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第六章 忘却の街で叫ぶ骸

一章-1

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 一章 善意には疑念で


   1

 マーカスさんが最後に店に来てから、十日が経った。あれから、なんの連絡もない。多分だけど、現地に行ったはいいが、なんの手掛かりも得られなかったんだろう。
 そのあいだ俺、トラストン・ドーベルは平穏な日々を送――るはずだった。


「ねー。おきゃく来ないね」


 金髪で小綺麗なドレスを着た幼女――エイヴが、膝の上から俺の顔を見上げてきた。
 カウンターの外では、サーシャ嬢が腰に手を当てていたりする。


「まったく。店内が辛気くさいのよね。もっと花とかフリルとかで飾るべきだと思うの」


 ……うっさいわい。

 というか、俺の店は御令嬢たちの遊び場所じゃねーぞ?
 俺が天井を見上げながら溜息を吐いていると、台所から出てきたクリス嬢が、両手を腰に添えた。


「あなたがた、トトの邪魔をしないで下さいね。お客様を待つのも仕事のうちなんです」


「ですけどね、クリス? ここに美少女が三人もいるのよ? 看板娘が三人もいるのに客が来ないのは、店内の雰囲気が悪いからじゃないかしら」


「普段は、もう少し来客もありますから。何日かに一日……二、三日ほどは、そう言う日もあるんです」


 クリス嬢がサーシャ嬢に言って聞かせてくれたけど……まったくフォローになってない。いや、こういう嘘を吐けない性格というのは、得難いものではあるけれど。
 目の前で言われると、そこそこ精神面を抉られたりするわけで。
 しかも悪意がないだけに、訂正もし難かったりする。
 うろんな目で二人のやりとりを眺めていると、不意に店のドアが開いた。


「ごめんください……ここ、買い取りもしてくれるって聞いたんですけど?」


 どこか艶っぽい声の女性が、店に入ってきた。
 濃いめの化粧に、結い上げた暗い茶色の髪、暗い青色のドレスを着ているが、肌や手は薄汚れている。年は二〇代後半くらい……か? 化粧のせいで、そこら辺の判別は困難だ。
 娼婦――それも娼館ではなく、辻に立って客引きをしている街娼かもしれない。
 俺はエイヴを膝から降ろすと、立ち上がってカウンター前の椅子を示した。


「買い取りはしていますよ。物によりますけど。どうぞ、こちらに」


「ああ、買い取ってくれるんだね――ああっ!!」


 椅子に腰掛ける寸前、街娼らしい女性は俺を見て声を挙げた。


「あんた、この街の人だったんだね!」


「えっと……どこかで、お会いしましたか?」


「いやだ、あたしだよ。プアダの街で、盗人から助けてくれただろ?」


 その言葉で、俺は一ヶ月ほど前のことを思い出した。
 プアダの街で、チンピラ……みたいな奴を捕まえて、彼女の革袋を取り返したことがある。どうやら、そのときの女性みたいだ。


「安くするから遊びにおいでっていったのに。あ、あたし、ミランダっていうの。この街で商売するからさ。遊びに来てよ、ね?」


「いや、あの……」


 その女性……ミランダさんに、俺は困り顔で手を振った。その……クリス嬢とサーシャ嬢が、ちょっと怖い顔をしていたので。
 俺は「買ってはいませんからね」と二人に説明しながら、ミランダさんとの商談を急いだ。


「ところで、なにをお売りに?」


「ああ、これなんだけどね」


 ミランダさんが差し出したのは、黄色のメノウが填まったブローチだ。台座は鉄製で、ピンは欠けている。
 買値として妥当なのは、二十五ポン……銅貨で二十五枚程度だ。
 ほかの店で買値を聞いているかもしれないが、俺はそれ以上の金額を出す気は無い。その程度の価値だ。
 それで値段を提示しようとした――が。


〝なんでぇなんでぇ。知ってるぜ? 売りってことは、俺を取り引きするつもりだな? まったく、俺様を金銭なんてやつで売り買いするなんざ、まあったく、人間ってやつは業が深いぜ〟


 イヤに威勢の良い濁声が聞こえてきたために、口を開きかけたところで俺は固まった。
 いやまあ……こういう商売だ。貴金属に幻獣が混ざってる可能性は、考えなかったわけじゃない。
 だけど、それが現実に起きてしまうと、想定以上に厄介だ。
 俺は咳払いをすると、確認のためにミランダさんに訊いた。


「この店の前に、ほかの店に持っていたりしました?」


「ああ、それならビスケ堂という店に行ったよ」


 ビスケ堂は、俺と同じく古物商を営んでいる。店主のノーマン・ビスケさんは女性に甘いからなぁ……四〇ポンくらいは提示したかもしれない。
 そう思ってビスケ堂の値段を聞いてみたら、ミランダさんはあっさりと答えてくれた。


「そこでは、一パルクだって」


 ……あの糞爺ぃっ!!

 いくらなんでも、女性に甘過ぎだろ! これに一パルク――銀貨一枚とか、頭にウジ虫でも沸いてるんじゃないか?
 俺は出来るだけ平静を装う努力をしながら、頭の中で考えを巡らせた。
 一パルクと一〇ポンあたりで提示しようかと思ったが、あのノーマンさんのことだ。一パルクで提示しつつ、俺の店で少し高めの提示なら、一パルクと三〇ポンくらいまでは出すとか言ってそうだ。
 俺は断腸の思いで、ミランダさんに告げた。


「二パルクでどうでしょう? その、ご新規さんの特別価格ということで」


「ホントに!? そんなにくれるんだ。前の店では、あと銅貨四〇敗なら出すって言われてたけど。そんなに出してくれるなら、ここで決めるよ」


「ど、どうも……」


 やっべえ……ギリギリだ。
 幻獣さえいなければ、こんな金額で買ったりしないのに。ここで逃して、なにか厄介ごとが起きたら、目も当てられないからなぁ。
 俺が銀貨を二枚も差し出すと、ミランダさんは満面の笑みを浮かべながら受け取った。


「今ちょっと、お金が必要でさぁ。ブローチをくれた人が言ってた通りだったよ。この店なら、一番高く買ってくれるって」


「……なんです、それ?」


「前の街でね、客だった男が言ってんだよ」


「前の街って、プアダですか?」


「ああ、違う違う。ファーラー市ってところだよ。知り合いの家に厄介になっててね。そこで……その、ちょっとあってさ。稼ぐために、この街に来たってわけ。そこで客の男がさ、そのブローチは、あんたの店で売るといいって言ってくれて。その通りだったよ」


 笑顔のミランダさんに、俺は曖昧な返事しか返せなかった。
 自慢じゃないが、俺は基本的に平均的な金額でしか買い取らない。知り合い価格でというなら理解できるが、ミランダさんも『客の男』って言い方しかしてないから、名前を聞いていないだろう。
 疑問を残しつつミランダさんが帰ったあと、俺は店を閉じた。
 そして、先ほどのブローチを取り囲む形で、俺たちはカウンターの周囲に座った。


「トト、お茶です。お砂糖は無しで良かったですわね?」


「はい。甘い物は苦手なので」


 クリス嬢からお茶を受け取ると、俺はブローチを指で突いた。


「おい。おまえは誰だ?」


〝おおっと、不躾な質問をしてきやがる。まずは、おまえさんから名乗りな〟


「そりゃ悪かった。俺は、トラストン・ドーベルという人間だ」


 ガランのことを言っても良かったけど、それは奥の手だ。
 エイヴの持っているユニコーンにも、名乗るな、喋るなと伝えてある。名を知られることで、相手に手の内を晒すのを防ぐためだ。
 俺が名乗ると、幻獣は満足げな声を出した。


〝おう。よろしくな。俺の名は――っと、その前に。身体と行いは名を示すというらしいからな。まずは、俺様の冒険譚を話してやろう。あれはまだ、人間が出てくる前。俺様たち幻獣と呼ばれる種が栄えていたころだ〟


 幻獣の話が始まって、十数分が経過した。


〝というわけで、俺様が奴らに、脚を踏み鳴らしてやったわけだ。その俺様の名は――〟


 ああ、やっと名前か。
 正直に言おう。話がここまで来るあいだ、俺の脳みそは白痴に近かった。話なんて、ほとんど聞いてないけど、恐らく問題はまったくない。
 それほどまでに、中身のない話だった。
 喜んでいるのはエイヴくらいで、クリス嬢も目が点になっている。サーシャ嬢は幻獣の声が聞こえていないため、暇そう自分の髪を弄っていたりする。
 とにかく、やっと話が終わる――と思った矢先、幻獣は絶望的な言葉を吐いた。


〝おおっと! そういえば、ここからが面白い展開になりやがるんだ〟


 俺は無言で、カウンターの横にあるトンカチに手を伸ばした。
 釘の打ち直しや、売り物にする家具の修繕用のものだ。トンカチを右手一本で持つと、ずしりとした重みが伝わって来た。


〝そいつは、小生意気な野郎でな。俺様がなにを言っても――〟


 ダンッ!!


 俺は無言で、トンカチをカウンターの天板に振り下ろした。
 この音は聞こえていないかもしれないが、ブローチに振動くらいは伝わっただろう。


「てめぇの話はどーでもいい。封印された石っころを叩き割られたくなきゃ、早く名前を言え」


〝え――あ……レヴェラーという、しけた野郎でして……はい〟


 そう名乗った幻獣――レヴェラーは、ブローチの上に半透明の姿を現した。
 今のガランより一回り大きな姿で、全体的には象に似ている。ただ鼻は短く、牙は真っ直ぐ、一番の特徴はまん丸な太い胴体に、末広がりの脚だろう。
 脚はピラミッドのように、蹄のところで大きく広がっていた。
 俺は正直、クリス嬢から非難されると思っていた。手っ取り早いが暴力的すぎる手法だったと、俺個人も思っている。
 そう思ってクリス嬢を見てみれば、その目には安堵の色が浮かんでいた。どうやら、俺と似たようなことは思っていたようだ。
 俺は改めて、レヴェラーへと顔を向けた。


「訊きたいことがある。おまえがここに来たのは、偶然か? それとも作為的なことか?」


〝偶然か作為的……どちらかと言われれば、後者です、はい。俺様は伝言を預かってるだけなんで、細かい理由などは知りやせんが〟


「伝言?」


 幻獣を使った伝言なんて、なんの意図があるんだ?
 俺が無言で話を促すと、レヴェラーは平坦な声で告げた。


〝では……この伝言を聞くことができる者たちへ。ファーラーという街へ行け。おまえたち、幻獣と呼ばれる我が同胞と共存する者らが行かなければ、多くの人が死ぬだろう〟


 予言にも似たその伝言に、サーシャ嬢を除いた全員が表情を固まらせた。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

今回出てきたレヴェラーですが、あまり有名ではないので補足を……。

バイエルンの音楽家、ヤコブ・ロルバーが受けた啓示の中に、この幻獣もありまして。
ミロン(海王星)の家畜ということです。
幻獣辞典という本にあったものですが、ゲームや創作の世界ではあまり見ないですね。

まあ、所詮は家畜ですし。仕方ない。

毎日の寒暖差が激しいですが皆様、ご自愛下さいませ。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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