【完結】僻地がいざなう聖女の末裔

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆

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19・狂気

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 一角獣の狂暴な鉤爪が、ロラッドの肩に食い込んだ。

 ロラッドは落ち着いた動きで飛び退いたが、その肩にはすぐ赤い染みが広がり、したたり落ちる。

 むせかえりそうな血の匂いに、セレルは声を震わせた。

「ロラッド、逃げ……」

 言葉を終える間もなく、獣の呼気がふきかかる。

 気づいたのとほぼ同時に、一角獣は首を伸ばして、セレルめがけて血に染まった牙を剥く。

 セレルは目をつぶると、とっさに両腕を上げて身体を縮めた。

 直前、ロラッドがセレルをかばうようにおおいかぶさり、その背面に牙が突き立てられる。

 わずかにある隙間から、セレルの手が傷んだ。

 初めての感覚だった。

 噛まれた傷口が凍てついたかのように冷えたかと思うと、未知の激痛に炙られる。

 身体の芯を、根こそぎ吸い尽くされているようだった。

 セレルの喉から悲鳴が漏れるのを聞き、ロラッドから表情が削がれていく。

 静謐な殺気を隠そうともせずロラッドは身を翻すと、セレルを抱きかかえたまま、怪我をしているとは思えない俊敏さで跳躍した。

 そして少し離れたところにセレルを置いて身軽になると、再び追随してきた巨獣へと距離を詰め、無慈悲なほど的確な動きで数撃を加えていく。

 一角獣が崩れ落ちるように地に伏すとロラッドは間合いを取り、血まみれの美貌をカーシェスに向けた。

「こいつが守護獣?」

 ロラッドの異様に開いた瞳孔に見つめられ、カーシェスはひるんだが、それでも必死に言い募る。

「あ、ああ。俺も見たのは初めてだ。ずいぶんみすぼらしくて気づかなかったけれど……その額の石と角が、涸れ森の石像とそっくりだ!」

 ロラッドが視線を向けると、一角獣はよろめく身体を起こす。

 そして戦意を失ったように、片足を引きずりながら、足早に涸れ森へと逃げていった。

 ロラッドはその姿が見えなくなるまで直立していたが、やがて、膝をついて屈む。

 ひどい姿だった。

 プラチナブロンドの髪色は深紅に染まり、あちこちに痛々しい傷跡が残っている。

 そこから、死を思わせる濃い血の匂いが流れてきて、セレルは愕然とした。

 「行って」と言われたのに。

 動けず、足手まといになったせいだ。

 セレルは手足の痛みもわからなくなり、夢中で身体を引きずってロラッドに近づいていく。

 それより早く、カーシェスはミリムに待っているように伝えて、ロラッドへ駆け寄った。

「ロラッド! おまえ、ひどい怪我だ……立てるか?」

 手を差し伸べるカーシェスに対しロラッドは顔を上げず、けん制するように片手を向ける。

「触るな」

 カーシェスは気圧されたように、その場から動けなくなる。

 上げているロラッドの手を、セレルが掴んだ。

 ロラッドの顔つきが、ふと和らぐ。

 狂気に取りつかれていたような先ほどの様子との落差に、セレルの胸が悲しみで締め付けられる。

 言葉はなくても、見つめてくるさびしげな眼差しが、セレルのことを案じていることは明らかだった。

 会った時と、同じだ。

 死を思わせるほどに冷えたその手に、意識を集中させながら、セレルはそのまま倒れこむ。

 立ち上がる力すら、惜しかった。

 ロラッドが口を開こうとしたので、先回りして遮る。

「意地張ってないで、触らせて」

 助けたい。

 セレルは目を閉じ、祈るように力をこめた。

 振れているてのひら以外の、あらゆる感覚が鈍っていく。

 ただ、ロラッドの手はあたたかくて、心地よかった。

 遠くで声が聞こえる。

 セレルは包み込んだ手に力をこめたまま、意識を手放していた。



 
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