幸せのカタチ

杏西モジコ

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幸せのカタチ5

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 幸介が薬を飲みベッドへ戻った際に合鍵を借りた。夜も何か食べれるようにと、フルーツゼリーを冷蔵庫に入れておいたが、栄養も偏るため、明日も様子を見に来ると申し出たのだ。
「小まめに水分は摂ってくださいね」
 枕元にスポーツドリンクとミネラルウォーターのペットボトルを一本ずつ置いた。近寄った律也からはいつものシャンプーの香りがしない。
「冷たいのより常温の方が良いらしいのでこのままにしておくね。何か欲しいものあったら連絡して」
「うん、わかった」
 先程は冷たく言い放った癖して結局は律也に甘えてしまう。子どもみたいだと分かっていながら幸介は律也を強く離すことが出来なかった。手放したくない気持ちもある癖に、それを今伝えたとしても彼の中では整理がつかないとも思った。同時に自分の揺らいでばかりの気持ちも落ち着かせるためにも、何も言わずに側にいたいと願った。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「まだ昼間なのに」
「昼間だけど、ちゃんと寝ててくださいよ。じゃあ、またね」
 そう言って静かにドアを閉めて出ていった。




 律也は一度帰ってシャワーを浴びると、仕事の時間まで仮眠をとった。結局、昨晩はあまり眠れず、やっと眠れたと思ったのにアラームよも先に目が覚めていた。寝不足のまま流石に仕事はできない。大きな欠伸をしながら髪の毛をドライヤーで乾かすと、ベッドにダイブしてそのまま眠った。


 夢の中で律也はピアノを弾いていた。
 真っ白な壁に大きなステンドガラスの窓が印象的な教会の中だった。純白のドレスに身を包むのは自分の姉の姿。そして、その横に立っていたのは自分のかつての想い人。静かなピアノの音色に合わせて、真っ赤なバージンロードの先から、二人が自分の横を幸せそうに通り過ぎていく。
 どこからともなく聞こえる祝福の声と鐘の音。ライスシャワーに囲まれて二人は扉の外へ出ていった。
 それでも律也はピアノの音を止めなかった。かつて好きになった姉の恋人は、律也のピアノの音を綺麗だと、ずっと聴いていたいと言ったのを思い出す。鍵盤を指先で弾くたびに胸が痛んだ。
 またか、また自分はこうやって自分の気持ちを押し殺すのか。
 手放す勇気も、立ち入る勇気もない。だからまた『友人が欲しい』だなんて適当に丁度いいセリフを言ったんだ。
 彼を友達だと思うだけで、きっと割り切れると思ったから……。


 目を覚ますと薄らと涙を浮かべていた。律也は鼻をすすりながら身体を起こして仕事へ行く準備をする。胸をえぐるような気分だった。嫌なモヤモヤとしたものが胸の奥を刺激する。
 大きな溜息をついて、洗面所へ顔を洗いに向かった。




 律也のあの顔が忘れられなかった。泣きそうな、不安そうな顔。自分の言い方が悪かったのは事実。手放したくない、ただの友人のはずだった。なんだ、このモヤつきは。張り裂けそうな鬱陶しい感じが、苛立ってくる。
 熱のせいで汗が額に噴き出て、身体もべたりとして気持ち悪い。口の中も渇いて、生唾を飲み込む事さえ難しい。
 身体を起こし、律也が置いて行ったスポーツドリンクを開けた。久々に水分を喉に流し込んだ様な気分だった。
 起きたついでに着替えをしようとクローゼットを開け、奥から寝巻きを取り出して着替えを始めた。洗濯カゴに先程まで着ていた寝巻きを入れ、タオルを引っ張り出して顔を洗った。冷たい水が心地良い。ベッドに戻ろうかと思ったが、ソファーの上に畳まれた毛布が目に入った。
 あんなに優しくて良い子に、なんて言い方をしたんだろうと、ますます自分が嫌になる。
 幸介は溜息をつき、畳まれた毛布の横に座るとローテーブルに手を伸ばして招待状の封を開けた。日取りは二ヶ月後。招待状の返信は今月末までだった。葉書を中から取り出して、欠席、出席の文字を交互に見つめる。ソファーの横に置きっ放しになっていた仕事用の鞄からボールペンを取り出した。
 行かない選択肢は無い。だが、見届ける勇気はたぶん……。
 そんな風に考えているのに、頭の中では律也のあの顔がチラついた。
 ボールペンの芯を出して、勢いよく出席に丸をつけた。後は適当にサラサラとペンを走らせる。おかしなことにあれだけ招待状に嫌悪感を抱いていた癖に、スラスラと書けてしまった。違和感が残る。なんだろうか。祥太を吹っ切れた訳ではない。たぶん。でも、別に痛む場所がもう無かった。
 自分が変だと思った。なんだろう、この意味のわからないモヤつきは。律也の顔が再びチラつく。関係ないだろう、彼は。
 幸介は返信葉書を書き終わらせ、ベッドに入った。きっと、熱のせいで思考がおかしくなっている。きっとそうだ。きっと……。


