青空と黒い空

わたなべ ゆたか

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 青空と少女が辿り着いたのは、山の中にある木々の切れ目だった。
 眼下に見える町並みと港の位置から、南西の方角を向いているようだ。左右に広がる山の裾野の向こう側に町。さらにその向こう側に港と、水平線まで広がる大海原。
 そこには高層ビルの展望台から望む街中とは違い、生き生きとした自然の輝きがあった。

 漁船の荷揚げがあったのか、おこぼれを期待した海鳥の大群が、港の建物の上を飛んでいた。風に乗って島民向けの鮮魚販売の時間について、漁業組合のアナウンスが聞こえてきた。
 海からの風は熱気を含んでいたが、湿気を払ってくれているのか、青空の身体から汗が引いていった。

 景色を眺めていた少女は、少し目を細めながら深呼吸をした。

「風が気持ちいいね……ねえ、あたしの秘密の場所って、良いところでしょ?」

 その意見には、青空も同感だった。
 苦労して歩いて来た山の中が、夏の熱気を含んだ海風が、そして水平線の彼方まで広がる青空の下が、こんなに気持ちいいなんて!
 人生で初めての体験に、疲れさえも吹き飛んでいくような気がしていた。
 青空が目の前の風景に目を奪われていると、左横にいた少女が、ひょっこりと顔を前に出してきた。

「ねぇ。あたし、ここから見る青い空って好きなの。なんかこう……心の中まで澄み渡る感じがして。きっと、君のおばあちゃんも同じだったんじゃないかな」

「……なんのこと?」

 祖母のことを話題に出されて顔を曇らせた青空に、少女は手を広げながら、笑顔で話を続けた。

「君のおばあちゃん、君が産まれてすぐ死んじゃったんでしょ? きっと、それを察していたんだと思うの。君が産まれても、自分は大きくなるまで生きられないって。寝たきりで手紙も書けない。けど産まれてくる君に、せめて自分の好きなものだけでも伝えたかったんじゃないかな」

 小首を傾げるような仕草で、少女は頭上の空を指で示した。

「きっと君の名前は、そんなメッセージが込められてるんだよ」

 そう言って微笑む少女を、青空は半目で見た。

「だからって、名前にするのはどうかと思うよ……からかわれたりするかもって、思わなかったのかな。それに、そういう理由だとさ。もし、ばあちゃんがラーメン好きだったら、俺の名前は武田拉麺になってたかもしれないんだよ?」

 武田ピザに、武田ハンバーガー、武田アンモナイト……青空は、変な名前を次々に挙げていく。表情を強ばらせていた少女は、しかし反論の言葉が思いつかずに、結局は困った顔をした。

「あ~そこはまあ……そうねぇ。あはは……はあ」

 最後に溜息をついた少女は結局、青空の言葉を否定しなかった。
 青空と少女は、なんとなく顔を見合わせると、力なく笑った。どことなく「トホホ」と言いたくなるような、そんな笑みだ。

 青空より先に笑みを消した少女は、気を取り直したかのように腰に両手を当てた。

「まあ、ラーメンはともかく、青空が好きってことを共有したい、伝えたいって気持ちだったと思うの。そこは理解してあげたら?」

「あげたらって……まるで見てきたようなことを言うんだね。さっきも寝たきりとか言ってたし……なんで知ってるの?」

 青空の問われた少女は、あからさまに狼狽えた。

「え? ええっと……そう、推測ってやつよ、うん。想像とか推理とか、そういうやつ。でも、間違ってはないと思うのよ」

「間違ってないって……なんでそう思うのさ」

「それは――女の勘ってことにしておいて」

 そう言うと、少女はすました顔をして、木陰に移動した。そんな態度から、この質問に答えるつもりはないのだと覚った青空は、改めて空を見上げた。

 周囲には雲一つ無く、透き通るほどの青い空が広がっていた。視線を下へと戻すと、近いところには海鳥が、そして遠方には入道雲が見えた。
 太陽の眩しさに目を細めた青空は、どこか晴れ晴れとした表情で少女へと向き直った。

