青空と黒い空

わたなべ ゆたか

文字の大きさ
5 / 6

4

しおりを挟む
   4

 青空が宿泊するホテルに辿り着いたのは、午後六時半頃だった。
 武田家の本来の予定では、宿の大広間で食事をしているはずの時間だ。しかし――少女の助けはあったものの、自力でホテルに戻った青空を持っていたのは、両親からの説教だった。
 宿の客室で正座させられていた青空に、母親の怒声が飛んだ。

「遅くなるなら、連絡しなさいって言ったでしょ!!」

 身体を竦めながら、青空は小さく頭を下げた。

「……ごめんなさい。電話はしようと思ったけど、電波が届かなくて」

「電波が届かないって――写生をするためだけに、何処まで行ってたの」

「……山の中」

「な――」

 あまりにも予想外な返答だったのか、言葉を失った母親は口をぱくぱくとさせた。その横では、父親が無言で画用紙を眺めていた。
 眼鏡を指で直してから、父親は顔を上げた。

「青空。山に入ったからって、これ一枚を描くだけで、こんな時間にならんだろう。ここは多分……そんなに山奥ってわけじゃないしな。道に迷ったか――でなければ、ほかに行った場所があったんじゃないのか?」

「……なんで、そう思うの?」

 あの場所は、少女の秘密の場所なのに――そう思いながら発した青空の問いに、父親は懐かしそうに目を細めながら、青空の描いた絵へと目を落とした。

「ここはな、お袋――つまり、おばあちゃんのお気に入りの場所だったんだ。ここから見る空が好きだって、よく言ってたよ」

 父親の言葉に、青空は口をぽかんと開けた。それは、あの少女が言っていたことと、まるっきり同じだ。

「お気に入り――例えば、秘密の場所みたいな?」

 青空の言葉に、父親は驚いた顔をした。

「そうだよ……そう言って、笑ってたな。よく、その場所から見る青空が好きだと言っていたよ。お父さんも、二、三回だけ連れて行ってもらったことがある。だから、迷うような場所じゃないことも知ってるんだ。
 青空、絵を描いてから何処に行ってたんだい?」

 父親からの再度の問いに、青空は気恥ずかしそうに答えた。

「……墓場に、行ってた」

「墓場? 共同墓地のことか」

 父親と母親は、青空の返答に顔を見合わせた。
 怒鳴りかけた母親の肩に手を置いて、父親は発言を制した。不満げな母親の視線に、拝むような仕草で返した父親は、青空を真っ直ぐに見た。

「なにをしに行ったんだい?」

「あの……ばあちゃんに、贈り物を置いてきたんだ」

「贈り物?」

「うん。どうしても伝えたいことがあって……絵を置いてきたんだ」

「絵? 絵ならここにあるじゃないか」

 父親が絵の描かれた画用紙を指で示すと、青空は宿に帰ってきてから初めての笑みを浮かべた。
 手を差し出して父親から絵を受け取ると、少しだけ笑顔を取り戻した。

「同じものを二枚描いたんだ。一枚を置いてきた」

 青空は答えてから、ふと思いついたように口を開いた。

「ねえ……僕の名前の由来って知ってる? おばあちゃんから聞いてない?」

 その質問に、父親は目を瞬いた。

「なんでいきなり、そんなことを……なにかあったのかい?」

 真面目な口調の父親に、青空は少し躊躇いながら答え始めた。

「今日ね、少し不思議な女の子と会ったんだ――」

 青空は両親に、黒い服の少女とのやりとりを話し始めた。

   *

「やれやれ。そんなに怒られずに済んだみたいね」

 黒い服を着た少女が、安堵したように肩を竦めた。
 空はすっかり夜の帳が降りて、煌めく無数の星々と三日月が浮かんでいた。島ではもうほとんど車両は動いていないのか、道路を移動するヘッドライトの光は一つだけだ。
 その代わり、港では出航した数隻の漁船が、眩いライトで水面を照らしていた。旅行客を相手にした、夜釣りの船である。

 そんな光景を見下ろしていた少女は、背後を振り返った。
 白髪を結い上げ、農作業でもするような服を着た老婆が、静かに佇んでいた。その視線の先は、青空の一家が泊まっているホテルへと注がれていた。
 少女は老婆に、泰然と言った。