 目が覚めたのは夜の九時過ぎだった。体温計で熱を計るとだいぶ下がっていた。
 もうすぐで律也の仕事も終わる。彼が来る前にシャワーを浴びておこうとベッドから抜け出した。
 下着を取り出して浴室へ向かおうとすると、ガチャンと玄関の鍵が開く音がした。
「あ、幸介さん。ただいま。熱下がったんですか?シャワー大丈夫?」
 玄関のドアが開き、両手に買い物袋を沢山提げた律也が入ってきた。
「律也くん、仕事は……?」
「あぁ。今日花金なのにそんな混まなくて……。さっさと上がっちゃいました」
 あははと、笑いながら自分の家の様にキッチンへ向かう。買い込んだものを容器に移し替えたり、冷蔵庫に仕舞い込んでいた。
 彼のことだ。きっと自分を心配して早引きさせてもらったんだろう。
 幸介は胸の奥がきゅっと締まるような感覚がして、思わず胸をさすった。立ちっぱなしで律也の姿を幸介がぼうっと眺めていると、律也が心配そうに眉をハの字に寄せながら顔を覗き込んでくる。
「幸介さん?まだ熱ある?」
「え、あぁ……大丈夫、下がったから。シャワー浴びてくるね」
「うん、気をつけてね」
 洗面所のドアを閉めた。なんだろうか。昼間のあのモヤモヤとした気持ちは綺麗に消えてしまった。覗き込まれた瞬間、目が合って顔が熱くなった。また熱でも上がったかと錯覚もしたが、そうではなさそうだ。
「うわぁ……」
 思わず声を漏らした。こんなことで一喜一憂をするのか。三十越えても全く成長をしていないというか、なんというか……。
 嬉しくて、苦しい。そんな気持ちが渦を巻いた。
「さっきは……ごめん。本当に」
「えっ?」
 律也は何のことだというようにキョトン顔をした。このタイミングで言うものでは無かったことに気がついた幸介は、濡れた頭をバスタオルで拭きながら苦笑いをする。
「あの……昼間、少し当たっちゃったから」
「あぁ……良いんですよ。だって本当のことだったし」
 自分には関係ないということを肯定され、幸介はまた胸に痛みを感じた。それを彼が納得してしまうのは自分のせいだが、またあの時みたいな辛そうな顔を見せる。
 そうじゃない、そんな顔を見たいとか……思ってない。
「でも」
 先に口を開いたのは律也だった。
「幸介さんがどうやって祥太さんを忘れようと俺には関係ないって分かってるんですけど……分かりたくないんだよね」
 眉を寄せて幸介を見つめた。ずきんと沈むような鈍い痛み。グツグツと鍋が煮込まれる音が部屋に響く。幸介の身を案じて、煮込みうどんを作ろうとしているようだった。
「友達が欲しいって言ったのは自分なのに……ごめんなさい」
 幸介は慌てて首を横に振った。
「謝らないで。律也くん、俺はその……吹っ切れた訳ではないかもしれない。でも、少なくとも君に会ってからは……律也くんのことばかりが頭から離れないよ」
 律也は持っていた菜箸を落とした。
「それ……どういう意味ですか?」
 思わずするっと言ってしまった。幸介は顔を真っ赤にして口を押さえる。気持ちに嘘はない。でも今こんなことを言って信じてもらえなかったら……。もし突き放されてしまったりでもしたら……。祥太の結婚よりも何よりも深く落ち込む気がしてならない。
「えっ、あ、いや……その」
 しどろもどろになりながらも、次の言葉を探していると、律也が幸介に抱き付いた。勢い余って幸介はよろけて転びそうになったのをなんとか堪える。
「ちょ……どうしたの」
「幸介、さん」
「……なに」
「幸介さんは俺のことどう見てるの」
「えっ」
 そんな聞き方をされるとは思っても見なかった。幸介は身体中の熱が上がっていくのをじわじわも感じる。ドクンと心臓が跳ねる様に鳴った。
「そ、そりゃ……良い友達だと思っていたよ」
 ぎこちない言い方をした。彼の目は真剣だ。どことなく不安な視線は唇を震わせている。
 幸介は彼の頬に手を当てた。シャワー上がりで少し熱いのか、彼に抱きつかれて思わず舞い上がったのかは分からないが、その手は熱を帯びていた。
「うん、思っていた。過去形だよ。本当に、こんな優しくて綺麗な人が自分のためにって思うだけで嬉しくて……。だからそれ以上の関係になれたらなって……今は思ってる」
 幸介はもう片方の手で優しく律也の頭を撫でた。心臓が煩い。律也の耳に入ったらそれこそ恥ずかしい。
「……それ、俺って自惚れて良いの?」
 律也は幸介の手に頬を摺り寄せた。
「うん、良いよ……。今後も君しか俺を介抱してくれないだろうし」
 ふふふ、と律也うっすらと涙を浮かべて笑う。
「幸介さんは弱いクセに飲み過ぎなんだよ」
「うん。だからそれを君がセーブさせて」
 律也の額にキスを落とした。初めて自分からしたキスだった。
「幸介さん、顔真っ赤」
「律也くんも……だけど」
 顔を見合わせて笑い合う。律也が手を伸ばし、幸介の頭を引き寄せて唇を重ねた。触れるだけなのに、凄く熱い。柔らかい律也のその先をこじ開けたくて堪らない。
「幸介さん、好き」
「うん、俺も」
 もう一度キスをしようとしたところで、鍋が吹きあふれた。慌てて律也が火を止めると、押しのけられた幸介は浴室と洗面所に続くドアに頭をぶつけてしまう。
「わっ、ごめんっ」
 慌てて駆け寄る律也の焦った顔を見て、幸介は吹き出した。
「あはは、良いの。罰が当たっただけ」
「バチ?」
「うん、今まで女々しかった罰」
 くすくすと笑って、律也の頭を撫でた。
「もぅ。早く髪の毛乾かさないと熱また上がってきちゃうよ」
「うん、でも……もう少しだけ」
 そう言って律也を抱き寄せた幸介はさっきよりも更に深くて甘いキスをした。




