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僕と妻の話④
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彼女が初めてしてくれたお願い事は、猫を飼うことだった。
好きでも嫌いでもなかった猫という生き物は、彼女と間接的に抱き合うことが出来る。
布団が気に入ったのか、彼女はよく俺の部屋で眠った。白い色をしたふわふわのかたまりは、あたたかく俺の足元で眠る。
もう数年拗らせてしまった彼女との距離は詰められないまま。
俺の大学の時の些細な恋愛ごっこ程度の知識ではどうしようもなくて、もう自分の妻になっている彼女との関係は始まらないまま終わってしまうかもしれない。
世間が年末に向けて転がっていく中、いつも通り朝食を食べて仕事に行き、
いつもと変わらない業務をこなし、帰宅した。
玄関を開けると、いつも通りコロが駆け寄ってくる。
彼女がどんな可憐な名前をつけるのかと思っていたその毛は長いのに足の短い可愛らしい猫は、コロという犬みたいな名前で呼ばれている。
その名前を聞いた時は予想外すぎて笑ってしまって、彼女は拗ねたように笑った。
リビングへ入ると、彼女はソファの端に座っていた。
「ただいま。」
「おかえりなさい。」
いつもよりもきっちりした格好で、所在なさげに、若干俯いて座っているその背中は、さみしげに見えた。
「出かけてたんですか。」
「はい、父に呼ばれて実家に。
少しお話しいいですか。」
彼女との改まった会話は、いつ別れを切り出されるかといつも僅かな緊張を伴う。
それを振り払うように、手を洗ってくる旨を伝え、洗面所へ向かった。そのまま部屋で部屋着に着替えて、ちょろちょろとついてきたコロを抱き上げて、リビングへ戻ってテーブルについた。
彼女の目元が僅かに赤く腫れていて、瞬きするまつ毛が濡れていて胸が跳ねる。俺は彼女の笑った顔すらまともに見たこともないばかりか、もちろん泣き顔なんて見たこともなくて、たまらない気持ちになる。
彼女がする辛い思いは、すべて取り除いてあげたい。今すぐ抱き寄せて、その悲しみを全てほどいてあげられたらいいのに。
「あの。」
「その前に。」
話を始める前に手のひらで制して、そのまま指先で目尻に触れると、彼女の肩がびくりと震えた。
「ああ、失礼、泣いていた理由を聞いても?」
「分かりますか、いえ、大した理由じゃないんです。」
俺はそんなの関係ない、と拒絶されなかったことに少なからず安堵して、彼女の濡れた頬に触れた指先を握り込んだ。
彼女が目元を擦って、お茶を口に含む。
ごくりと呑み下す音がこちらまで届いて、今から始まる話がとんでもなく重要なことのように思えて、握り込んだ指先がじんと痺れるように痛んだ。
「父が、退職するらしくて、
別荘で暮らすと。」
予想に反して穏やかな話題をふられて、ほっと自分の分のお茶に口をつけた。
俺の前には湯呑み、彼女はいつも日本茶でもマグカップを使う。
揃いのマグカップで俺も飲みたかったな、なんて考えてみても、この家には俺と彼女の揃いのマグカップなんて置いていなくて、
所在なくテーブルの上の綺麗に個装されたマドレーヌに手を伸ばす。
甘いものはそんなに好きじゃないけれど、彼女の作った洋菓子は甘さが柔らかで優しい味がして好きだ。まるで彼女そのもののような気がする。
いつもなら個装用の袋に入れてある程度なのに、今日のは綺麗にシーリングして可愛らしいカードで上の方を挟んでホチキスで止めてある。
紙を挟み込んでいる芯を後ろから起こして丁寧に外して、挟んでいたカードを胸ポケットにしまった。
自室の引き出しにしまうためだ。
呑気にそんなことをしていた俺は、それから始まる話の方が本題だなんてよそうもしていなかったんだ。
好きでも嫌いでもなかった猫という生き物は、彼女と間接的に抱き合うことが出来る。
布団が気に入ったのか、彼女はよく俺の部屋で眠った。白い色をしたふわふわのかたまりは、あたたかく俺の足元で眠る。
もう数年拗らせてしまった彼女との距離は詰められないまま。
俺の大学の時の些細な恋愛ごっこ程度の知識ではどうしようもなくて、もう自分の妻になっている彼女との関係は始まらないまま終わってしまうかもしれない。
世間が年末に向けて転がっていく中、いつも通り朝食を食べて仕事に行き、
いつもと変わらない業務をこなし、帰宅した。
玄関を開けると、いつも通りコロが駆け寄ってくる。
彼女がどんな可憐な名前をつけるのかと思っていたその毛は長いのに足の短い可愛らしい猫は、コロという犬みたいな名前で呼ばれている。
その名前を聞いた時は予想外すぎて笑ってしまって、彼女は拗ねたように笑った。
リビングへ入ると、彼女はソファの端に座っていた。
「ただいま。」
「おかえりなさい。」
いつもよりもきっちりした格好で、所在なさげに、若干俯いて座っているその背中は、さみしげに見えた。
「出かけてたんですか。」
「はい、父に呼ばれて実家に。
少しお話しいいですか。」
彼女との改まった会話は、いつ別れを切り出されるかといつも僅かな緊張を伴う。
それを振り払うように、手を洗ってくる旨を伝え、洗面所へ向かった。そのまま部屋で部屋着に着替えて、ちょろちょろとついてきたコロを抱き上げて、リビングへ戻ってテーブルについた。
彼女の目元が僅かに赤く腫れていて、瞬きするまつ毛が濡れていて胸が跳ねる。俺は彼女の笑った顔すらまともに見たこともないばかりか、もちろん泣き顔なんて見たこともなくて、たまらない気持ちになる。
彼女がする辛い思いは、すべて取り除いてあげたい。今すぐ抱き寄せて、その悲しみを全てほどいてあげられたらいいのに。
「あの。」
「その前に。」
話を始める前に手のひらで制して、そのまま指先で目尻に触れると、彼女の肩がびくりと震えた。
「ああ、失礼、泣いていた理由を聞いても?」
「分かりますか、いえ、大した理由じゃないんです。」
俺はそんなの関係ない、と拒絶されなかったことに少なからず安堵して、彼女の濡れた頬に触れた指先を握り込んだ。
彼女が目元を擦って、お茶を口に含む。
ごくりと呑み下す音がこちらまで届いて、今から始まる話がとんでもなく重要なことのように思えて、握り込んだ指先がじんと痺れるように痛んだ。
「父が、退職するらしくて、
別荘で暮らすと。」
予想に反して穏やかな話題をふられて、ほっと自分の分のお茶に口をつけた。
俺の前には湯呑み、彼女はいつも日本茶でもマグカップを使う。
揃いのマグカップで俺も飲みたかったな、なんて考えてみても、この家には俺と彼女の揃いのマグカップなんて置いていなくて、
所在なくテーブルの上の綺麗に個装されたマドレーヌに手を伸ばす。
甘いものはそんなに好きじゃないけれど、彼女の作った洋菓子は甘さが柔らかで優しい味がして好きだ。まるで彼女そのもののような気がする。
いつもなら個装用の袋に入れてある程度なのに、今日のは綺麗にシーリングして可愛らしいカードで上の方を挟んでホチキスで止めてある。
紙を挟み込んでいる芯を後ろから起こして丁寧に外して、挟んでいたカードを胸ポケットにしまった。
自室の引き出しにしまうためだ。
呑気にそんなことをしていた俺は、それから始まる話の方が本題だなんてよそうもしていなかったんだ。
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