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第六章 忘却の街で叫ぶ骸
三章-3
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目が覚めて瞼をうすく開けると、目の前に少年の顔があった。
栗色の髪の下には、強い意志を感じる目。口には意地の悪そうな、薄笑いを浮かべていた。
『誰が、意地の悪いだって? 人のことは言えないだろ、俺?』
少年の言葉は、ほとんど意味がわからなかった。黙ってままでいると、少年は芝居がかった仕草で溜息を吐いた。
『まったく、無茶ばかりしやがるなあ? 自分の命なんか、いらないって?』
……そんなわけない。誰が、好んで死にたがるもんか。
そう答えたかったけど、声がでなかった。
少年は頭を振ると、俺から少し頭を離した。
『いい加減にしないと、本当に死ぬぞ? まあ、そんときは、ざまあみろって笑ってやるからさ』
少年の物言いに――俺は次第に苛々としてきた。
――うるせぇ、消えろ。
『おっと、よーやく本調子かい? そーそー。行儀良くなんかできねぇんだから、その調子でやってろよ』
……やかましい。
俺が瞬きをしたあと、俺を名乗る幻影は消えた。
朧気だった視界がはっきりとしてくると、目の前に涙で顔を腫らしたクリス嬢がいた。
俺は上着とか着たままでベッドに寝かされており、部屋には俺とクリス嬢のほかに誰もいない。窓から日差しが差し込んでいることから、少なくとも夜ではなさそうだ。
俺が上半身を起こそうとシーツを払いのけると、クリス嬢は擦れた声を出した。
「わたくしは……どうすればいいのでしょう? どんなに心配だからと伝えても、止めてと言っても……トトは無茶ばかりして」
「あの……それは、すい――」
謝ろうとして、俺は口を閉ざした。
薬の効果を確かめようと、無茶をしたのは確かだ。弁明の余地は無い。だから、ここで謝っても、口先だけだと思われるだけだ。
俺はベッドの上で胡座をかくように座ってから、クリス嬢との目線を合わせた。
「無茶をしたのは……承知の上です。図書館も閉鎖、薬学の知識も無い状態で、小瓶の中身を調べる手が思いつかなかったんです」
「そんなの……そこまでする必要が、どこにあるんです!?」
「これ以上の被害を無くすための一歩だと、考えてくれませんか? 自分の身体で人体実験でもしないと、あの薬が記憶を奪うものだって、わからないままですから。証拠にすらならないんです」
「ほかの方法だって――」
「ありませんよ、残念ながら。少なくとも、俺は知らないです」
俺はきっぱりと言い切ったあと、クリス嬢に頭を下げた。
「無茶をしたことは、謝ります。でも、時間が惜しいのも確かなんですよ。このままだと、あの病院にいる患者に危険が及ぶかもしれません」
「危険って……」
「わかりませんか? サイクロプスの手紙に、祭器のことが書かれていたでしょう? あの病院に、祭器の一部が落ちてたんです」
俺が左右のポケットから遺物の欠片を取り出して、それぞれを近づけた。
淡い光を放つ二つの欠片を見て、クリス嬢が僅かに肩を上下させた。
「それでは、祭器は病院に?」
「それは……わかりません。ただ、なにかが行われていて、もしかしたら記憶を消した患者が関わっているかもしれません。まだ、推測の域は出ませんけど」
俺は欠片をポケットに戻すと、俺は出来うる限り神妙な顔をした。
「許してくれっていう資格はないですが、それでも申し訳ないって気持ちはあるんです。もう、なにも話さずに無茶とかしません。これだけは、誓います」
こちらの言い分は終わりという意図を込めて両手を挙げると、クリス嬢は小さく息を吐いた。
そして数秒ほど考えるように目を伏せてから、改めて俺に目を向けた。
「ドラグルヘッドに戻ったら……なんでもしてくださいますか?」
「えっと……生死や全財産、店を明け渡せとかじゃなければ」
戸惑いながらの俺の返答を聞いて、クリス嬢は微かに苦笑したように見えた。
少しは機嫌も直ったか――と思ったけど、指先で涙を拭ってから、クリス嬢は拗ねた顔で軽く睨み付けてきた。
「その言葉に嘘はないですわね?」
「ええ……俺だって、クリス嬢に嫌われたくないですから」
この言葉は、俺の本音だ。
ローウェル伯爵の影が見えるとかよく思ってるけど、それでもクリス嬢に好意を持っている、この気持ちに嘘は無い。
クリス嬢は俺の顔をジッと見てから、フッと表情を緩めた。
「……わかりました。さっき言ったことを全部守っていただけるのでしたら、許します」
「はい。心します」
少し堅苦しくなった俺の物言いに、クリス嬢は困ったような顔をした。
俺は窓を見てから、腹の減り具合を確かめた。
「俺は、どれだけ記憶を無くしてました?」
「丸一日くらいです。ただ、あなたがいつ薬を飲んだのかわかりませんから、わたくしたちが気づいた昨日の朝から、ですけれど。ずっと呆けた顔をしてましたから……このまま元に戻らないかと思いましたのよ?」
「それは……ご心配をおかけしました」
謝りつつ、俺の頭は別のことを考え始めていた。
ということは、あの薬だけなら一日半くらいか……阿片と混ぜるとどうなるんだ?
ユニコーンの力を使ったときの感覚だと、阿片も一緒に飲ませてたみたいだけど。あと気になるのは、ナターシャの状態と俺との差だ。
記憶が無い状態でも言葉を喋り、俺との受け答えはできていたナターシャとは異なり、俺はほとんどなにも出来ない状態みたいだ。
俺はベッドから降りると、身なりを確認し始めた。空腹感はあるけど、それは外で食べればいい。
頭の中で行動を決めた俺は、脚を前に出す直前でクリス嬢を振り返った。
先の約束があるから、勝手な行動は控えようと思う。
「えっと、ご飯を食べながら、行きたいところがあるんですけど。クリス嬢も一緒に行きま――」
「もちろん、ご一緒しますわ」
にっこりと微笑むクリス嬢だったが、その口調は有無を言わせぬ迫力があった。
そんなわけで……俺はクリス嬢と宿を出た。
酒場で軽めの食事をしながら、俺たちは時間を潰した。この酒場は、俺とクリス嬢が少年ギャングっぽい集団に襲われた場所から、ほどよく近い。
そして、ゼニクス中央病院から、少年ギャングに襲われた路地へ行くには、この前の大通りが一番の近道になっている。
果実酒を一口飲んだクリス嬢が、小声で訊いてきた。
「それで、目的地はどこですの?」
「そこは、流れに沿って変わります。とりあえず、あの看護婦さんが通るのを待ちましょう」
「看護婦……ああ、ナターシャさんの担当だった?」
「ええ。状況的に、病院へ行くのは敷居が高い――ええっと、危険ですからね」
答えてから、俺は切れ目を入れたパンに皿の肉を詰め込んだ。ホットドッグというか、ローストビーフサンドである。
こっちを見ていた隣の客が眉を顰めたけど、そんなの一々気にしない。
手製のサンドを食べ終えてから、数分後。俺たちがいる酒場の前を、件の看護婦さんが通りかかった。この前とは違い、あまり汚れていないベージュのワンピースを着て、足早に歩いている。
俺とクリス嬢は頷き合うと、酒場を出た。
小走りに看護婦さんを追いかけると、俺は横に並ぶ直前で声をかけた。
「看護婦さん、すいません!」
俺の声を聞いて、看護婦さんはビクッと身体を震わせながら、立ち止まった。
目を大きく広げた看護婦さんに、俺は小さく手を挙げた。
「突然、すいません」
「あなたたち……あ、えっと、なに?」
戸惑いを露わにした看護婦さんは、俺たちから僅かに視線を外していた。
俺がその表情に気を取られているあいだに、クリス嬢が先に質問をしてしまった。
「うかがいたいのは、ナターシャさんのことですわ。あのあと、彼女はどうなったのでしょう?」
「……まだ、入院中です」
「あら……どうしてですの?」
そのクリス嬢の問いに、看護婦さんは苦い顔をした。
それはまるで、良心と理性がせめぎ合っているような――そんな顔に思えた。そんな俺の予想通り、看護婦さんは顔を背けながら答えた。
「それは……言えません」
「あら、どうして――」
「わかって頂戴! く……口止めされているのよ。下手なことを言って、職を失う訳にはいかないの」
大声こそ出さなかったけど、看護婦さんの声には怒気が混じっていた。
負けじと問いただそうとするクリス嬢を押しとどめて、俺は看護婦さんに小さく手を挙げた。
「……すいません。無理を言いました。大体の事情はわかりましたので、俺たちは帰ります」
「あ、ええ……ごめんなさいね」
「いえ。あと……その、新しいワンピース、似合ってますよ」
俺の最後の言葉に、看護婦さんはきつく顰めるような顔で踵を返した。
看護婦さんを見送りながら周囲を見回すと、通行人の隙間から子どもの姿が見えた。さて――と考えていると、クリス嬢が俺の肘を突いてきた。
「良かったんですか?」
「ええ。さっきも言いましたけど、大体は把握しましたから。その話をここでしてもいいんですけど……場所を変えましょうか。そうだな……宿にでも入りましょうか」
