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第五章 飽食の牢獄に、叫びが響く

一章-3

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 日がほとんど落ちたころ、俺は幽霊騒動の起きている廃墟の前にいた。
 空は西側を除いて、夜の帳が落ちかけている。満天――とまではいかないが、いくつかの星が煌めき、冬の星座を形作っていた。
 鉄扉が閉ざされた廃墟は、屋敷というよりは小規模な工場のようだった。
 木造二階建ての屋敷はあるけど、南東側に横長の平屋が併設されていた。煉瓦造りの平屋には煙突が八つ、二列に並んでいた。屋根の真ん中にある天窓には土埃や枯れ葉が積もっているけど、見た限りではガラスが填め込まれているみたいだ。
 敷地は前世にあった学校の体育館程度。建物の占める割合が大きいから、雑草の生い茂る庭は、あまり広くない。
 と、まあ――塀によじ登って中を覗き込むと、そんな感じだった。
 屋敷を囲む煉瓦造りの壁は、門にある両開きの鉄扉以外に、出入りできそうな場所はない。そして、その鉄扉は鎖と錠前で、固く閉ざされていた。

 ……門の鍵くらい、渡しておいてくれよ。マジで。

 依頼人だろうと、ここまで不親切な扱いをされれば怒りも沸くわけで。
 もし好感度という数値があるなら、俺の中でサーナリア嬢へのそれは、だだ下がり中である。せめて、鍵が掛かってるという情報くらいは寄越せ。
 とまあ、文句ばかり言ってても埒が明かない。
 俺は、完全に日が沈むまで、廃墟から離れた場所で待つことにした。体感で三〇分少々――俺は裏手に廻ってから塀を乗り越えて、廃墟の中に入った。
 枯れかけた雑草は腰の高さまであり、屈めば姿を隠すのに適している。俺は慎重に平屋側へと近づいた。
 平屋には天窓以外の窓はなく、両開きの扉があるだけだ。
 ここから先は、夜の暗さで動くのは無理だ。


「……ガラン、《暗視》」


〝承知〟


 視界が明るくなると、俺は平屋の周辺を調べ始めた。周囲に折れたあとのある雑草を見つけたのは、単に幸運だっただけかもしれない。
 曲がった跡のある雑草は、平屋と屋敷のあいだに向かっている。俺は折れた雑草のあとを追うことにした。
 あとは、平屋の北西――屋敷とのあいだ、俺の頭の上辺りの壁に、そこそこ大きな穴が空いていた。
 壁を見てみると、真新しい土の跡がある。


「これは、幽霊さんかな」


 どうやらここの幽霊は、肉体があるようだ。ま、肉体のない幽霊っていうのは、お目にかかったことはないけど。

 いや――今のガランたちは、それに近い存在なのかもしれないな。彼らには直接、言わないけどさ。


「今回は幻獣とか関係ないといいけどね」


〝ほお――どうしてだ?〟


「そりゃ――なるべく平穏無事に終わりたいから。ほら……その、クリス嬢に心配をかけたくないじゃん」


〝ふむ――そういう理由であれば、納得だ。良い傾向だな〟


 いやあの、その見守ってる感は、ちょっと恥ずかしいんだけど。
 俺は照れを誤魔化すように気合いを入れてから、穴の縁に手を掛けた。ほぼ腕力だけでよじ登って、穴から平屋の中に侵入した俺は、大きく息を吐いた。
 壁に使われてる煉瓦はそこそこ頑丈だけど……どうしてここだけ崩れたんだろう?
 中に入ると、すぐ下には散らばった煉瓦が落ちていた。ということは、外側からの衝撃かなにか受けたみたいだ。
 天窓の隙間から、月明かりが微かに差し込んでいた。
 平屋の中には二列に並んだ炉が、計八つもあった。炉の周囲には、多くの樽が並べられていた。反対側の壁近くでは、なにかが崩れたのか、瓦礫が積もっていた。瓦礫の大半は木材のようだけど、あまりにもバラバラで、元の姿は想像できなかった。
 ここは廃棄された工場――かもしれない。埃の積もり具合から、放棄されてから十年以上は経っているようだ。空気中に、機械などに使われる油の臭いはしなかった。
 床に目を落とすと、平屋の奥から壁の穴の下まで、何度も往復しているような足跡がある。どうやらここの幽霊は、何度も出入りを繰り返しているようだ。
 俺はゆっくりと、足跡の追跡を始めた。同時に、周囲の警戒も怠らない。不意を突かれて襲いかかられる――というのが、一番厄介な展開だ。
 姿勢を低くしたままで、俺は平屋の奥へと進み始めた。周囲からの物音はない。幽霊騒ぎであった、光も見えない。
 二つ目の炉を超えた辺りまで来たとき、一番奥にある瓦礫の中でなにかが光った。

