15 / 31
15・予感
しおりを挟む
カーシェスは握ったコップに口をつけ、喉を鳴らして水を飲み干してから、空を見上げた。
「あいつは基本、人の話を聞くような女じゃないけど、それはあいつのことだから。だけどさ、俺の行動に関してはすべて、俺が引き受けたいからな。俺、あいつに「行くな」って、一言かけることをサボったんだ。怠けたそのときの自分に、俺は納得していない」
「どうして、言わなかったの?」
「そうなんだよ、聞いてくれよ! 土地がこんな風にすさんだせいで、俺はまともに動けないくらい、具合が悪くなったんだ! あいつはなんとかしなくてはいけないと思ったんだろうな……本当にいい女だよ! 俺もあいつが、ちょっと出かけてくる程度というか、軽く考えていた。だから、行くと言われても、たいして気にしてなくてな! 結果、もう何年会っていないんだか」
「さみしいの?」
カーシェスはあっさりと、否定的に首を振った。
「今は、そうでもない。正直、あいつが幸せにしていてくれたら、別に帰ってこなくてもいいんだ、俺は。だけど、ミリムがな……まだ小さかったから。母親の記憶がないって思うと、俺はそのことの方が、どうしようもなくさみしいんだよな」
カーシェスはふと首をかしげて、セレルを見た。
「おまえ、変だろ」
「私?」
変なのは目の前にいる赤髪の男の方だ、と思ったが、思考は彼の言葉にさえぎられる。
「変だ。妻を美しすぎると褒めたたえることを珍しいとか、ロラッドがサボりで出て行くことをうじうじ気にするとか、俺の話を聞いているときは呆れた顔が基本とか、おかしい!」
「おかしくないと思うけど。特に最後」
「なんだ、難しい年ごろ……反抗期か? それとも愛情不足か?」
「全然違うでしょ」
セレルは急に嫌な気分になって、不機嫌に立ち上がる。
「おい、セレル! そんなお前にぴったりな話をこれからしてやる。俺のイモたちを育てる愛情論だ、聞きたいだろ!」
セレルは騒ぐカーシェスを無視して、その場を離れた。
畑では今も、ミリムがせっせとたねいもを植えている。
──私にとってはたった一人の、愛おしい父上なのです。
ミリムのつぶやきが、ふと蘇ると、なぜか心がざわついた。
カーシェスと話をしてから数日後、セレルは畑仕事をサボってばかりいるロラッドの部屋を訪れることにした。
慣れないことをしているせいか、極度の緊張で、握りしめた手が汗ばんでいる。
おそるおそるノックをしたが、返事もない。
セレルは少しドアノブをまわして、ちいさく声をかけた。
「ロラッド、あの……お元気ですか?」
返事がないまま、時間だけが過ぎていく。
ふと、この部屋の奥には、誰もいないような気がした。
思ってしまうと、セレルはその可能性に耐え切れなくなる。
ためらいながらも部屋に立ち入り、速足に進むと、セレルがミリムと一緒に使っているものと、よく似た部屋が現れた。
寝台の上で、ロラッドが眠っている。
セレルはほっとして、足取りを止めた。
横顔の、きれいな輪郭に目を引かれる。
色素の薄い髪を無造作に散らし、その下にあるあどけない寝顔は、整った唇が少し開いていて、それが妙な色気を滲ませていた。
思わず見とれていたが、両腕の中に鞘に包まれた短剣を抱えていることに気づいて、感情がすっと冷える。
ほぼ同時に、ロラッドは息をのむ俊敏さで身を起こした。
逃げる一瞬の判断すら与えず、セレルの手首が掴まれる。
鮮やかな緋色のまなざしが、動けば命を奪われる確信すら覚えるほどの冷酷さで、セレルを射抜いた。
「あ、セレルか」
相手をセレルだと認めた瞬間、ロラッドの殺意は消えた。
そうしてようやく、セレルは自分の身体が極度の緊張で痺れていることに気づく。
心臓が激しく打ち、死を前にした恐怖にさらされていた。
もし、ロラッドにその意思があれば、簡単に殺されている。
怯えを悟られないようにと、セレルはいつも通りを意識して、言葉を絞りだした。
「勝手に入って、驚かせたよね。ごめん」
「いや。俺が悪かった。近づいてくるやつは全部警戒するのが染みついていて。でもかなり鈍ってるな」
「鈍ってる?」
「ああ、うん……」
ロラッドは珍しく、あまり言いたくなさそうに目を伏せる。
「あいつは基本、人の話を聞くような女じゃないけど、それはあいつのことだから。だけどさ、俺の行動に関してはすべて、俺が引き受けたいからな。俺、あいつに「行くな」って、一言かけることをサボったんだ。怠けたそのときの自分に、俺は納得していない」
「どうして、言わなかったの?」
「そうなんだよ、聞いてくれよ! 土地がこんな風にすさんだせいで、俺はまともに動けないくらい、具合が悪くなったんだ! あいつはなんとかしなくてはいけないと思ったんだろうな……本当にいい女だよ! 俺もあいつが、ちょっと出かけてくる程度というか、軽く考えていた。だから、行くと言われても、たいして気にしてなくてな! 結果、もう何年会っていないんだか」
「さみしいの?」
カーシェスはあっさりと、否定的に首を振った。
「今は、そうでもない。正直、あいつが幸せにしていてくれたら、別に帰ってこなくてもいいんだ、俺は。だけど、ミリムがな……まだ小さかったから。母親の記憶がないって思うと、俺はそのことの方が、どうしようもなくさみしいんだよな」
カーシェスはふと首をかしげて、セレルを見た。
「おまえ、変だろ」
「私?」
変なのは目の前にいる赤髪の男の方だ、と思ったが、思考は彼の言葉にさえぎられる。
「変だ。妻を美しすぎると褒めたたえることを珍しいとか、ロラッドがサボりで出て行くことをうじうじ気にするとか、俺の話を聞いているときは呆れた顔が基本とか、おかしい!」
「おかしくないと思うけど。特に最後」
「なんだ、難しい年ごろ……反抗期か? それとも愛情不足か?」
「全然違うでしょ」
セレルは急に嫌な気分になって、不機嫌に立ち上がる。
「おい、セレル! そんなお前にぴったりな話をこれからしてやる。俺のイモたちを育てる愛情論だ、聞きたいだろ!」
セレルは騒ぐカーシェスを無視して、その場を離れた。
畑では今も、ミリムがせっせとたねいもを植えている。
──私にとってはたった一人の、愛おしい父上なのです。
ミリムのつぶやきが、ふと蘇ると、なぜか心がざわついた。
カーシェスと話をしてから数日後、セレルは畑仕事をサボってばかりいるロラッドの部屋を訪れることにした。
慣れないことをしているせいか、極度の緊張で、握りしめた手が汗ばんでいる。
おそるおそるノックをしたが、返事もない。
セレルは少しドアノブをまわして、ちいさく声をかけた。
「ロラッド、あの……お元気ですか?」
返事がないまま、時間だけが過ぎていく。
ふと、この部屋の奥には、誰もいないような気がした。
思ってしまうと、セレルはその可能性に耐え切れなくなる。
ためらいながらも部屋に立ち入り、速足に進むと、セレルがミリムと一緒に使っているものと、よく似た部屋が現れた。
寝台の上で、ロラッドが眠っている。
セレルはほっとして、足取りを止めた。
横顔の、きれいな輪郭に目を引かれる。
色素の薄い髪を無造作に散らし、その下にあるあどけない寝顔は、整った唇が少し開いていて、それが妙な色気を滲ませていた。
思わず見とれていたが、両腕の中に鞘に包まれた短剣を抱えていることに気づいて、感情がすっと冷える。
ほぼ同時に、ロラッドは息をのむ俊敏さで身を起こした。
逃げる一瞬の判断すら与えず、セレルの手首が掴まれる。
鮮やかな緋色のまなざしが、動けば命を奪われる確信すら覚えるほどの冷酷さで、セレルを射抜いた。
「あ、セレルか」
相手をセレルだと認めた瞬間、ロラッドの殺意は消えた。
そうしてようやく、セレルは自分の身体が極度の緊張で痺れていることに気づく。
心臓が激しく打ち、死を前にした恐怖にさらされていた。
もし、ロラッドにその意思があれば、簡単に殺されている。
怯えを悟られないようにと、セレルはいつも通りを意識して、言葉を絞りだした。
「勝手に入って、驚かせたよね。ごめん」
「いや。俺が悪かった。近づいてくるやつは全部警戒するのが染みついていて。でもかなり鈍ってるな」
「鈍ってる?」
「ああ、うん……」
ロラッドは珍しく、あまり言いたくなさそうに目を伏せる。
11
あなたにおすすめの小説
聖女追放 ~私が去ったあとは病で国は大変なことになっているでしょう~
白横町ねる
ファンタジー
聖女エリスは民の幸福を日々祈っていたが、ある日突然、王子から解任を告げられる。
王子の説得もままならないまま、国を追い出されてしまうエリス。
彼女は亡命のため、鞄一つで遠い隣国へ向かうのだった……。
#表紙絵は、もふ様に描いていただきました。
#エブリスタにて連載しました。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
最強令嬢とは、1%のひらめきと99%の努力である
megane-san
ファンタジー
私クロエは、生まれてすぐに傷を負った母に抱かれてブラウン辺境伯城に転移しましたが、母はそのまま亡くなり、辺境伯夫妻の養子として育てていただきました。3歳になる頃には闇と光魔法を発現し、さらに暗黒魔法と膨大な魔力まで持っている事が分かりました。そしてなんと私、前世の記憶まで思い出し、前世の知識で辺境伯領はかなり大儲けしてしまいました。私の力は陰謀を企てる者達に狙われましたが、必〇仕事人バリの方々のおかげで悪者は一層され、無事に修行を共にした兄弟子と婚姻することが出来ました。……が、なんと私、魔王に任命されてしまい……。そんな波乱万丈に日々を送る私のお話です。
叶えられた前世の願い
レクフル
ファンタジー
「私が貴女を愛することはない」初めて会った日にリュシアンにそう告げられたシオン。生まれる前からの婚約者であるリュシアンは、前世で支え合うようにして共に生きた人だった。しかしシオンは悪女と名高く、しかもリュシアンが憎む相手の娘として生まれ変わってしまったのだ。想う人を守る為に強くなったリュシアン。想う人を守る為に自らが代わりとなる事を望んだシオン。前世の願いは叶ったのに、思うようにいかない二人の想いはーーー
【完結】ロザリンダ嬢の憂鬱~手紙も来ない 婚約者 vs シスコン 熾烈な争い
buchi
恋愛
後ろ盾となる両親の死後、婚約者が冷たい……ロザリンダは婚約者の王太子殿下フィリップの変容に悩んでいた。手紙もプレゼントも来ない上、夜会に出れば、他の令嬢たちに取り囲まれている。弟からはもう、婚約など止めてはどうかと助言され……
視点が話ごとに変わります。タイトルに誰の視点なのか入っています(入ってない場合もある)。話ごとの文字数が違うのは、場面が変わるから(言い訳)
奥様は聖女♡
喜楽直人
ファンタジー
聖女を裏切った国は崩壊した。そうして国は魔獣が跋扈する魔境と化したのだ。
ある地方都市を襲ったスタンピードから人々を救ったのは一人の冒険者だった。彼女は夫婦者の冒険者であるが、戦うのはいつも彼女だけ。周囲は揶揄い夫を嘲るが、それを追い払うのは妻の役目だった。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる