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第二章『生き写しの少女とゴーストの未練』
一章-6
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ギリムマギも城塞都市の形式であるため、領主の住む屋敷――いや、砦は街の中央に存在していた。
高い壁に囲まれた砦の最上階に、小太りの男――領主であるボロチン・ハワード男爵が、自室の窓から西門を眺めていた。
団子っ鼻に、皺の刻まれた顔は無精髭で覆われている。下弦の月のような目に分厚い唇と、お世辞にも容姿端麗とは言い難い。
燭台に灯された室内は、品の良い調度類が並んでいるが、どれも骨董品と見間違うほどに古いものばかりだ。
年代物のワインを瓶ごと呷ると、ボロチンは溜息を吐いた。
空になったワイン瓶を執務机に置くと、部屋の隅に控えている下男へと目を向けた。
「兵は揃っているのか?」
「兵士長からの報告では、新たに三名の民兵と、数名の傭兵が参加したようです」
「……民兵は、住民からか?」
「いいえ。隊商と行商人から……と」
下男からの報告に、ボロチンは口の端を曲げた。
「ふむ……まあ精々、壁となってくれれば良いか。隊商には、まだ商人たちがいるのだろう?」
「そのようです」
「なら、あとで彼らも壁となって貰うとしよう。戦力としては、それくらいしか期待できまい。鎧や槍を貸し出せるよう、手配はしておけ」
「……畏まりました」
下男が深々と頭を下げた直後、部屋のドアが静かにノックされた。
「……お父様。今、よろしいでしょうか?」
「入りなさい、カレン」
ボロチンが声をかけると、静かにドアが開かれた。
長い金髪を後頭部で束ねてるが、左前だけは前に垂らしている。数百年前に流行った髪型だが、現在では廃れている。
しかし、ここギリムマギにおける領主の家系では、長女においてのみ、この髪型が受け継がれている。
明るいグリーンの瞳に整った目鼻立ち。右目に泣きぼくろ、唇の両側にあるエクボが特徴的だ。身につけている濃い茶色を基調としたドレスは、装飾の少ない、比較的地味目なものだ。
カレン・ハワードは父親であるボロチンに一礼をすると、入れ替わるように部屋から出て行く下男に、小さく手を挙げた。
「……カレン、どうした?」
「お父様……また街に来た商人を民兵にしたのですか?」
「ああ。それが、どうしたというのだ。街の外は、魔物が出て危険だ。街で保護する代わりに、民兵として街を護って貰うだけだ。それこそ商人たちの言う、交換条件というやつだな」
「ですが――せめて、御挨拶や謝罪は必要です。今晩にでも、わたくしが出向こうと思っております」
「駄目だ。カレン、これは街を――ここの住人たち、強いては、おまえを護るためなのだ。少々の犠牲は、覚悟をせねばならん」
怒鳴りこそしていないが語気を強めたボロチンに、カレンは身を竦めた。
無言のまま、頭を下げ続けるカレンから窓の外へと目を戻すと、ボロチンは静かな声音で告げた。
「おまえは、なにも気にする必要はない。早く寝なさい」
「……はい。畏まりました」
ボロチンの部屋から出たカレンは、そのまま廊下を進んだが、自分の部屋には戻らず、階段を降りた。
一階下へと降りると、階段の近くで待っていた茶髪の女性に近寄った。侍女の制服を着た女性は、カレンを見ると恭しく頭を垂れた。
「カレン様、これから出向かれますか?」
「ああ、マリア。やはり、駄目でしたわ。やはり、貴女に頼むしかなさそうなの」
「お嬢様、お任せ下さい。本日、民兵になった四人の商人たちのことは、事前に調べておきました」
「流石ね、マリア。それでは、お願いしてもいいかしら。彼らに、わたくしが謝っていることを伝えて頂戴ね」
「お任せ下さい」
最敬礼をしたマリアは、心配そうなカレンに見送られながら廊下を進んでいった。
*
西門での布陣を命令された俺たち四人は、配給された夕食を食べていたんだけど……正直に言って、不味い。
黒パンに干し肉、それに水だけの食事だ。味気ないだけならまだしも、不味すぎて食が進まない。
食事を水で流し込む――水だけは、飲み放題だ――って食事なんて、何年ぶりだろう。
「……兵士の食事にしては、手を抜きすぎだなぁ」
「そうなの?」
俺たちとは違ってアリオナさんだけは、平然と食事を口に入れている。故郷の村――山賊たちに滅ぼされたが――では、かなり酷い食事だったんだろうか。
フレディやメリィさんも、食事はあまり進んでいない。
ほかの民兵や傭兵たちは、こんな食事でも平気なのか――とか思っていると、一人の傭兵の怒鳴り声が聞こえてきた。
「おい、いい加減にしろよ! 昨日も今日も、こんな糞不味い飯しか出さねぇとか、巫山戯てんのか!?」
「そ、それは、わたしに言われても……」
給仕をしている中年の女性は、ただの住人らしい。ボサボサ頭の傭兵に詰め寄られて、顔が恐怖で歪んでいた。
周囲にいる民兵や傭兵たちは、誰もその傭兵を止めようとはしなかった。
民兵なんかは傭兵への恐怖感や、関わりたくないという気持ちが表情に表れていた。しかし他の傭兵たちは、むしろ同調しているような感じだ。
傭兵たちのあいだでも食事に対する不満は、かなり大きいらしい。
「まったく……」
俺は立ち上がると、女性に食ってかかっている傭兵へと近寄った。
濃い茶色の髪をした傭兵は、簡素な鎧に籠手、脛当てという、軽戦士風の装備に身を包んでいた。
髪色と同じ色をした目を真っ向から受けながら、俺は傭兵と給仕の女性とのあいだに割って入った。
「この人に文句を言っても、仕方ないでしょ。文句は、街の領主へ言うべきじゃないですか?」
「……なんだ、てめーは」
「今日、民兵になったばかりの商人です」
俺の返答を聞いた傭兵は、俺を睨み付けた。怒りというより、相手を威圧するための表情なんだろう。
ワザと歪めたような口で、傭兵は諭すように言ってきた。
「あのなぁ……どうせ、今晩にも無駄死にするテメーには関係ねぇかもだけどな。こっちは毎日毎日、こんな糞不味い飯を食わされてるんだぜ? そりゃ文句の一つも出るってもんだろ」
「いやあ、無駄死にするつもりはないんですけどね。でも、それならなおのこと、文句は領主に言うべきじゃないですか? 食事の手配をしてるのも、どうせ領主なんでしょうから」
俺が街の中へ指先を向けると、その傭兵は怒りの形相で詰め寄って来た。
「領主に文句が言えるもんなら、もう言ってらぁ! 糞生意気なことを言ってると――」
その言葉の途中で、数人の衛兵がやってきた。
「なんの騒ぎだ!」
「チッ――鬱陶しい奴らが来やがった」
衛兵の接近に気付いた傭兵は、俺と給仕の女性から遠ざかってしまった。
衛兵たちは、その傭兵のほうへ行ってしまった。あとに残された俺は、給仕の女性に声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「ええ……ありがとうございます」
「それは良かった。でも正直、食事の不味さも原因ですけど……ずっと、こんな食事なんですか?」
「いいえ。最初は、もっとマシだったと思います。ですが、ここ半月くらいは……こんな感じになってしまってます」
「半月も?」
給仕の女性の返答に、俺は本気で驚いた。そりゃまあ……あの傭兵が怒りたくなるのもわかる気がする。
この前――大体、一ヶ月半くらいだ――、ギリムマギに来たときは、魔物騒ぎの気配すらなかったのに。
俺は大きく息を吸ってから、給仕の女性に問いかけた。
「あの魔物たちは、いつから現れたんですか?」
「そこからは、わたくしからお話しましょう」
声がしたほうを見ると、侍女っぽい服装の女性が佇んでいた。
さっきから《力》を使ってなかったこともあって、彼女が近づいて来ることに、俺はまったく気付かなかった。
俺は少し警戒をしつつ、侍女っぽい女性に問いかけた。
「あなたは、どこの誰です?」