 誰かいるのか――?

 俺がそう思った直後、周囲の空間が揺れるような気がした。
 耳鳴りがして、身体の中に見えない手が侵入してくる感覚がした。その手は身体の中に入ると、次第に精神にまで浸食してきた。
 精神が揺さぶられ、背筋が寒くなるような感覚が沸き上がった。それを恐怖だと認識したとき、俺の中にある根源の部分が浸食に抗った。
 次第に寒気も消え、空間の揺れも気にならなくなっていった。
 大きく息を吐いた俺は、状況を整理し始めた。
 さっきの空間の揺れは、恐らく自然現象ではない。だけど、精神にまで手を伸ばすなんて芸当は、きっとこの世界の科学では不可能だ。
 それに、こんなことができるのは、少なくとも普通の人間じゃない。
 俺が身構えたとき、ガランの声が聞こえてきた。


〝トト――どうやら、この力は幻獣のようだ〟


「ああ……なんとなく、そんな気はしたよ」


 答えながら、俺は思考を切り替えた。状況への対処に集中しないと、次は致命傷の一撃を受けることになりかねない。油断無く前方を中止しながら、俺は摺り足で光へと近づいた。
 一〇歩分くらい進んだとき、また先ほどの揺れが襲いかかってきたけど、今度は寒気すら起きなかった。
 俺は平常心を保ったまま、光へと駆け出した。


「そこにいるのは、誰だっ!?」


「や、やめろ! 来ないでくれっ!!」


 怯えるような男の声と一緒に、小さな木片が飛んできた。
 木片を避けた俺は、その場で立ち止まった。少なくとも、これは幻獣の声じゃない。いや、幻獣に身体を乗っ取られているかもしれないけど……それにしては、今の木片と先ほどの空間の揺れ。攻撃としては、ちぐはぐ過ぎる。
 俺は両手を広げると、努めて穏やかに瓦礫の中にいる誰かに話しかけた。


「俺は、ここの幽霊騒ぎを調査しに来ただけだ。こっちに攻撃をしなければ、危害を与えるつもりはない。なんだったら、出てきて話をしないか?」


 俺が瓦礫の奥へ声をかけると、数十秒ほどしてから、一人の小汚い男が出てきた。
 ボサボサの髪は栗色で、肩の下まで伸びてる。痩身というよりは痩せすぎな男で、茶色の上下のほかに、大きな肩下げ鞄を抱えていた。
 男は怯える目を俺に向けた。


「お、おまえは誰だ?」


「俺は、トラストン・ドーベル。あんたは? なんで、こんなところにいるんだ?」


「ニータリ……だ。ここへは……化け物から逃げるために来た。見たこともない、恐ろしい化け物だ」


 答えながら、ニータリの身体が震えだした。
 俺はニータリを床に座らせると、肩を叩きながら質問をした。


「化け物ってなんだ……? さっきの攻撃は、あんたか?」


「さっきの――いや、あれはこれだよ。勝手に出てくるんだ」


 ニータリは首からガーネットの飾り石のあるペンダントを取り出した。
 飾り石が露わになった途端、ガランが驚きの声をあげた。


〝この気配――アルミラージ!〟


〝その声は、王!?〟


 少し甲高いが、声と口調は幼女のそれだった。
 ガーネットからユニコーンのような角を生やした、半透明の兎が姿を現した。手の平大の兎は、俺を見上げると鼻を忙しく動かした。


