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第四部『二人の帰郷、故郷の苦境』
三章-5
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瑠胡の屋敷は瓦屋根をもつ、石造りの建物だった。二階建てで、横幅は三〇マーロン(約三七メートル五〇センチ)ほどもある。
金属製の扉のある玄関を中心に、窓が左右に三つずつ並んでいる。一人で住むには、かなり大きな屋敷だろう。
瑠胡の部屋は、二階に上がる階段の真正面にある。
ランドの家に持ち込んでいるため、家具は畳と呼ばれる床に、棚が一つ置いてあるだけだ。あとは布団と呼ばれる寝具が二つあるが――これは瑠胡の私物ではなく、帰郷した瑠胡とセラのために用意されたものだ。
下駄を脱いで畳の上に座る瑠胡は、ずっと浮かない顔をしている。同じ部屋に通されたセラは、瑠胡の横に腰を落ち着けた。
「瑠胡姫様、質問をしても宜しいでしょうか。どうして、真実を話しては頂けなかったのですか? いえ、わたしは構いませんが……せめて、ランドには」
「……神の御子神と知られてみよ。ランドは妾への恋慕など、絶対に口にせぬだろう。そのようなこと、妾には耐えきれぬ」
「神の子でも……ですか?」
「神の子とて、耐えきれぬ感情はある」
返答はするが、瑠胡は顔を伏したままだ。セラは次の言葉に迷いながら、ランドが案内された部屋の方角へと目を向けた。
廊下の突き当たりにあるその部屋の前には、ランドを案内した女官が立ち続けている。
どうやらランドが己の選択について考えるのを、瑠胡が邪魔をしないよう見張っているようだ。
瑠胡は膝の腕で組んだ両手を、モジモジと動かしている。ランドがどんな選択をするのか、不安で仕方が無いのだと――セラは表情から、そう読み取った。
「やはり腰をすえて、ランドと話し合うべきかと存じます」
「だが……どのような話をすれば良い? ランドは神になど興味はなかろう。そのような欲求は、かなり薄いように見える」
「そうでしょうね。それでも……今からでも、話をするべきです」
「そなたは――」
瑠胡は僅かに顔を上げると、横目にセラを見た。
「なぜ、そこまで妾を気遣う? ランドが妾から離れれば、そなたが……つがいとなろう」
「かも、しれません。ですが、最初から申しておりますように、お二人の邪魔をする意志は、わたくしには御座いません。お二人の仲を取り持つのが、わたくしの役目だと心得ておりますよ」
セラは立ち上がると、瑠胡に手を差し出した。
「ランドのところに、行きましょう。そして、二人で納得のいくまで、話をなさって下さい」
「セラ――」
瑠胡は躊躇いながら、セラの手を取った。
ゆっくりと立ち上がった瑠胡から手を離すと、セラは部屋の扉を開けた。
「さあ、ランドのところへ」
「……わかった。妾とて、このまま終わらせる気など、毛頭ない」
ようやく目に光が戻った瑠胡に、セラは僅かに微笑んだ。
「それでは、ともに参りましょう」
セラのあとを追うように、瑠胡も自室から出た。
*
女官に案内された部屋は、来客用だったのか……それとも別の用途があるのか、俺にはわからない。
畳という、なにかの植物を編んだ床が敷き詰められた部屋は、土足が禁止ということで、ブーツは脱いで上がっている。普段なら、慣れないことへの違和感で落ち着かないんだろうけど……今の俺は、そんなことよりも瑠胡のことで頭が一杯だった。
竜神の子、神の末裔。そして跡取りとなった以上、ゆくゆくは竜神となる存在。
つがい――俺たちはまだ、正式に夫婦ってわけじゃない。
だけど……麟玉王妃が言うには瑠胡と結ばれるために、俺は瑠胡たちと同じ天竜族にならなくてはいけない。
それは人間であること――親や妹、そして今まで出会ってきた人々との絆を、捨てるということだ。
俺は、神になりたいわけじゃない。
向いてない、柄じゃない、そして興味がない。それに、人間としての生活を捨てるなんて、俺には無理だ。
メイオール村に戻って、前のように生きる。それが俺が俺のままで生きるためには、最良の選択なんだろう。
このまま村に戻ってからの生活――それを考えていると、部屋の扉が静かに開かれた。
扉から入って来た人影に、俺は目を逸らしたい衝動に駆られた。
「セラ……それに、瑠胡」
「ランド――」
互いの名を呼び合ってから、部屋の中に再び沈黙が降りた。
ブーツを脱いだセラが畳に上がりながら、瑠胡に手を差し出していた。
「瑠胡姫様、話し合いをしに来たのですから。ランドも、いいな?」
「話し合い――?」
怪訝な顔をしていると、畳の上に上がってきた瑠胡が俺の前に腰を降ろした。
「ランド、今更……と思うかもしれませんが、すべてをお話致します」
そう前置きをして、瑠胡は話を始めた。長い――天竜族が龍神と呼ばれる、さらに上位の神の眷属であること。そして東の海や河を護りつつ、同族であるドラゴンの衰退に気を揉んでいたこと。
そして、瑠胡の目的――。
「……ドラゴンの衰退を止めるため……他の種の血を混ぜる? なら、俺じゃなくたって」
