなら脳に直接語りかけてくる声が、今は明確な方向性を伴っていた。
 これも、ガランが本来の力を取り戻した影響かもしれない。俺が声のするほうへ目を向けると、折りたたまれた俺の衣服の上に竜の指輪が置かれていた。
 俺は竜の指輪を取られていないことにホッとしながら、ガランに問いかけた。


「あれ……から、どう、なったの?」


〝気を失ったトトの手当が行われた。それにトトを追い回していた二人組は、ここの長によって囚われた。それ以上のことは、我にもわからぬ〟


「……そっか」


〝それと、すまぬ。蘇った我の力が、トトに大きな負荷をかけてしまった〟


「ああ……気を失ったこと、か。いいよ。別に」


〝気を失うどころではないかもしれん。下手をすればショック死するほどの過負荷だ。封印の力は日に一回が限度、と思ったほうがいい〟


「そっか……そうだね。それが、正解かも」


 俺が目を閉じかけたとき、三人の男を伴ったクリス嬢が戻って来た。
 男の一人は、医者だ。あとは使用人のようだが、担架のようなものを持っていた。怪訝な目を向ける俺に、クリス嬢は柔らかに微笑んだ。


「怪我の様子が良好なら、お爺様のお部屋で話をするということです」


「……わかり、ました」


 俺が頷いている間にも、医者と男たちとで触診やら包帯の巻き直しなどの診察が始まった。そして問題がない――全身はまだ痛んだが――と分かるや否や、俺は有無を言わさず担架に乗せられた。
 担架に座ったまま部屋から連れ出された俺は、廊下で見知った顔の男とすれ違った。石工の職人だった気がするけど……なんでこんなところにいるんだろう。
 そんな疑問を抱いた俺を乗せたまま、担架は伯爵の部屋に到着した。部屋には伯爵のほかにクレストンとサーシャ、それにボルト隊長がいた。
 伯爵の横には、鉢植えに入った白いタンポポが置かれていた。なるほど……クレストンとサーシャは、無事に見つけてきたのか。
 ベッドで上半身だけを起こした伯爵は、俺が到着すると隊長を見た。


「それで、ボルト隊長。わたしの屋敷に大勢で押しかけて、なんのつもりかな?」


「いえ……それが、伯爵。わたくしも、なにがなんだか――まるで記憶がないのです」


 珍しく困惑を露わにして、ボルト隊長が力なく首を振った。
 伯爵は気難しい顔で溜息を吐いてから、怒気を抑えた声で告げた。


「ほお……理由もなく屋敷に押し入った挙げ句に大騒ぎをして、さらにわたしの客人に大怪我を負わせたと、そういうことかね」


「いえ、それは……その……申し訳ありません」


 ボルト隊長は俺を一瞥してから、頭を垂れた。反論どころか弁明の余地もないようだ。
 伯爵は、嫌味たっぷりに鼻を鳴らした。


「こんな体たらくでは、警備隊も長くはないかな」


「面目次第もございません」


 深々と頭を下げるボルト隊長へ、俺は言葉を途切れさせながら言った。


「操ら、れて――いた、ので。覚え――て、ないのは、仕方、ない……ですね」


「操られていた?」


「市長――に。幽霊、騒ぎの黒幕、も……」


「市長だっていうのか?」


 驚いたように立ち上がったクレストンに、俺はむせながら頷いた。横にいた使用人からゴブレットを受け取って一口だけ水を飲むと、少しだけ喉が楽になった。


「恐らく、あの執事はスパイ――ええっと、密偵みたいなもの……で、実行犯は、操られていたクリス嬢で、しょう」


 俺の発言で、皆から視線を向けられたクリス嬢は、怯えたように首を左右に振りながら一歩だけ退いた。


「あ、あのぉ……わたしは、そんな――」


「操られて、いたんですよ。あの執事が、指示を出して、いたんでしょう……ね。部屋の掃除をしながら、幽霊騒ぎを起こす仕掛けを、設置して、いたんだと」


「でもさ、最初は女の幽霊を見たって話じゃ?」


「最初の目撃者は……あの執事、ですからね。一回目の虚言で、あとの仕掛けが幽霊の仕業という信憑性を得た、わけです。半信半疑、だった者も、二度、三度と異変が起これば、幽霊の仕業と思い、始める」