〝あなた――さっき、トラストンと言ったわよね? どうしてさっきの念波で逃げ出さなかったの? おかしいじゃない!〟


 いきなり怒鳴られたけど……なるほど、さっきのは空間の震えと思ったやつは、生物を逃げ出すよう仕向ける念波ということか。
 これで警備隊が、なぜ調査中に逃げ出したのかが理解できた。
 とはいえ……なんで念波に耐えられたかなんて、わかるはずもなく。俺はただ、首を捻るしかない。


「いや、そんなこと言われても。確かにさ、身体には震えが来そうになっただけど」


〝ありえない……いいこと? あたしの念波は、この世界の法則に作用してるの。力のある幻獣は除かれるけれど。でも、ある程度の知能がある生物なら、恐怖に耐えきれなくて逃げ出すのよ。いくら意志が強くても、この世界で産まれた身体は耐えられない。それが例え、異世界からの転生者だとしても一緒よ。身体は、この世界のものですもの〟


 そこまで言ったあと、アルミラージはふと、俺の胸のあたりへと目を向けた。


〝そこに、王がいらっしゃるのよね〟


「ああ、そうだけど?」


 俺の返答を聞いて、アルミラージは数度頷いた。


〝わかった! 王がこいつをぶち殺して、仮初めの魂で操っていらっしゃるに違いないわ。それならすべてが説明できるもの!! やったー! あたし天才っ!!〟


 ……なにやら、物騒なことをほざきながら喜んでいやがるけど。

 俺はガランに殺されてないし。
 大体、一度はドラゴンの石像と化した身体のところで、別れる寸前までいったのだ。身体に戻りたいが故に身体を操っていたなら、『もう少し一緒にいない?』という、俺の契約に乗っかる理由がない。
 現に、


〝……アルミラージよ。残念だが、その推測は誤りだ〟


 という、やや困惑したガランの返答もあったわけで。
 今にも小躍りしそうなほどはしゃいでいたアルミラージは、ガランの言葉で大人しくなった。


〝納得いかない。あたし、こういうのモヤモヤしてイヤなの〟


 と、文句を言われたけど、そこはあれだ。知ったことじゃない。
 俺がこの一角兎に言い返そうとしたとき、ニータリが口を開いた。


「あんた、さっきからなにを言ってるんだい?」


「なにって……この兎と喋ってるんじゃないか。あんただって、聞こえてたろ?」


「あ……ん? 兎の声は、聞こえたことないが」


 怪訝な顔をしたニータリに、俺は唖然とした。まさか転生者でもない者が、幻獣と行動を共にしているとは思わなかった。
 これについてアルミラージに訊いてみたら、


〝会話できないのがいいのよ。無駄話に付き合うこともないし、あたしの力を利用しようって感じでもないもの。危ないときは、姿を見せて誘導してやればいいしね〟


 ということらしい。
 とにかく、これで幽霊騒動は終わりだ。光の正体や、ネズミなどが逃げ出した原因はアルミラージだったというわけだ。
 あとは彼らがここから出て、旅にでも出てくれたら、それでいい。
 しかし、ニータリは怯える表情で俺にすがりついてきた。


「無理だ! 夜に外へ出たら、きっとまた化け物に襲われる……ここから出ろなんていわないでくれ!」


〝化け物に狙われているのよ? 優しさはないわけ?〟


 早く帰りたいし……今は品薄なんだよなぁ。
 俺は頭を掻きながら、ニータリとアルミラージに肩を竦めてみせた。


「じゃあ、どうすれば出て行くんだ?」


「あの化け物を――なんとかしてくれ! それまでは、絶対に出ないからな!」


〝あの化け物を退治して頂戴。大口をカバのように開ける、化け物よ〟


 化け物――また幻獣かなぁ?
 単なる幽霊騒動が、大事になってしまった。溜息を吐いた俺は近くの樽に凭れかかった。その蓋には、石灰が付着していた。
 白い粉のついた指を拭いながら、俺のやる気も真っ白に燃え尽きる気がしていた。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

残業からの残業で、アップが遅くなりました。

サッカーは残念でしたが、PKまでもつれ込んだのは、かなりの健闘だったと思ってます。
中の人は、朝が早いので寝てましたけど、ネットニュースと早朝のラジオで結果を知りました。

四年後に期待ですね。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。


次回もよろしくお願いします!
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