「いいえ。強き者の血で無ければ意味がありません。少なくとも、わたくしに勝てる強さを持つ者でなければ。でも、あのとき――ランドに負け、そして命を助けられてからは、それも二の次になりました」
「二の次?」
「はい。あなたに……選ばれたいと、そればかりを願っていました。それだけは――どうか信じて下さい」
「そんな、とってつけたような――」
「いや、ランド。メイオール村で暮らし始めた当初から、瑠胡姫様の想いは変わっていない。わたしは直接、話を聞いたからな。間違いはない」
セラの発言に、俺は目を丸くした。
俺だけ蚊帳の外だったのか――と思うよりも先に、瑠胡とセラが親しげなときがあったことを思い出していた。
色々な思い――文句や愚痴も含めて――が頭の中で交錯する中、俺は一番冷静な言葉を探し当てた。
「その気持ちは嬉しいです。でも――俺は、神にはなれません」
「そ――」
絶句した瑠胡の顔は、まるで世界の終末を目の当たりにしたようだった。手が、小刻みに振るえているのが見える。
俺に近寄ろうと立ち上がろうとする気配はあったが、力が入らないのか、結局は四つん這いのような格好で、近寄って来た。
「ランド、そんなこと言わないで下さい。わたしを――拒絶しないで」
「瑠胡を拒絶したわけじゃないです。ただ神の一族には、なるつもりがない。それだけなんですよ」
俺は瑠胡の顔から目を逸らしながら、拳を固く握った。
「瑠胡――瑠胡姫様が神の末裔だって知っていたら、俺は好意を伝えなかったでしょう。俺に、その役割は重すぎる。さっきまで、ずっと村に戻って、元の生活をすることを考えてました。でも――」
「なんで……そんなこと、言わないでっ!!」
恐らく――俺の前では初めてのことかもしれない。俺の言葉を遮り、感情を剥き出しにして叫んだ瑠胡は、俺の両肩を掴んできた。
「切っ掛けは――わたしにとって、すべての切っ掛けはランド――あなたなんです。わたしの心の中を掻き乱し、こんなにも強い欲求を抱かせたのは、あなたなのに! わたしを……今更、わたしを独りにしないで」
瑠胡の瞳からは、涙があふれていた。
まだなにか言おうと、口を開きかけた瑠胡を手で制してから、俺は瑠胡の瞳に目を向けた。
「まだ、話は終わってなくて。神になるのは、俺にとって重すぎる。でも――村で元の生活に戻ろうと、何度も考え続けました。でも……どうしても、その中に瑠胡の姿が出てくるんです」
そう告げながら、俺は瑠胡の肩に頭を預けた。
「もう、頭の中はぐちゃぐちゃですよ。俺は……どうすればいいんでしょうね」
「ランド……ごめんなさい。まさか、兄上が父上の後継になるのを断っていたなんて。わたくしは前にも話したように、あなたと下界で暮らすつもりでしたのに」
「お兄さんは、なんで断ったんでしょうね」
どうして急に、後継を断ったんだろう?
面倒だって言ってたけど、それがすべての理由じゃ無い気がする。
そんなことが、ふと頭に思い浮かんだ俺は、瑠胡の肩から頭を上げた。俺はまだ、与二亜という瑠胡の兄の真意を、なにも知らない。
ふと見れば、似たようなことを思ったのか、瑠胡も似たような顔をしていた。
「……兄上の真意を知りたいです。そして、できることなら」
「説得をしてみたいです。瑠胡のお兄さんが後継になれば――」
「はい。問題はなくなります」
俺と瑠胡は、しばらく見つめ合ったあと、ほぼ同時に立ち上がった。
横で見ていたセラは、苦笑をしながら俺たちを交互に見た。
「二人とも、なにをするか決めたようですね」
「まあな」
「セラ、妾たちは兄上のところへ行く。御主も来るが良い」
それからすぐに、俺たちは瑠胡の屋敷を出た。
玄関から少し進んだところで、白い衣に赤い……袴という衣類を着た少女と出くわした。
「瑠胡姫様っ!? そんな、泣き腫らした顔で、どこへ行かれるのですか!」
「おお、紀伊か。丁度良いところに。兄上がどこにおるか、知らぬか?」
「与二亜様でしたら、お屋敷に戻られました」
「そうか。かたじけない」
紀伊という女性に礼を述べた瑠胡が、俺に目配せをした。
どうやら、屋敷まで案内をするってことみたいだ。俺は無言で頷き返すと、セラと一緒に先を歩く瑠胡のあとをついて歩き出した。
なにもせずに、ただ運命に翻弄されるなんて御免だ。乗り越えられない壁が立ちはだかるなら、ぶっ壊してやろうなじゃいか。
与二亜を必ず説得してみせる――そんな闘志が、俺と瑠胡に満ち始めていた。
そんなとき、後ろから足音が聞こえてきた。
「瑠胡姫様? 姫様! ちょっと――待って下さい!」
背後を振り返ると、俺たちのあとを追いかけてくる紀伊の姿が見えた。
四人となった俺たちは、一〇〇マーロン以上も離れた場所にある、与二亜の屋敷へと向かった。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
実のところ、かなり似たものカップルですよね、な回です。
特に障害を乗り越えるんじゃなく、まずは正面突破をしようとするところ。
余談ですが、中の人の場合、障害は迂回したくなるタイプです。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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