 クレストンに答えた俺は周囲を見回しながら、この場にいる全員に向けて問いかけた。


「あ、の……今の、状況、は――どんな感じですか?」


 無言で回答を待っていると、部屋の縁から男の声がした。


「市長は執事とともに逃げたよ。傭兵の二人組は捕まった。あとクレストンから聞いたことだが、遺物を執事に盗られたようだね」


 以前に、酒場で会った男――マーカスが、そこにいた。


「あ……あの、なんで、ここ、に?」


「伯爵とは旧知でね。訊ねてみたら偶然、ごたごたの最中だったというわけなんだ」


「……そうなん、ですか」


「それより遺物を盗られたって話だけど……少し拙いかもしれない。こちらが得ている情報では、市長は遺物を使って魔術的な――儀式をするつもりらしい」


「魔術? このご時世に――まさか」


 クレストンが頭を振ったが、マーカスは肩を竦めた。


「トラストンが受けた傷、そして地下や庭園で竜の頭部の幻影を見た……と、君は言ってたね? そんな状況でも、絶対の自信を以て否定できるかい?」


 マーカスに言われ、クレストンは言葉を詰まらせた。どうやらガランが力を使ったときに現れるドラゴンの頭部は、普通の人間にも見えているようだ。
 何も知らずにガランの頭部を見たら、魔術だと思ってしまっても仕方ない。
 竜の指輪を握り締めた俺は、僅かに俯いた。


「ガラン……あの遺物は、どう使うの?」


 ブツブツと呟くような俺の問いに、ガランはすぐに返答してきた。
〝あの遺物を組み上げ、満月の夜に祈りの魔術を使うのだ。それで冥府との――わかりやすく言えば、門が開く。その門から肉体の――種というべき光が溢れる。それが生け贄になった動物に宿ると、祈りを捧げた魂の肉体が復活する。人間にはなんの利点もない以上、市長とやらもラーブに操られている可能性が高い〟


「……なるほど」


 俺は痛む身体を酷使しながら、床に置かれている担架から立ち上がった。ガランの言っていたこと、そしてマーカスの情報が事実なら、市長は遺物の力を使って幻獣を蘇らせてしまうだろう。
 世界は幻獣が支配し、人間なんかは彼らの餌でしかなくなる――そんな世の中になる可能性だってあるのだ。
 ゆっくり傷が癒えるのを待っている場合じゃない。


「あの……満月って、いつですか?」


「そうだな――昨晩でほぼ満月だったし。今日の夜くらいかな」


 マーカスの問いに、俺は時計を探した。
 伯爵の部屋にある柱時計の針は、午前十一時を示していた。日か沈むまで、およそ七時間くらいか。
 道具や市長の屋敷への侵入方法などの準備を考えれば、時間は全然足りない。
 俺は伯爵へと向き直った。


「市長の、家に行って――遺物を、取り戻し……ます」


「そんな身体で……無茶ですよ」


「そ、そうよ! 無茶だわ!」


 クリス嬢とサーシャが異を唱えたが、俺は静かに首を振った。


「できれば、市長の屋敷に……ついて、知ってる、ことを教えて下さい。侵入方法とか、急いで、考えない……と」


「それについては、僕も協力できる。市長の屋敷には行ったことがあるからね」


 マーカスはそう言ってから、ふと思い出したように言葉を続けた。


「ちなみに、市長が人を操るのなら……今日、中央政府の役人が市長の家で会食をするんだけど……これって拙いと思うかい?」


 拙いってもんじゃない。考えられる中でも最悪の部類だ。役人が操られた場合、どんな政治的な工作活動が行われるのか――想像するだけでも恐ろしい。
 俺は知らず、生唾を呑み込んでいた。
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