「青空か……僕も、嫌いじゃないよ」

「うん。晴ればかりじゃ色々と困るけど……でもいいよね。青い空って」

 青空は少女の意見に、素直に頷いた。
 言葉が途切れたのを切っ掛けに、心地の良い沈黙が降りた。聞こえてくるのは風が枝葉を擦る音と、車が走る音、それに船の汽笛くらいだ。
 しばらくして、少女は白い指を青空に向けると、含むような笑みを浮かべた。

「ところで、宿題はいいの?」

「あ、そうだ」

 急いで絵の具とパレットの準備をしながら、青空はバケツには水筒の水を注いだ。
 地べたに座り、画板に挟んだ画用紙と目の前の風景を交互に見ていた青空は、「あっ」と、なにかを思いついた顔をした。

「急がなきゃ。二枚書きたいし」

「二枚? なんで? っていうか、二枚も書いてたら、遅くなっちゃうよ? それに絵の具の青が無いんでしょ?」

 怪訝そうな顔で矢継ぎ早に質問をしてくる少女に、青空は得意げな顔をしながら、持っていた黒の絵の具を見せた。

「青はなくても大丈夫! ただ、ちょっと急がないといけないけどね」

 そう言って画用紙に目を落とした青空は、なにかを思い出したように再び少女を見上げた。

「あの……ね。僕が絵を描き終えるまで、待っててくれる?」

「もちろん、いいよ。そのつもりだったしね」

「……ありがとう」

 青空は礼を述べると早速、画用紙に絵の下書きを描き始めた。

   *

 青空が二枚の、ほとんど同じ絵を描き終えたとき、時刻はすでに五時半を過ぎていた。
 夕暮れの赤さはまだ見えていないが、空の青さは僅かに陰り始めていた。少し熱気の下がった風を全身に浴びながら、青空はある種の達成感に包まれていた。
 青空の横には、横に並べるように画板に挟んだ、二枚の絵がある。ほとんど同じ構図の絵と一緒に、パレットやバケツも乾かしていた。

 青空が絵を描いているあいだ木陰で待っていた少女は、青空が道具を片付け終えるのを待って、ようやく口を開いた。

「終わった?」

「うん――あ、ごめんね。時間は大丈夫? 遅くなって、怒られたりしない?」

「うん、大丈夫。時間は……あまり関係ないんだ、あたし」

「いいなぁ。うちはちょこっとだけ、うるさいんだよね……」

 そう言いながらスマートフォンを取り出した青空は、時刻を見て「げっ」と目を見広げた。待機画面に大きく映し出された時刻は、一七時四二分だった。

「ヤバイ、連絡しなきゃ――」

 親のスマートフォンの番号を呼び出そうとしたとき、青空は電波が届いていないことに気がついた。これでは親が連絡をしようとしても、繋がらなかったに違いない。
 母親とは冷戦中だが、それとこれとは別だった。

「マジか――ねえ。そっちのスマホって、電波届いてない?」

「あ、ごめんね。あたし、スマホとかって持ってないの」

「いまどき持ってないの?」

 青空は軽い絶望感に襲われたものの、すぐに我に返った。

「それじゃあ、急がなきゃ」

 絵の具が乾いたことを確かめてから、青空は大慌てで荷物を手に取った。
 忘れ物がないことを確認してから、「よし」と呟いた青空は、少女を振り返った。

「あのさ。案内して欲しいところがあるんだけど」

「いいけど……宿までだったら、親に連絡したほうが早いと思うよ? 町までは案内してあげるし」

 少女の問いを否定するように、青空は首を左右に振った。

「違うよ。墓場までの案内をお願い」

 笑顔で答える青空に、少女は大きな瞳をぱちくりとさせた。
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