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第四章 円卓の影

四章-3

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 部下を引き連れて屋敷に戻ったウコバークは、妻と使用人に晩の食事が不要であることを告げたあと、執務室で周辺の地図を広げていた。
 砦のある場所にピンを刺したウコバークは、部下に訊ねた。


「砦の周囲に、兵を潜ませる場所はあるか?」


「はい。森の中にある砦ですから、周囲の木々に潜むことは可能でしょう」


 茶色の背広を着た部下は、畏まった顔で答えた。
 部下の指が砦の周囲に円を描くのを見て、ウコバークの口元に微かな笑みが浮かんだ。


「よし。黒曜石を受け取ったと同時に、小僧を捕らえる。失敗は許さぬと、兵たちには伝えておけ」


 ウコバークが地図の上から、手の平で執務机を叩く。その音で、部下は姿勢を正した。
 部下が去ったあと、ウコバークは地図を睨み付けた。


(あの小僧……幻獣の気配がしたな。だが、身体は支配されていないように見えた。ということは……オークどもを捕らえたヤツかもしれん。くそっ! 話をしているときに、気配に気づいていれば――)


 ウコバークが幻獣――ガランの気配に気づいたのは、トラストンと話を終えた直後だった。黒曜石のことで冷静さを失い、話をしている最中は気配に気づけなかった。
 気づいていれば、強引にでも城に連れて行ったのに――そんな後悔も、あまり深くは考えていない。


(まあ、砦で捕らえればいいだけのことだ。ついでに、そこで拷問をすれば、街で要らぬ噂が流れることもない)


 結果的に良い流れになったと、ウコバークは満足げだ。
 執務室を出たとき、ドアの外にレニーがいた。ウコバークが出てくるのをずっと待っていたのか、晴れやかな笑顔で、凭れていた壁から身体を離した。
 ウコバークは溜息を吐きたいのを我慢しながら、口元に笑みを作った。


「レニー、どうかしたかね?」


「あの、お父様……晩の食事を食べないと聞きました、から。その、どうしてだろうと思いまして」


「仕事だ。外で食べるから、心配をしなくてもいい。そんなことより、もっと身体を鍛えなさい。来年から、剣技の訓練も行うのだからな」


「はい……」


 力なく頷くレニーの頭を撫でてから、ウコバークは廊下を歩き出した。
 一人残されたレニーは、しばらく俯いたままだった。ウコバークが見えなくなってから、自室に戻ろうとしたが――執務室のドアが薄く開いていることに気づいた。
 それは、ほんの出来心だった。
 父の仕事に興味を抱いたレニーは、執務室に入った。しばらくは本棚に並んだ書籍を眺めていたが、ふと執務机にある地図が目に止まった。


「ピンが刺さってるのって、どこだろう? ええっと……とりでって書いてあるけど、ここで仕事をされるのかな? でも、なんでこんな場所で……」


 貴族自らが森の中に入って仕事をするなど、考えられない。どこか、イヤな予感を覚えたレニーは、父親のあとを追いかけなくてはという衝動に駆られた。
 幼いなりに地図を記憶したレニーは、駆け足で執務室から出て行った。

   *

 夕刻、トラストンは砦の内部に籠もっていた。
 ワイヤーを手に石柱を削ったあと、砦の中を調べて地下室を見つけていた。金属製のドアも無事なようで、嬉々として仕掛けを作っていた。
 クリスティーナが見守る中で作業を続けるトラストンを砦に残し、エイヴはマーカスに連れられて街に戻っていた。
 城塞都市の例に漏れず、ルイハスにも門がある。
 門を通り抜けると、マーカスが周囲を見回した。


「ええっと……小麦粉って、どこで買えるんだろう?」


「知らないの?」


 驚くエイヴに、マーカスは気まずそうに視線を逸らした。


「実は、そういったものを買ったことがなくてね。食料品店が、あればいいんだけど」


「そんなの、滅多にないよ? ええっと……あ、あそこ」


 往来する人波の向こう側にある店を見つけて、エイヴはマーカスの上着を引っ張った。
 そこは、裏に大きな倉庫を備えた店だ。出入り口には、四本の柱がある日よけが設けられ、仕入れにたらしい商人の荷馬車が横付けされていた。
 主食である小麦粉は、領主直営の店で売られることが多い。エイヴが見つけたのも、その一つだ。
 マーカスは、小麦粉を買うために店に入った。そのあいだ、エイヴは表で待つことにした。店内に入るより、道行く人々を眺めているほうが暇つぶしになる。