「これで安心した?」

 老婆が頷くと、少女は笑みを浮かべた。

「まったく。あの子が辛辣なことを言うたびに、オロオロしないでよ。心配で、つい見上げちゃったじゃない。とにかく――えっと、武田サチエだったかしら? 孫の心配は、これで一区切りね」

「はい。死神様……本当に、ありがとうございました」

 老婆――サチエが頭を下げると、死神と呼ばれた少女は頷くことで返した。その手にはいつの間にか、大鎌が握られていた。柄の長さだけでも少女の身長の二倍以上もある大鎌は、鈍く月明かりを反射していた。

「まったく……孫の誤解を解きたいだなんて。こんな願いを引き受ける死神は、あたしくらいだからね。そして、完璧にこなせるのも、ね」

 自信満々な表情の少女に、サチエは心底申し訳なさそうに言った。

「ですが……途中で、怪しまれていたような……」

「計画通りよ」

「計画ど……そのあと、必死に誤魔化していなかったですか?」

「名演技だったでしょ」

 答えているあいだ、サチエと目を合わせなかった少女は、「そんなことはどうでもいいの」と、強引に話を終わらせた。

 青空を誘ったとき、つい手を握りそうになったことは、サチエには内緒だ。死神である少女は、その気になれば現世の人間に姿を見せることはできる。だが、互いに触れ合うのはできないのだ。唯一の例外は、大鎌だ。大鎌の刃は、死神がその気になれば、現世の生物や物を切り刻むことができる。

 少女は再び暗くなりかけている景色を見下ろすと、青空のいるホテルで目を止めた。
 二人がいるのはN町の上空、およそ一〇〇メートルの地点だ。
 肌以外は闇に溶け込んでいる少女と違い、ぼんやりとしたサチエの身体は、背後の景色が透き通って見えていた。
 つまりは、霊体である。サチエはもちろんだが、今の少女も常人には見ることができなくなっていた。

 青空は今、ようやく夕食にありつけたところだ。手の平ほどもあるエビに蟹、刺身などの海の幸がふんだんに使われた料理。しかし、当の青空は子ども向けのプリンに夢中だ。

 屋根を透して青空の様子を見ていた少女は、足をバタバタと動かしながら、ふよふよと泳ぐような動きで、サチエに近づいていった。
 大鎌を肩に担ぐと、少女はサチエの手を掴んだ。

「ちょっと見て欲しいものがあるの」

 少女がそう言った途端、二人は大鎌に引っ張られるようにしながら飛翔した。瞬く間に港湾や山を越えた二人は、港の北側にある共同墓地へと舞い降りた。
 サチエの墓の一〇メートルほど上で静止すると、少女はサチエから手を離して、墓前を指した。

「あれを見てくれる?」

 遠目では黒一色で塗られたとしか見えない画用紙が、仏花の前に供えられていた。
 しかし、よく見れば画用紙の左右と下は濃緑色で木々が描かれており、水平線は黒を混ぜた紫、建物は濃い灰色や屋根の色も黒を混ぜた色で塗られていた。
 そして黒一色で塗られた空には、黄色や白で無数の星々や三日月が描かれていた。

 少女は上空から青空が描いた絵を眺めながら、首を傾げた。

「なんで、こんな絵をお墓に置いて行ったんだろうね……サチエはわかる?」

 しばらく無言で青空の絵を眺めていたサチエは、不意に両手で口元を押さえた。もし生身の身体であれば、目に涙が浮かんでも不思議ではないほど、激しい感情の渦に打ち震えていた。
 サチエの感情の変化を感じ取った少女が、微かに目を見広げた。

「……わかったの?」

「ええ……あの子……青空が昼間に言っていたことを、覚えてますか? プラネタリウムや星が好きだって」

「ああ――そういえば、そんなこと言ってたっけ」

「ええ……青空はわたしに自分の好きなものを教えるために、あの絵を描いたのだと思います」

 少女は、感激に震えながら絵を眺めるサチエの視線を追った。
 きっとこの絵は、担任からの評価は低いだろう。全体的に暗いし、小学生の写生においては、やはり青空のほうが受けが良い。
 しかし、と少女は思った。

(サチエにとって、この絵はどんな名画より価値がある一枚になったのね)

