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第三章~幸せ願うは異形の像に

三章-3

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 ティアーンマがいた集落に残された俺とシスター・キャシー、それにリューンの三人は、途方に暮れる――暇すらなかった。
 なにせ、ここには腹を空かせた子どもが、十人以上もいるのだ。
 ティアーンマがいなくなったこと、そして水の大蛇を目の当たりにして、ほとんどが泣き喚いているような惨状だ。
 子どもたちを宥めるのは、ここで暮らしているリューンに任せて、俺とシスター・キャシーは昼食の準備を始めていた。

 リューンは「この時間なら、聖女様が昼食の準備を始めてたはずだ」と言うから、そんなに手間はかからないと思っていたけど……。
 まだ温かい鍋の中身を見て、俺とシスター・キャシーは困ったように顔を見合わせる羽目になった。


「……なんだろうね、これ」


「魚の骨とかあるので、白身は魚っぽいですけど……あとのぐちゃぐちゃしたのって、なんでしょうね」


 俺は木製のお玉で汁を掬って、中のものを鉄製のフォークで弄ってみた。
 そして――悲鳴をあげかけた声を詰まらせつつ、お玉から引きつった顔を遠ざけた。汁の中に、恐らくは潰し残しなんだろうけど、川虫っぽい昆虫の頭部があったからだ。

 あ……あの糞聖女は、こんなものを子どもたちに食わせていたのか! っていうか、リューンの阿呆も気づけ!!
 虫下しなんか、あるのかこの世界。絶対にヤバイだろ。

 シスター・キャシーと相談するまでもなく、鍋の中身は使用不可となった。
 とはいえ、集落で備蓄されている食料は――かなり少ない。小麦粉はなんとか使えるが、じゃがいもを始めとした野菜の数々は、大半が腐っていた。
 調味料にしたって岩塩と、香草が少ししかない。
 腐りきってない野菜をかき集めたが、結局は麦粥くらいしかできない、という結論に達した。
 俺が野菜を切り、シスター・キャシーが別の鍋で煮込む。
 出来上がるまでのあいだ、俺たちはほとんど無言だった。ティアーンマが異能――つまりは幻獣の能力を自在に操ったこと、そしてまともな人間とは違う価値観を持っていたこと――そして、クリス嬢とエイヴを人質にとったこと。
 俺とシスター・キャシーとで理由は異なるだろうが、やはり精神的なショックが大きかった。
 残っていた香草なんかも入れたのか、麦粥にしては良い匂いがしてきた。
 粥といってもこの世界、いやこの国かもしれないが、オートミールみたいなものだしな……腹の足しにはなりにくい。
 ないよりはマシだけど。
 そんなとき、リューンが不機嫌な顔で台所に入ってきた。


「おい、飯はまだかよ。あいつら、腹を空かせて――」


 あまりにも無遠慮なリューンに、さすがのシスター・キャシーも顔をピクッと引きつらせた。
 しかし、そんな彼女よりも俺のほうが動くのは早かった。
 先ほどの虫入りスープの鍋から、コップで汁を掬った俺は、それをリューンの鼻面へと突き出した。


「じゃあ、てめーはこれでも食ってろ」


「いや、まて――これ虫入り……虫の頭とか見えてるじゃねーか! わかった、言い方が悪かったって。あの……あとどのくらいで、飯は出来そう?」


「……もう少し煮込めばいいと思う。けど、こんなものしか作れないなんて……ああ、町とか、あたしの村ならなぁ……もっと美味しいものを作れるのに」


「まあ、そこは仕方ないですからね。ないよりはマシですって」


 そんな声をかけながら、俺は岩塩の残りと使ってた包丁を手に、台所の出口へと歩き出した。
 シスター・キャシーは不安げな顔で振り返ると、俺のところまで駆け寄ってきた。


「トラストン君、どこへ行くの?」


「人質になった二人を、無事に助ける算段を考えてきます。飯が出来たら、食べてて下さい」


「え……あの、危険じゃない? その……下手なことをすると……さあ」


 珍しく、シスター・キャシーが語尾を濁しかけた。心配をしてくれているんだろうけど、今はそういう場合じゃない。
 俺が「心配しないで」と言おうとした直前、リューンが戯けるように言った。


