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第六章 忘却の街で叫ぶ骸
三章-1
しおりを挟む三章 正直者を嗤う
1
目がさめた。
おなか空いている……ゆっくりと目をあけたけど、視界はまだぼやけていた。ふと、ひとかげが目のまえにやってきた。髪もながいし、服とかをみても女性みたいだ。
ああ、そうか……。
顔をよせてきた人影に、胸の奥にワクワクとした感情があふれてきた。
「ママぁ、カレーはできた?」
「ト――トト!?」
その人があわてたように、身体を揺らしてきた。
呼ばれた名前は……俺の名前? あれ?
その思考を切っ掛けにして、意識がはっきりと覚醒してきた。痛む左腕を庇いながら俺が上半身を起こすと、今にも泣きそうな顔をしていたクリス嬢と目が合った。
「あれ……クリス嬢? 俺はえっと……」
状況を把握しきれずに俺が戸惑っていると、少し離れた場所にいたサーシャ嬢が表情を無くした顔で言った。
「あなたたち……二人っきりのときは、そんなことをしていたの?」
そんなことって、どんなこと?
俺が戸惑っていると、質問の意味がわかったらしいクリス嬢が、わめくように応じた。
「してません!」
「なんだ……そういうプレイはしてないのか」
露骨に馬鹿笑いを我慢しているクレストンに続いて、エイヴが首を傾げた。
「……おままごとしてるの?」
「だから、そういうことはしてません!」
必死に否定しているクリス嬢の声を聞きながら、俺の脳裏にイヤな予感――いや、ほぼ確信に近いけど――を覚えていた。
俺は徐々に顔が赤くなるのを感じつつ、クリス嬢に訊いた。
「あの……俺、なにか変なことを口走りました?」
そんな俺の問いを引き金にして、室内は大笑いの渦に満たされた。
クレストンやサーシャ嬢、エイヴはもちろん、クリス嬢までもが泣き笑いのような顔をしていた。
笑っていないのは、俺だけだ。
……あ、これは、完全に、やらかしたやつだ。
朧気な記憶が頭の中を駆け巡り、俺は赤面するしかなかった。
まあ、そんなこんなで。
俺が無事に覚醒したことで安心したのか、クレストンやサーシャ嬢は部屋から出て行った。エイヴは残りたかったようだが、「二人っきりにさせてあげましょ」と諭したサーシャ嬢に連れられていった。
部屋に残ったクリス嬢に、俺は躊躇いながら話しかけた。
「あの……俺はなにを言ったんです?」
「えっと……それは」
クリス嬢は少し頬を染めながら、どこかモジモジと身体を揺らしただけで、問いに答える気配はなかった。
仕方なく、俺は胸元にかかったままの竜の指輪に触れた。
「ガラン……俺ってなにか口走ったの?」
〝あ、ああ……普段とは、あまりにも異なる様子……いや、まるで別人のようなことを言っていた……が〟
どこか、どん引きしたのを引きずったような口調に、俺は頭を抱えたくなった。
今なら、太宰治の気持ちが少しわかる。
……産まれてすいません、穴を掘って地中に埋まってたい。
俺が落ち込んでいると、クリス嬢がベッドに腰掛けてきた。
「カレーとか言ってましたけれど……前世の夢でも見たんですの?」
「夢……いや、その、なんか記憶が蘇った感じですけど」
「あの、もしかして死ぬ直前……とかですか?」
「いやその、勘弁して下さい。まだ小さかったときの記憶です、多分」
記憶が朧気だから、はっきりとは言えないけど。
俺が右手で熱くなっている顔を覆っていると、クリス嬢は数度の深呼吸をしてから、真顔になった。
「……無茶をし過ぎですわ、トト。毒を身体に受けるだなんて……ユニコーンから聞きましたけれど。ツノの代わりに人間の身体で、毒をろ過だなんて」
「……すいません。あれしか思いつかなかったもので」
「今回ばかりは、謝ったくらいでは許せません」
クリス嬢はそう言って、俺に上目遣いの顔を向けてきた。
流石に怒らせてしまったのかと思っていたが、そんな目をしていない。怒りより、なにか悪戯っ子のような目をしている気がした。
俺が続きの言葉を待っていると、クリス嬢は組んだ指をモジモジとさせながら、頬を染めた。
「先ほどの口調で、わたくしの名前を呼んで頂けたら……許して差し上げますわ」
「先ほどの口調って……?」
「あの……ママって、甘えるような感じで……母性本能がくすぐられたといいますか、とても可愛らしかったですよ」
俺は、クリス嬢の言葉を全部、聞いていなかった。
もう、なんか、あれだ。ガランもどん引きするわけだ、これ。完全にやらかしてるじゃないか……。