「ただいま」
 玄関のドアが閉まる音と、靴を脱ぎながら鍵をいつもの置き場にもどす音がした。
「おかえりなさい」
 律也はソファーから腰を上げ、部屋に入って来る幸介の元へ駆け寄った。勢いよく抱きついて折角の礼服がシワになることもお構いなしに迎えいれる。
「律也くん、今日も来てたの」
「ごめん、迷惑だった?」
 律也が顔を見上げると幸介はゆっくりと首を振った。
「そんな訳ないじゃん。嬉しいよ」
 幸介は律也の額に当たる前髪を払い、そのままキスを落とした。柔らかい唇が当たって擽ったい。律也はお返しにぎゅっと先程よりも少しだけ力を入れて抱き締め返した。
「どうだった?結婚式」
「うん、良かったよ……凄く」
 幸介は手に下げていた引き出物の大きな紙袋をテーブルに置く。ネクタイを緩め、ジャケットからポケットチーフを取り出した。
「だろうなぁ。幸介さん目真っ赤だもん」
 くすくすと笑い、律也は幸介から離れた。幸介は顔を背ける。
「もっとゆっくりお祝いしてくれば良かったのに」
「そう思ったけど、いらんこと言いそうで……今日はやめたんだ。もうお腹いっぱいだよ、あんな幸せそうな顔見せられたらさ」
「それ、俺の前でよく言うよね。本当、困った人」
「あはは。心配しすぎだよ。もう結婚式いっても大丈夫だったし。それに、俺が一緒に幸せになりたいって思ったの、律也くんだよ」
 律也の手を引いて、もう一度抱きしめる。きつすぎるほど苦しいのが幸せだと感じた。
「俺さ、律也くんのピアノの練習……邪魔しないようにするから一緒に住みたいんだけど……どうかなぁ」
「ふふふ。俺もそれそろそろ言おうと思ってたんだ」
 後で一緒に部屋探しをしよう。
 そう約束して、幸介と律也はまたキスをした。
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