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第六章 忘却の街で叫ぶ骸
三章-2
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ゼニクス地区にある酒場は、上流階級の者たちが集う場所となっている。
それだけに会話を盗み聞されては困るような、特殊な会合に使うための個室が備わっている。
トラストンが目覚めた日の夜、その個室にはトマスとルシートの姿があった。
ルシートからの報告に、トマスは渋面になった。
「意識を取り戻した――話が違うでは無いか」
「……はい。居合わせた看護婦の話では、ナターシャが意識を取り戻した代わりに、見舞いに来た少年が倒れたそうですが」
「……なんだ、それは? その少年はどうした」
眉を顰めるトマスに、俯き加減のルシートは小さく首を振った。
「同席していた者たちが、連れて行ったそうです」
「ああ、あの小娘か――今日、図書館へ行ったらしいが……単なる観光か、それとも調べることがあったのか」
「図書館――ですか? あそこはトマス様が閉鎖なされたのでは?」
「そうとも。庶民に教養など、無駄の極みだ。この世界は、我らが支配すれば良い。庶民どもが政治に介入? 議員制度に役場の職員も庶民を採用? 馬鹿馬鹿しい」
「ええ。そうでしょうとも。この世は、あなたがた貴族と、我らのような一部で支配するべきなのです」
明るい声で意見に同意するルシートに、トマスは頷く代わりにワインを掲げた。
しかし逆の手は、指先でテーブルをせわしなく叩き続けていた。それは苛立ちながら、違うことを考えているときの仕草だ。
指先の動きが止まると、トマスは乱暴にワイングラスをテーブルに置いた。
「あの小僧と小娘は、厄介かもしれぬ。やはり、殺しておくべきなのだろうな」
「どうなさるおつもりで?」
「グレイを使うのは変わらぬ。先生には、これまで通りの実験をお願いしたい。庶民に知恵も意志も必要ない――そのために投資をしているのだ」
「……重々承知しております」
ルシートの返答に、トマスは鼻を鳴らした。
そのままなにも返さないトマスを見つめながら、ルシートはワインを一口だけ飲んだ。
「看護婦には、口止めを命じてあります。勤め先が失う恐怖がありますから、必ず従うことでしょう。ナターシャは薬の量を増やしましたから、簡単には元には戻りません。ここに来る前に病室を覗きましたが、言葉も覚束ない様子でした」
「薬の量が増えるのは、なんとかならんのか?」
「現在のところは……原因はわかりませんが、徐々に効き目が弱くなっております」
「実験のために、薬の成分を弱くしておるのではないか?」
「いえ。変えてはありません。不思議なことではありますが」
寧ろ増やしても、何日かすると効果が弱くなる――そう告げるルシートに、トマスは険しい顔をした。
「薬の量が増えていくのでは、話にならん。改良は進んでおらんのか?」
「今のところは。今度は、阿片の代わりになるものを探してみようかと」
「安価なものがあればいいがな。先生は薬の改良と実験に専念して欲しい」
「はい」
ルシートは立ち上がると、個室を出た。
ここまでの会計を済ませて店を出ると、病院への道を歩き始めた。薄暗く細い路地へと入ったとき、暗がりから薄汚れた、若い男が出てきた。
「先生――」
トラストンを襲撃したグレイが、額に汗を浮かばせながら手を差し出した。
その意味を理解したルシートは、上着のポケットから小瓶を取り出した。ひったくるように小瓶を取ったグレイは、一息に中身を飲み干した。
「ひゃああああ……たまんねぇ……助かるぜ、ぜんせ」
「それはいいが、小僧の始末をしくじるとはな。折角、トマスという後ろ盾を付けてやったのだからな。もう少し、上手くやれ」
バツの悪そうな顔を向けたグレイは、薬が廻って焦点の定まらない目だけをルシートに向けた。
「そうはいうけどよぉ……あのガキ、腕はいいぜ。素人の動きじゃねぇ」
「素人じゃない……貴族の娘の付き人だと思ったが、護衛も兼ねているということか」
「さあ……ね。そこまで、わかるわけないでしょ」
グレイの返答を聞いてたルシートは、新たに小瓶を取り出した。それに気づいて手を伸ばしたグレイから、ルシートは小瓶を遠ざけた。
「これは、ここで飲むものじゃない」