「なんだ? つまり、恋人を助けたいってだけなんだろ? 素直に像を渡せばいいじゃん、そんなのさ」


 リューンは大袈裟に肩を竦めてみせたが……こいつ、状況を理解してねーな。
 異形の像をティアーンマに渡すのは、簡単だ。だけど、それで素直に二人を帰してくれるかどうかは、別の話だ。
 こんな取り引きが成立するのなんて、元の世界でも中世期前までだろう。もちろん、この世界でだって成立したことなんか、一度だってない。


「それで数万とか死ぬ羽目になったら、どうするんだよ」


「別に関係ないじゃんか。おまえは人質さえ戻って来ればいいんじゃねーの?」


 そんなリューンの発言に、シスター・キャシーは絶句した。
 俺は絶句こそしなかったが、リューンを睨み付けていた。


「その死ぬ人間に、おまえが含まれるかもしれないけどな」


「な――なんだよ。そんなことまで、気にしなきゃいけないのか?」


「そういう代物なんだよ、あれは」


 少し大袈裟に言ってはいるのだが、まったくの嘘でもない――と、俺は想定していた。
 二人を置いて台所から出た俺は、食料貯蔵庫へと向かった。小さな小屋だが、この中に先ほどの腐った野菜が保管されている。
 腐った臭いが充満した小屋を開けた俺は、なるべく腐っている箇所の少ないジャガイモを六つほど、小屋に置いてあった革袋に入れた。
 空き家っぽい家屋に入った俺は、とりあえず中を物色した。置き捨てられた棚や椅子の状態を確認しながら、俺は包丁の背を使って釘を抜き始めた。
 数本の釘を抜いたところで、俺は首から下げた竜の指輪に触れた。


「ガラン――あいつ、どんな幻獣かわかる?」


〝ふむ――水を操り、大蛇――いや、あれは竜の姿とみるべきだ〟


「竜って……ガランと同じ?」


〝同族に間違いはない。水を操る竜――恐らくはティアマトだろう。子どもたちとの幸せ――という言葉から推測するに、太古に失われた子どもらの魂を、現世に召喚する気なのかもしれぬ〟


「まさか――その触媒が、ここの子どもたち?」


〝魂の憑依先かもしれん〟


 ガランの推測に、俺は背筋が寒くなるような気がした。
 ティアーンマが言っていた内容を照らし合わせると、ガランの推測に信憑性が増していく。自分の子どもの魂を宿すために世話をしていたとすれば、仕事を教えない理由や、殺してしまってから――と言ったことに辻褄が合う。


「……冗談じゃない。ガラン、あいつの本体は、あの女が持ってるのかな?」


〝幻獣としての存在は感じたが――その正確な場所は、掴みきれなかった。水からも魂そのものを感じた。恐らく、あの水の竜はやつの魂を宿していたのだろう。そして、ティアーンマだったか? あの人間からもティアマトの魂を感じた〟


「どういうこと?」


 それだと、魂が分裂していないと説明ができなさそう――に感じる。
 首を傾げる俺に、ガランも自信の無さそうな声で言ってきた。


〝わからぬ。もしかしたら、あの女にティアマトの魂が宿っているのかもしれぬ。そうすれば、魂の力で水を操るなど、ヤツなら容易いだろう。まあ、逆の可能性もあるが……〟


「要するに、どっちかを潰さなきゃわからないってことか。厄介だね」


 俺は答えながら、クレア嬢とエイヴの身を案じていたた。
 もし、ティアーンマ――いや、ティアマトが約束を違えた場合、あの二人に子どもの魂を憑依させる危険性が高い。
 俺は金属の留め具を椅子や棚から剥がすと、真っ直ぐに伸ばした。          釘と留め具だった金属の板。それをジャガイモに差し込むと、以前にも作ったジャガイモ電池の完成だ。
 俺はそれを四つほど作ってから、最後の一つは釘と金属の板をハの字になるよう、そして隙間の感覚は触れない程度に開けておいた。
 大体、マッチの棒くらいの隙間だ。


