架空戦記 旭日旗の元に

葉山宗次郎

文字の大きさ
4 / 83

第二次大戦回顧録 1942年 ウォッチタワー作戦

しおりを挟む
 ウォッチタワー作戦ではその時存在した全ての予備兵力、艦船、飛行機、陸上部隊の全てを投入しガダルカナル島へ上陸させた。
 平時なら何も無い小島だが飛行場を建設するのに非常に良い島だった。事実終戦までに五つの飛行場を建設して尚拡張出来る余裕がこの島にはあった。そんな島を日本軍が占領した結果、南東にあるエスピリシスサット、フィジー、サモアへの足がかりとなり、これらの島が制圧されればアメリカとオーストラリアの連絡線は断たれ、オーストラリアは孤立して日本に降伏せざるを得ないだろう。
 それを防ぐ為にもこの時期に、戦力の回復する四三年を待たずに四二年の夏に反攻を実行した理由だった。
 上陸はほぼ無傷だったが一〇〇〇キロ離れたラバウルから、あの恐るべきゼロがやってきた。長距離攻撃にもかかわらずフレッチャー任務部隊は戦闘機を半数落とされ後方へ下がることになった。
 上陸船団の上空援護がなくなった所へ、あの第八艦隊がやって来た。
 第八艦隊はガダルカナル上陸の一ヶ月ほど前に編成されたばかりの巡洋艦主体の艦隊だった。編成間もないため連携は良くなかったが、各艦は良く訓練された強力な艦艇ばかりだった。
 それを率いるのはあの三川提督だった。
 勇猛な彼は我らのガダルカナル上陸を知ると直ぐさま先頭に立って出撃、一〇〇〇キロの海を越えて夜戦を挑んできた。
 我が水上部隊は撃破され、再突入の際に物資を残していた船団は撃沈され、離脱時に行われた上陸地点への艦砲射撃により上陸した海兵師団に二〇〇〇人の死傷者を出した。
 かくして海戦史に名高いサボ島沖海戦――日本側呼称第一次ソロモン海海戦は終わり我らは反攻の最初の一ページを味方将兵の血によって刻みつけた。
 そして勝利する日までガダルカナル島周辺において一年にも及ぶ苦闘の日々を一ページずつ将兵と飛行機、艦船――鉄底海峡と呼ばれる程敵味方の艦船が沈んだことを書き加えていくことになる。
 これほどまでの大きな犠牲を受けてまでウォッチタワー作戦を敢行する必要があったかと議論されるが、その当時は必要があったのだ。
 アメリカとオーストラリアへの連絡線を確保するのもそうだが、何よりインド洋から南雲を引き離す必要があった。
 ミッドウェー海戦後、日本軍は残った機動部隊を再編し雪辱を果たすべくインド洋へ派遣する計画があった。
 インドは大英帝国の王冠に輝く最大の宝石であり、第二次大戦において英国が戦う為の力の源泉であった。
 そのインド洋を制圧し大英帝国の航路を封鎖されれば、英国は負けてしまう。
 ミッドウェーの大敗後でも南雲機動部隊は十分な戦力を保有していたためインド洋遮断は十分に可能であった。
 その派遣を防ぐべくガダルカナルに上陸したのだ。
 事実、南雲機動部隊はガダルカナル上陸の報により進路を変更してソロモン海へ進出し東部ソロモン海戦――日本側呼称第二次ソロモン海戦を戦う事になる。
 この海戦で我々は復旧したエンタープライズを再び大破させ、サラトガも大破し戦線離脱、ワスプが沈められ、一時的に空母戦力が無くなると言う事態に陥り、ガダルカナル島から撤退することになった。
 連合国の大敗北だが、それでも意義は十分にあった。
 繰り返しになるが、南雲のインド洋進出を許せばインド洋航路は遮断され、英国の補給路は失われる。
 四二年夏の同時期にエル・アラメインの戦いでエジプトを守っていたイギリス軍への補給路を断ち、ロンメルの猛攻の前に陥落しスエズも奪われ地中海の制海権は半ば奪われるのみならず、紅海経由でドイツ・イタリアと日本が手を携えることとなり連合国は著しく不利となる。場合によっては中東も印度も陥落し、南雲の機動部隊はスエズを通って地中海へ攻め入り、ジブラルタルを突破して大西洋へ進出しUボートと共にイギリスを締め上げたかも知れない。
 その最悪の事態をウォッチタワー作戦は防いでくれた。
 南雲機動部隊はアメリカ機動部隊を壊滅させ後顧の憂いを絶つと九月半ばにはインド洋に入り、下旬には各地への空襲と船団襲撃を始めた。
 しかし、この二ヶ月弱の時間の間に連合国はインド洋経由でエジプトへ物資と兵力を送り防備を固め、一〇月のロンメルの第二次エル・アラメインの戦いを耐える事が出来た。
 一〇月のガダルカナル再上陸作戦により再び南雲機動部隊を引きはがすことに成功したのは行幸だった。
 最悪のクリスマスプレゼントとなったセイロン島陥落は二ヶ月は早まり、ソコトラ島も四二年中に占領され、我々は大きな危機と試練を迎える。
 しかし、最悪の時期に起きてはいなかった。少なくとも四ヶ月という時間を数多の血を代償に我々は得る事が出来た。
 四二年は大戦の大きな転換点となった。枢軸は優勢に進めていたが、最大のチャンスを逃し勝利の果実のほんの一部――それでも歴史上稀に見るほどの戦果を得ただけで終わり、大戦の最終的な勝利を掴む決定的な機会を逃し、敗北の苦難に耐えてきた我ら連合国が決定的な勝利を掴む道へ進む事となった。
 しかし、それは決して平坦な道では無く、歩むには舗装を――多数の艦艇と多くの将兵の血で覆う必要があった。

            ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル著
                         第二次大戦回顧録より抜粋
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら? 国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。 真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…そして終戦工作 分水嶺で下された「if」の決断。 破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦 そしてそこから繋がる新たな近代史へ

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

処理中です...