 少女は青空のいるホテルの方角へ首を向けると、満面の笑みを浮かべた。

「……やるじゃん、子どものくせに。少しだけ、アフターサービスをしてあげようかな」

 すぐに向き直るや否や、真顔になった少女はサチエに声をかけた。

「さて――そろそろ時間よ。死神によって願いを叶えた……その代償を払って貰わなくちゃね」

 少女の言葉に、サチエは身体を強ばらせた。しかし肩の力を抜いてから、ゆっくりと振り返ったときには、柔和な笑みを浮かべていた。

「このたびは、本当にありがとうございました。わたしは魂だけの存在ですが……どうぞ、お好きになさって下さい」

 そう言って頭を深く垂れたサチエが目を閉じると、少女は大鎌を左手に持ち替えた。

「最初から、そのつもりよ。サチエが支払う代償は――」

 少女は効果的に言葉を切ると、大鎌を持っていない右手でサチエを指した。

「あたしをい~っぱい、抱っこすることよ」

 少女の発言に、サチエは戸惑いの表情を浮かべた。
 時間にして二呼吸分の時間が経ってから、サチエはおずおずと少女に言った。

「あの……それだけでいいんですかね?」

 サチエの言葉、そして表情から、死神へ向けられるべき畏怖や敬意が感じ取れなかった少女は、若干の焦りとともに形の良い眉を吊り上げてみせた。

「そ――そんなわけないでしょ!? 死神へ支払うべき代償は、もっと過酷で、恐ろしいものなんだからっ!!」

 腰に右手を当てた少女は、睨むような目をサチエに向けた。

「本当の代償は、あたしを抱っこしながら、〝いいこいいこ〟も沢山することよ! わかったっ!?」

 目はサチエを睨んでいるが、頬は赤く染まり、口元は「むふー」と緩みきった笑みを浮かべていた。

 全身から「厳しいことを言ってやった――言ってやったわっ!!」という雰囲気を醸し出している少女に、色々と察したサチエは笑みを噛み殺しながら、合わせた両手を顔の前まで挙げた。

「あらあら。それは、たいへんです。一生懸命やらないと」

「そ――そうよ。やっと、理解したようね」

 満足げに頷いてから、少女はサチエの胸の中へと、ふよふよと移動した。いつの間にか、少女の手から大鎌が消えていた。

「それじゃあ早速、代償を払って貰うわ」

 サチエの首に手を回す格好で抱っこされると、少女は子猫のように身体を屈めた。
 少女の身体を抱きかかえたサチエは、やんわりと訊ねた。

「そういえば死神様……なんとお呼びすればいいのでしょう?」

「今まで通り、死神でいいわ。あたしに……あたしたちに名前は意味がないもの」

「あらあら……これは失礼をしました。それでは、死神様――」

 サチエは姿勢を変えて右腕だけで少女身体を支えると、後頭部を左手で撫で始めた。そして少女に慈しむような眼差しを注ぎながら、柔和な笑みを浮かべた。

「青空に出来なかった分も含めて、たーくさん、いいこいいこと抱っこをして差し上げますね。それと……子守歌なんかも、歌ってさしあげましょうか?」

「ホント!? 歌って歌って」

 パッと顔を輝かせながら強請る少女に、微笑みを浮かべたサチエは囁くように歌い始めた。

「ねーんねーんころーりぃよー……」

 江戸時代から伝わる子守歌を口ずさむサチエの姿が、腕の中の少女と一緒に、徐々に薄くなっていった。
 やがて歌声もしなくなったとき、二人は現世から完全に消え去っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした

有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。

異世界転生してしまった。どうせ死ぬのに。

あんど もあ
ファンタジー
好きな人と結婚して初めてのクリスマスに事故で亡くなった私。異世界に転生したけど、どうせ死ぬなら幸せになんてなりたくない。そう思って生きてきたのだけど……。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

聖女を追放した国は、私が祈らなくなった理由を最後まで知りませんでした

藤原遊
ファンタジー
この国では、人の悪意や欲望、嘘が積み重なると 土地を蝕む邪気となって現れる。 それを祈りによって浄化してきたのが、聖女である私だった。 派手な奇跡は起こらない。 けれど、私が祈るたびに国は荒廃を免れてきた。 ――その役目を、誰一人として理解しないまま。 奇跡が少なくなった。 役に立たない聖女はいらない。 そう言われ、私は静かに国を追放された。 もう、祈る理由はない。 邪気を生み出す原因に目を向けず、 後始末だけを押し付ける国を守る理由も。 聖女がいなくなった国で、 少しずつ異変が起こり始める。 けれど彼らは、最後まで気づかなかった。 私がなぜ祈らなくなったのかを。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

処理中です...