「ユニコーン。最近、あまり喋らないけど、退屈?」


〝違うよ。王が、あまり喋るなっていうから……。転生者って、意外と多いみたいなんだ。会話が聞かれたら、拙いこともあるって〟


「ふぅん。でも、そうだね。そのとおりだと思う」


 転生者同士なら、友だちになれそう――という考えなど、エイヴは持っていない。カラガンドでは、転生者の犯罪者に捕まったことがあるからだ。
 トラストンが助けてくれなければ、今でも軟禁状態のまま、自傷を伴う他人の治療を続けていただろう。
 その記憶を振り払ったとき、横から飛び出してきた小さな影が、エイヴにぶつかった。


「ご、ごめんなさい」


 身なりの良い栗色の髪の少年が、尻餅をつきながらエイヴに謝った。
 地面に倒れてしまったエイヴは、いきなりのことで思考が停止していた。見開いた目で呆然としているエイヴに、少年――レニーは、不安げな顔を寄せた。


「あの……大丈夫?」


 レニーが問いかけても、返答はなかった。
 もう一度、レニーに声をかけられて我に返ったエイヴは、込み上げてくる猛烈な感情をグッと堪えた。

 野宿生活だったときに比べれば、こんな痛みなんか!

 眉を寄せて泣くのを我慢するエイヴに、レニーはオロオロとしていた。
 貴族としての教育を受けているレニーは、女性への礼儀も身につけていた。それだけに、少女であるエイヴにぶつかり、そして泣かせそうになっている現状に、狼狽えてしまった。


「すいません。謝りますから、どうか泣かないで」


「……うん」


 目尻に浮かんだ涙を手で拭ったエイヴは、目の前にいるレニーを上目遣いに睨んだ。
 突然にぶつかってきたせいで、膝や手が痛むし、とても驚いた。まだ心臓がバクバクと脈打っているのもわかる。
 大きく息を吐いたとき、小さな麻袋を右の脇に抱えたマーカスが出てきた。


「どうしたんだい、エイヴ。もしかして転んだ?」


 呑気に目を瞬かせたマーカスは、エイヴに左手を差し伸べた。
 エイヴはマーカスの手を取って立ち上がると、質の良い水色のワンピースについた土埃を手で払った。


「買い物がおわったから、砦に行くの?」


「ちょ――シーっ!!」


 マーカスが黙るように、エイヴの口を手で塞いだ。
 道行く人々は、エイヴとマーカスの会話など耳に入ってないようだ。ホッと胸を撫で下ろしたマーカスは、エイヴが頷くのを見てから手を離した。


「戻ろう。君は偵察任務もあるからね」


「マーカスさんの準備は?」


「ああ、万全さ。もう待機させているからね。あとは、向こうが動くのを待つだけさ――って、その子は?」


 エイヴの横で地べたに座っているレニーの存在に、ようやく気づいたらしい。少し焦っ表情のマーカスに、エイヴはレニーを睨んでから答えた。


「ぶつかってきたの」


「ああ――」


 その返答でマーカスは、なんとなく状況を理解した。納得のいった顔で頷いていると、レニーが片膝をついた。


「その少女の父君であらせれらますか。わたしは――」


「いや、父親じゃないんだ」


 失礼を承知で、マーカスは少年の言葉を遮った。その所作から、レニーが貴族の出自らしいことを理解した上での行為だ。彼の親がどこの誰かはまではわからないが、親や知り合いから、マーカスたちの動きを悟られる危険性を避けたかった。
 マーカスはエイヴを手招きしながら、レニーに微笑んだ。


「ぶつかったことは、気にしなくていいよ。君も気をつけて帰るんだよ。それじゃあ――」


 マーカスはエイヴを伴って門へと歩き出したが、走って追い越したレニーが前に立ちはだかった。
 驚いて立ち止まったマーカスとエイヴに、レニーは真剣な顔で訴えた。


「あの――っ! 砦に向かわれるのであれば、わたしも御一緒させて下さい」


「え? いや、それは……僕らは遊びで行くんじゃないんだよ?」


「わたしも、遊びではありません。予感と申しましょうか……行かなくてはいけない理由があるのです」


「と言ってもなあ……」


「連れて行くだけなら、いいと思うよ? 勝手について来ちゃったら、困るもん」


 エイヴの言うことも間違っていないと、マーカスは考えた。勝手について来られたら、それはそれで困ることになるかもしれない――。
 観念したマーカスは、投げやり的に頷いた。


「わかった。ただ、夜になる前に帰ってくれよ」


「はい――」


 レニーがぎこちなく頷くと、マーカスは溜息を吐きながら歩き出した。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

日曜日は、色々と所用がありまして。アップできませんでした。
用事の前に、献血に行ってきました。
400㎖の献血だったんですけど、脚の筋肉を動かす以外暇なので、左手で文庫を読んでいたんですよ。
そしたら看護師さんに「器用に読みますね」というひと言を頂いたんですが……普通できるやん? 最近は出来ない人が増えてきたのかな……なんて思ってみたり。

ちなみに、そこは飲み物だけでなく、御菓子も食べ放題。しっかりと食べてきました。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。


次回もよろしくお願いします!
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