「まだ、反応はしてないな……」


 俺は五つのジャガイモ電池を袋に入れると、小屋のドアを閉め、内側から閂をかけた。
 今からするのは、ガランの魔術の刻み直しだ。


「ガラン、《暗視》と《反応増幅》を五つ」


〝ブレスはどうするのだ?〟


「相手は水でしょ? ブレスは相性が悪いよ。それより、本体がどっちにあるか炙り出すほうが、効率がいい」


〝さきの魔術で、それができる――と?〟


「そのつもり。ちょっと形振り構わない手段だけどね」


 それに、まだ炎は克服してないし――という言葉を呑み込んで、俺は床に座った。
 今刻んでいる《精神接続》などをすべて使い切り、新たに魔術を刻み直したときには、もう一時間以上も経っていた。
 もうシスター・キャシーは、子どもたちに昼食を食べさせ終えたころだろう。
 俺も腹が減っていたけど……残ってるかどうか、だ。あまり期待はしないほうが、いいかもしれないな……。
 俺が小屋から出たとき、広間で周囲を見回しているシスター・キャシーの姿があった。


「どうかしたんですか?」


「あ、トラストン君! 探したよ……ご飯、残してあるけど、どうする?」


「ああ、すいません。食べます」


「うん。それじゃあ、温め直して――」


 シスター・キャシーの声に被さるように、馬の嘶きが聞こえてきた。それと同時に、車輪が地面を進む音も。
 俺が集落の出入り口に目を向けると、俺たちが雇っている馬車が、だく足で進んでいるのが見えた。
 約束の時間には、まだ二時間以上もあるのに……。
 俺はシスター・キャシーを残して、馬車のほうへと駆け出した。考えられるのは、なにかアクシデントがあって報告に来たことだが、それにしては進みが遅すぎる。
 腰の投擲用ナイフに手を伸ばしながら走るのをやめた俺は、停止した馬車のキャビンを注視した。
 不意に、キャビンの扉が開いた。


「やあ、トト。やっと追いついたよ」


 艶やかな金髪には癖がなく、女性受けするであろう甘い顔立ちに、ブルーアイ。品の良い紳士服を着たマーカスさんは、俺を見るなり呑気に手を振ってきた。

 ……。

 無言で睨むような視線を送る俺に、マーカスさんは目を瞬いた。


「……どうしたんだい?」


「来るのがおせえ」


 怒気を孕んだ俺の声に、マーカスさんは戸惑いの表情を浮かべた。

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本作を読んで頂き、誠にありごあとうございます!

わたなべ ゆたか です。

やっとのマーカス登場です。そんな回。

今日は久しぶりに涼しい――というか、暑くなかった一日でした。
そんなさなか、会社の人が現場で釣り竿を貰いまして。現場からの帰り道は、トラックのキャビンの隙間に置いてあったのですが、振動で釣り竿が跳ねたり動いたり。
貰った人は運転中で、動かないように持っているわけにもいかない。

道中で、こう言ってきました。

「誰か、俺の竿を握っててくれ!」


今まで和やかだった車内が、一瞬にして静まり返ったことを、ここに御報告させて頂きます。

「いやwww俺ら、そっちの人じゃないんでwww」


「奥さんに頼んで下さいよwww」


 そんな感じに皆で返答していたところ、「んな訳あるか! てめぇら説教だ説教!!」

 と怒鳴ってきましたが、顔は恥ずかしそうに照れてました。少しやんちゃ系のおっさんが照れる様は、見ていて――なんも嬉しくない光景な訳です。

 そんな月初めの水曜日で御座いました。

 閑話休題


 本当は、この作品を対象用に――と思ったんですけど、残り話数を考えると五万字には届かなにことが判明。
 新作のほうが、やりやすいというわけで、新作で大賞用とした次第です。
 そちらもよろしくお願いします。

次回は、土日のどちらかで。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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