「え? 宿泊先に帰るって意味ですか?」
「あ、いえ。別の宿です。帰るのは、ちょっと不都合ですしね」
俺が答えると、何故かクリス嬢の顔が赤く染まった。
なんだろう……と思いながら、俺はクリス嬢を促しながら歩き始めた。
「まあ、話は歩きながらで。ナターシャはきっと、また薬で記憶を奪われてますね」
「そ、そうなんですか?」
クリス嬢は、どこか上擦った声だった。それは良いんだけど、さっきからちょっと様子がおかしい。
妙に顔が赤いし、身体を密着させてくるし……いや、密着する分には、別にいいんだけど。暖かいし、柔らかいし。
でも今は、それに浸ってる余裕はない。
俺は頭の中で般若心経を唱えながら、説明を続けた。
「そのことを口止めっていうか、脅迫されているんでしょうね。今の職を辞めたくなければ、黙ってろって」
「でも、それだけで黙っているものですか?」
「ああ、金も受け取ってるでしょうね。ワンピースが新しかったですし。彼女が男なら、酒とか煙草とか賭博……それか借金の返済とかになるんでしょうけど。女性だから、身なりとか気にしてたんじゃないですか?」
大体の説明を終えると、俺は手頃な宿の前で止まった。ここなら見晴らしも良さそうだし、反対側に裏通りがあったはずだ。
俺はクリス嬢を連れて、宿に入った。店主に半日分の金を渡し、鍵を借りた。
部屋を案内され、鍵を開けた俺は、店主に鍵だけを返した。
「次に出るときは、もう帰りますから」
そう告げてドアを閉めると、俺は通り側の窓を開けた。
窓から見える大通りでは、道の反対側に子どもの姿が見える。そこから少し離れた場所に、小走りに駆けている子どもが、細い枝道に入っていくのが見えた。
そのほかの通行人は、ほとんどが大人だ。
俺は周囲を見回してから、窓と雨戸を閉めた。
隙間から差し込む日差しだけになった室内は薄暗く、ベッドの横で立っているクリス嬢の姿も朧気だ。
「あの……トト? その、先にお風呂に入りませんか? その……埃とか汗とか、洗いたいですし」
「え? なにを言ってるんです? もう出ますよ」
「……え?」
きょとん、どころか半ば呆然とするクリス嬢を連れて階段を降りた俺は、店主にチップを手渡して裏口から外へ出た。
「あの……トト?」
「ああ、すいません。この前の子どもたちに、尾行されてましたから。ちょっと目くらましをですね――」
「な、なんで……そういう説明を先にしないんです、あなたは!?」
突然怒り出したクリス嬢に、今度は俺が唖然とした。
……あれ? 俺、なにか拙いこと言ったっけ?
考えても、そんな記憶は出てこない。
人目を避けるように宿に戻ったまでは良かったけど……次の日になるまで、クリス嬢はひと言も口をきいてくれなかった。
……なぜ?
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
魔剣士と光の魔女は完結しましたが、投稿ペースは変わらないと思います。
その旨、御了承下さいませ。
先日、同じ現場の先輩がビルを見て
「あそこの店、変だよね。刃研ぎの看板があるのに、フラペチーノっぽいドリンクも売ってるみたいだし」
とのたまいまして。
見てみたら、一階と二階の間の壁に刃研ぎの看板。一階の窓に、ドリンクのポスターが貼ってあったわけですよ。
どうみても、一階は甘味系の店、そして二階は刃研ぎの店なんですよね。
凄まじい天然ボケを見たのですが、発言者が40代のおっちゃんなのが残念でなりません。
せめて、可愛い女の子だったら良かったのに。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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