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19 男爵令息との晩餐
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◇
「おかぁしゃま、おそらにうさぎ!」
「本当ね、うさぎの顔みたい。かわいいわ」
男爵領へ向かう馬車の中で、エトワールは窓の外を見て、嬉しそうに指をさした。
ふわふわした雲が、ちょうど耳の長い動物の形をしている。
向かいに座る公爵は相変わらずの無表情。
明らかに“どう反応していいのかわからない”顔をしている。
(もしかしなくても、子供との会話が一番の難関なのね)
私は苦笑しながら、間を取り持つように話題を振った。
「旦那様も、雲が何かに見えたら教えてください」
「そうだな。あれは……魔力循環の配置に即した理論モデルを想起させる」
エトワールはしばし無言のまま雲を見つめ、そっと首を傾げた。
「あのくも、むずかちぃ……」
「……そうか」
「あい……」
エトワールは公爵のことを「お父様」と理解しているみたいだけど、まだその呼び名を口にすることはない。
話す声もどこか遠慮がある。
それからしばらく、馬車の進む音だけがのどかに響いた。
気づけば私は、エトワールを抱きしめたまま、ふたりで眠ってしまったらしい。
目を覚ますと公爵がすぐそばにいて、私は彼の肩に頭を預けていた。
(私とエトが起きないように、支えてくれていたのね)
「旦那様、次に雲の見立てをするときは、エトが知っているものにしてはいかがですか?」
「なるほど。『召喚陣の円環構造』と言えばよかった」
「そこは『エトの召喚』でいいと思います」
「最適解だ」
少しずつだけど、私たちの関係は変わってきている。
そんな気がした。
それから数日の馬車旅を経て、ようやく滞在先の男爵領に到着する。
◇
「はるばるお越しくださり、誠にありがとうございます」
招待された男爵別邸で出迎えてくれたのは、男爵令息ノウジョアン。
彼は天才魔道具師の令嬢、ラボラの婚約者でもある。
ラボラは領の外れにある工房に引きこもっているため、まずは彼に手紙を送っていたのだ。
正直、私の“悪喰”の噂を聞いて、会うことすら拒まれるのではと少し心配していた。
けれど、そんな不安は杞憂だった。
ノウジョアンは丁寧ながらも気さくな態度で迎えてくれて、豪華な晩餐の席まで用意してくれたのだ。
男爵領の野菜をふんだんに使った料理はどれも鮮やかで、見た目にも楽しく、味も格別だった。
「アルージュ様はあの冷徹な公爵閣下の心を射止めたご夫人にして、絵画や作曲の才能にも長け、さらに独創的な調味料や菓子で公爵領を発展させている。“ぜひ一度お会いしたい”と噂の方から、直接お声をいただけるなんて、夢のようです!」
どうやら、私の噂は帝国中に広まっているらしい。
そういえば、最近は赤髪を見られても、もう怖がられなくなった。
私の隣では、エトワールがこくこくと麦茶を飲んでいる。
「お会いして、さっそくアルージュ様の多才さを目の当たりにしました。おかげで我が領に新たな特産ができそうです」
この領地では農作物がたくさん取れるせいか、自生していた大麦が雑草扱いだったという。
「麦茶はお腹に優しいので、子どもや体の弱い方にぴったりですよ」
「しゅっきり、おいちいっ」
エトワールが両手でカップを抱え、幸せそうに笑う。
(そうだわ。公爵領の学舎や孤児院にも提供したら、きっと喜ばれる。公爵が戻ったら提案してみよ)
というのも、公爵は現在お仕事中。
男爵領に現れた異界の植物、『マナの実』の駆除に出向いているのだ。
「閣下は昔から強く、孤高の美しさは人を寄せ付けないほどでした。しかし……アルージュ様を見つめる目は、とても優しいですね」
(見つめるっていうか、見張ってるのよね)
どうやら、知らない人にはロマンチックに見えるらしい。
あの顔面偏差値で見つめられたら、結構心臓に悪いんだけど。
私が曖昧に微笑むと、ノウジョアンは人懐っこい顔で頷いた。
「閣下の奥様への愛が、ひしひしと伝わってきます。僕も見習わないと」
「……ノウジョアン様は、本当にラボラ様のことを大切に思っていらっしゃるんですね」
「もちろんです。ラボラの、農家の方々を助けようとする優しさは本物です!」
ノウジョアンの声に熱がこもってくる。
「それに、少し口下手なのに、魔道具には一晩中話しかけられるところとか、料理をちょっと大爆発させるところも、とても愛おしいです!」
(欠点もかわいいってやつね)
そして噂通り、ラボラは個性的な令嬢のようだ。
「ただ……僕は、ラボラの気持ちを、わかってあげられていません」
ノウジョアンのナイフでステーキを切っていた手が、ふと止まった。
「なにか、気になることでもあるのですか?」
「……実は先日、アルージュ様との面会について説明するために、公爵閣下の名を出したんです。するとラボラは何度も言葉に詰まって、『その方の話は聞きたくない』と言いまして」
(え、公爵。まさか嫌われてる?)
「旦那様が以前、ラボラ様に何か無礼なことを?」
「いえ、そんなはずは! ラボラは閣下と面識すらありません。ただ以前、僕が閣下にお会いした時の感動を少し語ったら、黙り込んでしまったこともあって」
(おや? それはそれで気になる反応ね)
「そういえば、以前お送りした羊羹はお口に合いました?」
「ええ! 本当に美味しくて、ラボラも喜ぶと思って一緒に食べたんです。それで僕、『アルージュ様のお菓子は素晴らしい』と話したら……ラボラは何度も言葉に詰まって、『その話はしたくない』と言いまして……僕は完全に嫌われてしまったんです」
「そうとは限りませんよ」
「……え?」
不安げに私を見るノウジョアンに、私は微笑んだ。
(もしかしてラボラは、やきもちを焼いているのかもしれないわね)
「気づいたことがあるので、ラボラ様への手紙の宛先を教えていただけますか?」
◇
そして翌日。
ラボラから、早馬で返事が届いた。
「そ、そんな……! アルージュ様、どうやってラボラの気を引いたんですか!?」
「これからお会いすれば、わかりますよ」
ラボラは私の手紙を読んで、すぐ返事をくれた。
天才魔道具師の心とハンドミキサー、両方とも動かしてみせる。
(スイーツのためなら、突撃あるのみ!)
朝日に目を細めながら、私は馬車に乗り込んだ。
「おかぁしゃま、おそらにうさぎ!」
「本当ね、うさぎの顔みたい。かわいいわ」
男爵領へ向かう馬車の中で、エトワールは窓の外を見て、嬉しそうに指をさした。
ふわふわした雲が、ちょうど耳の長い動物の形をしている。
向かいに座る公爵は相変わらずの無表情。
明らかに“どう反応していいのかわからない”顔をしている。
(もしかしなくても、子供との会話が一番の難関なのね)
私は苦笑しながら、間を取り持つように話題を振った。
「旦那様も、雲が何かに見えたら教えてください」
「そうだな。あれは……魔力循環の配置に即した理論モデルを想起させる」
エトワールはしばし無言のまま雲を見つめ、そっと首を傾げた。
「あのくも、むずかちぃ……」
「……そうか」
「あい……」
エトワールは公爵のことを「お父様」と理解しているみたいだけど、まだその呼び名を口にすることはない。
話す声もどこか遠慮がある。
それからしばらく、馬車の進む音だけがのどかに響いた。
気づけば私は、エトワールを抱きしめたまま、ふたりで眠ってしまったらしい。
目を覚ますと公爵がすぐそばにいて、私は彼の肩に頭を預けていた。
(私とエトが起きないように、支えてくれていたのね)
「旦那様、次に雲の見立てをするときは、エトが知っているものにしてはいかがですか?」
「なるほど。『召喚陣の円環構造』と言えばよかった」
「そこは『エトの召喚』でいいと思います」
「最適解だ」
少しずつだけど、私たちの関係は変わってきている。
そんな気がした。
それから数日の馬車旅を経て、ようやく滞在先の男爵領に到着する。
◇
「はるばるお越しくださり、誠にありがとうございます」
招待された男爵別邸で出迎えてくれたのは、男爵令息ノウジョアン。
彼は天才魔道具師の令嬢、ラボラの婚約者でもある。
ラボラは領の外れにある工房に引きこもっているため、まずは彼に手紙を送っていたのだ。
正直、私の“悪喰”の噂を聞いて、会うことすら拒まれるのではと少し心配していた。
けれど、そんな不安は杞憂だった。
ノウジョアンは丁寧ながらも気さくな態度で迎えてくれて、豪華な晩餐の席まで用意してくれたのだ。
男爵領の野菜をふんだんに使った料理はどれも鮮やかで、見た目にも楽しく、味も格別だった。
「アルージュ様はあの冷徹な公爵閣下の心を射止めたご夫人にして、絵画や作曲の才能にも長け、さらに独創的な調味料や菓子で公爵領を発展させている。“ぜひ一度お会いしたい”と噂の方から、直接お声をいただけるなんて、夢のようです!」
どうやら、私の噂は帝国中に広まっているらしい。
そういえば、最近は赤髪を見られても、もう怖がられなくなった。
私の隣では、エトワールがこくこくと麦茶を飲んでいる。
「お会いして、さっそくアルージュ様の多才さを目の当たりにしました。おかげで我が領に新たな特産ができそうです」
この領地では農作物がたくさん取れるせいか、自生していた大麦が雑草扱いだったという。
「麦茶はお腹に優しいので、子どもや体の弱い方にぴったりですよ」
「しゅっきり、おいちいっ」
エトワールが両手でカップを抱え、幸せそうに笑う。
(そうだわ。公爵領の学舎や孤児院にも提供したら、きっと喜ばれる。公爵が戻ったら提案してみよ)
というのも、公爵は現在お仕事中。
男爵領に現れた異界の植物、『マナの実』の駆除に出向いているのだ。
「閣下は昔から強く、孤高の美しさは人を寄せ付けないほどでした。しかし……アルージュ様を見つめる目は、とても優しいですね」
(見つめるっていうか、見張ってるのよね)
どうやら、知らない人にはロマンチックに見えるらしい。
あの顔面偏差値で見つめられたら、結構心臓に悪いんだけど。
私が曖昧に微笑むと、ノウジョアンは人懐っこい顔で頷いた。
「閣下の奥様への愛が、ひしひしと伝わってきます。僕も見習わないと」
「……ノウジョアン様は、本当にラボラ様のことを大切に思っていらっしゃるんですね」
「もちろんです。ラボラの、農家の方々を助けようとする優しさは本物です!」
ノウジョアンの声に熱がこもってくる。
「それに、少し口下手なのに、魔道具には一晩中話しかけられるところとか、料理をちょっと大爆発させるところも、とても愛おしいです!」
(欠点もかわいいってやつね)
そして噂通り、ラボラは個性的な令嬢のようだ。
「ただ……僕は、ラボラの気持ちを、わかってあげられていません」
ノウジョアンのナイフでステーキを切っていた手が、ふと止まった。
「なにか、気になることでもあるのですか?」
「……実は先日、アルージュ様との面会について説明するために、公爵閣下の名を出したんです。するとラボラは何度も言葉に詰まって、『その方の話は聞きたくない』と言いまして」
(え、公爵。まさか嫌われてる?)
「旦那様が以前、ラボラ様に何か無礼なことを?」
「いえ、そんなはずは! ラボラは閣下と面識すらありません。ただ以前、僕が閣下にお会いした時の感動を少し語ったら、黙り込んでしまったこともあって」
(おや? それはそれで気になる反応ね)
「そういえば、以前お送りした羊羹はお口に合いました?」
「ええ! 本当に美味しくて、ラボラも喜ぶと思って一緒に食べたんです。それで僕、『アルージュ様のお菓子は素晴らしい』と話したら……ラボラは何度も言葉に詰まって、『その話はしたくない』と言いまして……僕は完全に嫌われてしまったんです」
「そうとは限りませんよ」
「……え?」
不安げに私を見るノウジョアンに、私は微笑んだ。
(もしかしてラボラは、やきもちを焼いているのかもしれないわね)
「気づいたことがあるので、ラボラ様への手紙の宛先を教えていただけますか?」
◇
そして翌日。
ラボラから、早馬で返事が届いた。
「そ、そんな……! アルージュ様、どうやってラボラの気を引いたんですか!?」
「これからお会いすれば、わかりますよ」
ラボラは私の手紙を読んで、すぐ返事をくれた。
天才魔道具師の心とハンドミキサー、両方とも動かしてみせる。
(スイーツのためなら、突撃あるのみ!)
朝日に目を細めながら、私は馬車に乗り込んだ。
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