ルシートはグレイの手を払いのけると、改めて小瓶を差し出した。
「これは、阿片に薬物を加えたものだ。今以上に痛みに鈍くなり、知覚が鋭敏化する――はずだ。あの小僧を殺す前に飲め」
「へえ……そりゃいい」
歯を剥くように笑みを浮かべたグレイは、小瓶を受け取って腰袋に入れた。その目に残忍な光が宿っているのは、トラストンの身体を切り刻むのを想像しているからだ。
グレイと別れたルシートは、口元を歪めた。
「まったく、愚かなものだ。己で己の身を滅ぼすとも知らずに……」
ルシートは息を吐くと、再び病院へと歩き出した。
*
夕食を終えた俺は、一人で部屋に戻っていた。
大きな街に図書館が出来はじめたのは、ここ十数年のことらしい。貴族や富豪の蔵書から寄付を募って、広く公開すると決めたのは、先代の国王だったらしい。
国民の知的向上が目的というのは、上流階級からの反発が強かったと聞く。それでも半ば強行したのは、優秀な人材を広く集めるため――という噂だ。
その図書館が、この街では閉鎖されていた。
「……どういうことなんだろうなぁ」
〝トト、どうした?〟
独り言を質問だと思ったのか、ガランが声をかけてきた。
俺は苦笑しながら、胸元の竜の指輪を軽く掴んだ。
「いや、独り言。図書館が閉まっていたからさ。なんでかなって」
〝ふむ……それは確かに、我では推測もできぬ〟
「だよねぇ」
〝なんだなんだ? 溜息を吐きそうな雰囲気じゃねぇか。ええ?〟
レヴェラーの声に、俺は本当に溜息を吐いた。いや、レヴェラーが言った内容じゃなく、レヴェラーの声を聞いたことに対する溜息なんだけど。
返答をしなかった俺に、レヴェラーはべらべらと喋り始めた。
〝うじうじと悩むくらいなら、俺様の相談しなって。これでも生身の身体があったころは、幾千万という冒険をしたもんだ。大抵の悩みなんか、ぱぱっと解決よ!〟
「ああ、そう。それじゃあ、小瓶の中身がなにか、当てて欲しいもんだぜ」
俺の挑発に、レヴェラーの言葉が止んだ。
答えられずに黙ったのか――と思っていたら、ヤツの溜息が聞こえてきた。
〝おまえは馬鹿か? そんなの、俺様が知る訳ねぇだろ。肉体がねぇんだぜ? 確かめようがねぇだろ〟
……おい。ぱぱっと解決はどこいった?
俺は項垂れたように頭を抱えながら、沈鬱な溜息を吐いた。
文句を言おうかと思ったけど、そんな気力はない。それに、まあ正論ではあるんだよな、一応は。
俺は小瓶の蓋を開けて、鼻を近づけた。臭いは、ほぼ無臭。だけど、微かに椎茸のような香りがする。
「……ま、この程度で薬品の推測なんかできんわな。阿片で記憶はなくせないから、こいつが原因だと思うけど。問題は一回の服用でどれだけ飲めばいいか、なんだよな。ああ、違う。問題は、もう一個あった」
今度は、どうやってクリス嬢に謝ればいいのか。
この問題は、かなり根が深くなりそうな気がする。どう転んでも、目茶苦茶怒られるのは目に見えてるんだよ……わかってる。
そんなこと、誰かに言われるまでもない。今回はユニコーンの力もないから……復帰はいつになることやら。
俺は月明かりを頼りに、クリス嬢にメモを残した。最悪、これでゼニクス中央病院の嫌疑が深まれば、ロバートって警備隊の隊員を頼って捜査の手が入る筈だ。
あとは、思いっきりの問題。
俺は小瓶を凝視しながら、深呼吸を繰り返した。
……なに、死にはしないさ。
その言葉で自分自身へ発破をかけた俺は、小瓶の中身を一口飲んだ。
急いで蓋をして小瓶をベッドに置いた瞬間、予想通り、思考が――まっしろ。
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本作を飲んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
同じネタを……とは思いましたが、薬品の識別なんて素人じゃ無理ですし。
即効性でもない限り、飲んでもわからんというのが正直なところです。
ただ、そういう場合は飲まないのが正解なんですけどね……。
本作品はフィクションです(以下略
よい子は真似しない。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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