俺は顔を真っ赤にさせながら、右手で顔を覆った。
「すいません、勘弁して下さい。なんでもす――いや、ドラグルヘッドに帰ったら、どこか食事でも行きましょう。俺が出しますから、それで許して下さい」
ヤバイ。焦りすぎて、『なんでもします』と言いかけてしまった。
クリス嬢だけなら問題はないけど、背後にローウェル伯爵の影が見えるからなぁ……そえが無ければ、ほんとなんでもするのに。
とはいえ、こんな話を延々とするわけにもいかない。俺は少し落ち着いてきてから、クリス嬢の隣に座った。
「俺は、何日くらい記憶がなかったんです?」
「まだ、あれから一日しか経ってませんわ。ユニコーンは、毒はもうほとんど抜けたと言っていましたけど、全然起きなくて」
なるほど、それで全員がこの部屋に集まっていたわけだ。
みんなに心配をかけた――と思いつつ、俺は質問を続けた。
「それで、ナターシャさんはどうなったんです?」
「記憶は戻ったみたいなんですけれど、錯乱してしまって。あの看護婦さんに、対処をお願いしてあります。わたくしとクレストンは、あなたをここに運ばなくてはなりませんでしたし」
「そうですか……」
俺は僅かに視線を上げながら、溜息を吐いた。ナターシャを救う絶好の機会が、俺のせいで失われたわけだ。
押し黙った俺の手に、クリス嬢が右手を添えた。
「自分を責めないで下さいね、トト」
「え? ああ……そこまで殊勝じゃないですよ。ただ、次はどんな手段が使えるのか、考えていただけです」
「あなた……まだ諦めないつもり?」
「サイクロプスの件だってありますし。それに、この町に遊びに来た訳でもありませんからね。折角、手掛かりの一つを掴みかけているんですから。このまま諦めるのは、損ってものですよ」
「手掛かりって……証拠ではないの?」
俺はクリス嬢に頷くと、自分の頭を突いた。
「ユニコーンの力でナターシャの記憶が戻り、逆に俺の記憶が失われた。これで判明したのは、記憶を失う原因が病院で投与されてる薬物かも――ってところまで。あとは、なにか決定打があれば、手掛かりじゃなくて証拠になるんですけど」
答えながら、俺は荷物に忍ばせた二つの小瓶のことを思い出していた。
一つは阿片だけど……問題なのは、もう一つ。正直、薬学とか専門外だしな……調べたところで、中身の正体がわかるかどうか。
だけど、やるだけやってみるしかない。
頭の中に思い浮かんだ案を実行するのは、最後の手段に取っておきたい。
「とりあえずは、調べ物がしたいですね。この街に図書館とかあるんですっけ?」
「さあ……それは、わたくしにも。宿の人に場所を尋ねてきますから、待っていて下さいね」
クリス嬢は一度は立ち上がりかけたが、すぐに座り直して俺に身体を寄せた。
……勢いよく重ねてきた唇を離すと、クリス嬢は俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「もう、無茶はしないで下さい。お願いですから……ね?」
「は……はい。わかりました……」
このときの俺は、毒気の抜けた顔をしていたに違いない。クリス嬢は少し照れたように微笑むと、部屋から出て行った。
俺が起きたのは、昼を少し過ぎたころだったらしい。
昼食を食べてから、俺はクリス嬢と図書館へ向かった。宿の主人が言うには、かなり古い建物らしく、観光の名所であるらしい。
それなら目立つから、探すのはそれほど難しくないはずだ。俺はクリス嬢とそんな話をしながら図書館へと向かったのだが――。
建物自体は、すぐに見つかった。角張った建物は三階建てで、大昔の砦を改築したものらしかった。
宿の主人が言ったように、周囲に観光客らしき人はいた。
だけど――図書館自体は閉鎖されたらしく、その門は固く閉ざされていた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
思春期のころに間違えて、教師やコンビニのおばちゃんなんかに「お母さん」とか言っちゃうのは、きっと黒歴史。
そんな気がするのは自分だけでしょうか?
今回の一件、きっとトトの黒歴史として刻まれることでしょう。
……ああ、忘れたい(汗
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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