2 / 28
私と夫の話②
しおりを挟む父からのマンションは部屋数が十分にあり、私の私室と夫の書斎を持つことができた。
入居の際にベッドを持ち込んだ私に、僕も書斎で寝た方がいいだろうかと聞いた彼に、なんと答えたものかわからなかったので、曖昧に笑って頷いた時、私たち夫婦の道は途絶えてしまったのかもしれない。
最後に会話したのはいつだろうか、
彼がジムに入会しようと思う、と言った時だったか、ああ違う、私が猫を飼ってもいいかと聞いた時だ。
新しく家族に迎えた愛猫は、意外なことにほとんど家にいない夫によく懐いた。彼女が女の子だからだろうか。
夫婦で暮らしているはずなのに一人暮らしと変わらない寂しさに耐えかねて迎えた猫だったのに、私は今も孤独なままだ。廊下ですれ違いざまに抱き上げた猫も、すぐに体を捩って抜け出して、夫の元へ帰ってしまう。私もあんな風に、夫の部屋の前で甘く鳴いたら部屋へ入れて、ベッドへ入れてくれるのだろうか。
この状態を招いたのは自分のはずなのに、どうやっても上手く歩み寄ることができない。
夫は最近のジム通いの甲斐あってか、元々余計な肉はなかったもののさらに精悍になり、スーツがよく似合う。
一方私は、出会った頃の若さもカップにキスしたいじらしさもなくなって、ただのくたびれた潤いのないおばさんになってしまった。
同時期に結婚した友人たちは、子どものことや夫の不倫疑惑やらパート先の人間トラブルやらで、まるで私とは違う世界のように慌ただしく生活している。
夫は誰か女の人がいたりするのだろうか、そう考えると、言い表せない澱んだ心持ちになる。
銀行には綺麗で若い女性が沢山いるだろうし、続かないと思っていたジム通いが続いているのは、特別な関係の女性がそこにいるのかもしれない。
家に閉じこもっている私とは違い、夫には晴れ晴れとした外の世界がいくらでも広がっているような気がする。
趣味は雑貨屋巡りとお菓子作り程度の、愛情も面白みもない妻が家にいる、仕事のできる顔のいい男とはどういう気持ちがするのだろう。
そんな私に父から呼び出しがあったのは、結婚9年目の冬、つまり今日の午後だった。
迎えに来た父の車に乗り込むと、懐かしい父の車のにおいに目を細めた。
「今日は何のお話し?」
「ああ、うん、まあ、家についてから、」
まっすぐ前を向いて運転する父を眺めながら、子どものことかな、と考えていた。
今まで何も言わず、放っておいてくれたことの方が異常なくらいだった。
父も母も子ども好きで、昔から孫を楽しみにしていた。それこそ私がそれなりに大きくなってからは、まだ見ぬ未来の孫の話を二人でよくしていた。
私たちとは違って仲の良い二人だった。昔からずっと。
実家に着くと、懐かしい母のおかえり~の声と甘いバターの香り。
私もこんな風に温かい家庭を築けるものだと思っていた。
「それで、話なんだけど。」
「うん、なあに?」
母が例の薄いコーヒーを運び、午前中に焼いたんだろうマドレーヌの入ったカゴを置いた。
「お父さん、退職しようと思って。」
「えっ、ええ?お父さんいくつ?」
「50だけど、銀行は定年まで働いても給料が下がるの知ってるだろう。うちも早期退職制度が設けられたから、早めに退職して、ほら、別荘あるだろう。あそこで生活しようと思うんだ。百合子とゆっくり、なあ。」
「そうなの。少し遠くなっちゃうけど香織ちゃん寂しい?大丈夫?この家売っちゃっていい?」
「えっ、ああ、そんなんだ、いや二人がそうしたいなら私が言うことはないっていうか、う~ん、寂しいは寂しいんだけど。」
「ああ、修司くんは出世コースに乗ってるから歳を取っても大丈夫だ、安心しなさい。」
母の甘い焼き菓子に、薄いコーヒーはよく合う。
「お母さん、マドレーヌ、もらって帰ってもいいかなあ。」
「いいわよう。かごごともっていきなさい。お父さんどうせ食べないんだから。」
あったら食べるぞ、と拗ねるように言った父用に二つマドレーヌを置いて、かごを抱えて家を出た。
父の運転する車に揺られながら、ぼんやりと流れていく景色を見送っていた。
父が上司じゃなくなったら、彼が私と結婚している意味なんてあるんだろうか。実家の温かい空気から、まだ抜け出せないでいる。
マンションに着いて車をおりて、玄関扉へ鍵を差し込んで開錠して扉を開く、玄関には、夫が帰ってきたと思った愛猫が座って待っている。
「あらコロ、ただいま~」
お前なんかおよびじゃない、と言わんばかりに、彼女はリビングへ戻って行く。その後を追うように、リビングに入りキッチンで手を洗い、マドレーヌの入ったかごをオーブンの横へ置いて、ソファでスマートフォンを眺める。
数日前に撮っておいた、お気に入りの雑貨屋に張り出されていた求人募集の張り紙を読み返した。
彼を解放して、一人で生活して行くくらいの稼ぎは得られそうだ。
このマンションは父の持ち物だから、自分が出て行く、なんて言い出しそうだな、と真面目な夫のことを考える。
そうなったら、コロも連れて行ってしまうのだろうか。
そうなったら寂しすぎる。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
兄様達の愛が止まりません!
桜
恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。
そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。
屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。
やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。
無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。
叔父の家には二人の兄がいた。
そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる