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私と夫の話②

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父からのマンションは部屋数が十分にあり、私の私室と夫の書斎を持つことができた。
入居の際にベッドを持ち込んだ私に、僕も書斎で寝た方がいいだろうかと聞いた彼に、なんと答えたものかわからなかったので、曖昧に笑って頷いた時、私たち夫婦の道は途絶えてしまったのかもしれない。
最後に会話したのはいつだろうか、
彼がジムに入会しようと思う、と言った時だったか、ああ違う、私が猫を飼ってもいいかと聞いた時だ。
新しく家族に迎えた愛猫は、意外なことにほとんど家にいない夫によく懐いた。彼女が女の子だからだろうか。

夫婦で暮らしているはずなのに一人暮らしと変わらない寂しさに耐えかねて迎えた猫だったのに、私は今も孤独なままだ。廊下ですれ違いざまに抱き上げた猫も、すぐに体を捩って抜け出して、夫の元へ帰ってしまう。私もあんな風に、夫の部屋の前で甘く鳴いたら部屋へ入れて、ベッドへ入れてくれるのだろうか。

この状態を招いたのは自分のはずなのに、どうやっても上手く歩み寄ることができない。


夫は最近のジム通いの甲斐あってか、元々余計な肉はなかったもののさらに精悍になり、スーツがよく似合う。
一方私は、出会った頃の若さもカップにキスしたいじらしさもなくなって、ただのくたびれた潤いのないおばさんになってしまった。

同時期に結婚した友人たちは、子どものことや夫の不倫疑惑やらパート先の人間トラブルやらで、まるで私とは違う世界のように慌ただしく生活している。


夫は誰か女の人がいたりするのだろうか、そう考えると、言い表せない澱んだ心持ちになる。

銀行には綺麗で若い女性が沢山いるだろうし、続かないと思っていたジム通いが続いているのは、特別な関係の女性がそこにいるのかもしれない。
家に閉じこもっている私とは違い、夫には晴れ晴れとした外の世界がいくらでも広がっているような気がする。

趣味は雑貨屋巡りとお菓子作り程度の、愛情も面白みもない妻が家にいる、仕事のできる顔のいい男とはどういう気持ちがするのだろう。



そんな私に父から呼び出しがあったのは、結婚9年目の冬、つまり今日の午後だった。

迎えに来た父の車に乗り込むと、懐かしい父の車のにおいに目を細めた。

「今日は何のお話し?」

「ああ、うん、まあ、家についてから、」

まっすぐ前を向いて運転する父を眺めながら、子どものことかな、と考えていた。

今まで何も言わず、放っておいてくれたことの方が異常なくらいだった。

父も母も子ども好きで、昔から孫を楽しみにしていた。それこそ私がそれなりに大きくなってからは、まだ見ぬ未来の孫の話を二人でよくしていた。

私たちとは違って仲の良い二人だった。昔からずっと。

実家に着くと、懐かしい母のおかえり~の声と甘いバターの香り。

私もこんな風に温かい家庭を築けるものだと思っていた。

「それで、話なんだけど。」

「うん、なあに?」

母が例の薄いコーヒーを運び、午前中に焼いたんだろうマドレーヌの入ったカゴを置いた。

「お父さん、退職しようと思って。」

「えっ、ええ?お父さんいくつ?」

「50だけど、銀行は定年まで働いても給料が下がるの知ってるだろう。うちも早期退職制度が設けられたから、早めに退職して、ほら、別荘あるだろう。あそこで生活しようと思うんだ。百合子とゆっくり、なあ。」

「そうなの。少し遠くなっちゃうけど香織ちゃん寂しい?大丈夫?この家売っちゃっていい?」

「えっ、ああ、そんなんだ、いや二人がそうしたいなら私が言うことはないっていうか、う~ん、寂しいは寂しいんだけど。」

「ああ、修司くんは出世コースに乗ってるから歳を取っても大丈夫だ、安心しなさい。」


母の甘い焼き菓子に、薄いコーヒーはよく合う。

「お母さん、マドレーヌ、もらって帰ってもいいかなあ。」

「いいわよう。かごごともっていきなさい。お父さんどうせ食べないんだから。」


あったら食べるぞ、と拗ねるように言った父用に二つマドレーヌを置いて、かごを抱えて家を出た。

父の運転する車に揺られながら、ぼんやりと流れていく景色を見送っていた。

父が上司じゃなくなったら、彼が私と結婚している意味なんてあるんだろうか。実家の温かい空気から、まだ抜け出せないでいる。

マンションに着いて車をおりて、玄関扉へ鍵を差し込んで開錠して扉を開く、玄関には、夫が帰ってきたと思った愛猫が座って待っている。

「あらコロ、ただいま~」

お前なんかおよびじゃない、と言わんばかりに、彼女はリビングへ戻って行く。その後を追うように、リビングに入りキッチンで手を洗い、マドレーヌの入ったかごをオーブンの横へ置いて、ソファでスマートフォンを眺める。

数日前に撮っておいた、お気に入りの雑貨屋に張り出されていた求人募集の張り紙を読み返した。

彼を解放して、一人で生活して行くくらいの稼ぎは得られそうだ。

このマンションは父の持ち物だから、自分が出て行く、なんて言い出しそうだな、と真面目な夫のことを考える。
そうなったら、コロも連れて行ってしまうのだろうか。

そうなったら寂しすぎる。
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