「わたくしは、御領主であるボロチン様の御息女、カレン・ハワード様の侍女、マリアと申します。カレン様からの言づても含めて、お話をさせて下さいませんか?」
領主の娘……か。マルドーは、彼女こそが敵の狙いって言っていた。なら、その彼女の使いという侍女から話を聞くことは、俺たちにとっても利点がある。
そんなわけで。
俺はマリアさんを連れて、アリオナさんたちのところへ戻った。
ちょっと険しめなアリオナさんの視線や、怪訝そうにしているフレディやメリィさんに出迎えられた俺は、マリアさんのことを誤解の無いように説明した。
だってほら……アリオナさんに嫌われたくないし。
借金持ちで、正確に重大な欠点のある俺が、アリオナさんと恋仲になっちゃ駄目だと思ってる。
だけど、それはそれ。これは、これだ。
女の子に声をかけまくってるナンパ野郎などと、嫌われたくはない。
こうして、無事にアリオナさんの誤解も解け、フレディやメリィさんも状況を把握したあと、マリアさんは立ったまま話を始めた。
「先ほど、クラネスさんが質問をしていたことから、お話しましょう。ギリムマギが魔物に襲われたのは、約一ヶ月ほど前からです。最初は二、三体だった魔物も、次第に増えてきて……今では数十体ほどが押し寄せている状況です」
「……そんな、ええっと……数十体も襲ってきてるんですか?」
鸚鵡返しな俺の問いは、アリオナさんへの説明を兼ねている。
マリアさんは小さく頷いてから、説明を続けた。
「最初の魔物を斃したあと、街の領主であらせられるボロチン様は、即座に戒厳令を出されました。街の周囲は危険であるから、誰であろうと外には出すな――と。旅人などについては、民兵として雇い入れることで滞在を援助、納税や農産物や家畜の搬入につきましては、街の外にて受け取りを行っております。魔物は周囲の村や集落を無視して、ギリムマギのみを襲っておりますので、このような対応になっているのだと思います」
なるほど……街の外での受け渡しというのは、領民に対する例外なんだろうな。魔物の襲撃に対して、反応が早すぎるような気もするけど……ボロチンって領主の情報が少なすぎて、判断できない。
俺と似たようなことを考えたのか、フレディが口を開いた。
「マリア殿と申されましたか。いささか、御領主の動きが速いような気がしてなりません。魔物の襲撃が続くと、どこかで知った――という話は御座いませぬか?」
「……いいえ。わたくしは、そこまで存じ上げません。ただ、カレン様が……あの夜、誰かと話をしていたようだ、と」
そこで話していた人物から、魔物の襲撃のことを聞いたんだろうか?
話を聞いて詳しい状況が掴めるかと思ったけど、違う謎がでてきてしまった。俺たちが沈黙していると、マリアさんは深々と一礼をした。
「カレン様からは、皆様への謝罪の言葉を預かっております。本来であれば、カレン様が直々に皆様に謝りたいと申されておりましたが……ボロチン様のお許しが出ず、それが叶いませんでした」
なんの慰めにもならないけど、なにもないよりはマシ……って感じか。
そんなことを考えていて反応が遅れた俺に代わり、フレディがマリアさんに頷いた。
「……そうでしたか。伝言、確かに承りました。カレン様にも、よろしくお伝え下さい」
「はい。確かに。それでは、皆様のご健闘を武運をお祈りしております」
そう言って踵を返そうとしたマリアさんに、メリィさんが慌てて声をかけた。
「あの、すいません! わたしたちは、街から出ることはできるんでしょうか?」
そのメリィさんの問いに、マリアさんは静かに首を振った。
「申し訳御座いません。わたくしには、その問いに答えられる立場にありません」
失礼いたします――最後にそう言って、マリアさんは去って行った。
前のほうから怒声が響き渡ったのは、その直後だった。
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