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北山茂
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明治中頃に小さい商店の息子に生まれた北山茂は海軍を志した。
日露戦争後、海軍兵学校に志願したが視力が弱く不合格。築地の経理学校へ改めて志願し合格すると主計将校として海軍に入隊した。
日露戦後の大正デモクラシーの中、実家を手伝っていたこともあり、帳簿と数字に強い北山は順調に主計将校としてのキャリアを重ね昇進していった。
その中で、北山は個人的興味から将来の戦争に備え、日露戦争時の経理を研究し始めた。
そこで導き出されたのは、絶望的な数字だった。
膨大な必要経費に多量の補充用品。
勝ち戦の日本海海戦でさえ、弾薬、燃料――津軽海峡出現に備えて過積載し、対馬で発見後海上投棄された分を含め膨大な額になっていた。
日露戦争の戦費は海軍の分だけで二億二〇〇〇万、陸軍は一二億八〇〇〇万、総計で一五億円も掛かっている。
陸軍は一〇〇万以上を動員した人件費が七億円と陸上での輸送費が二億円もあり、海軍側が人件費三七〇〇万と輸送費二〇〇〇万で収めているのに比べ圧倒的に多い。
だが平時の国家予算が三億円だった事を考えると海軍予算だけでも膨大だ。
今後起きるであろう戦争では、日露戦争以上の金額が掛かる。
およそ二年の日露戦争で国家予算の五年分。
実際に掛かった費用であるだけに信憑性は高く、十分にあり得る数字だ。
しかも日露戦争後、世界はドレッドノートショックにより新たな建艦競争が発生。
次々と新型戦艦を開発建造していた。
日本海軍も新型戦艦を建造していったが、河内型戦艦や鞍馬型巡洋戦艦など就役してもすぐに陳腐化し失敗するする例が多く、新たに金剛型、扶桑型の建造が決定される有様だった。
その扶桑型でさえ建造の経験が少ない、技術革新が早すぎることから、すぐさま修正を加え新たに伊勢型を作る事になる有様だ。
しかも伊勢方が作られた理由が予算不足で扶桑型三番艦、四番艦の起工が遅れたため時間が出来たからだ。
そして当時の海軍は最終的に八八艦隊――日露戦争の戦訓に基づき、一人の指揮官が運用可能な最大隻数八隻の戦艦と八隻の巡洋戦艦からなる艦隊を建造を構想しており、三笠以上の巨大戦艦が続々と現れる状況だった。
それを護衛する補助艦艇の数も増えて性能も建造費も高くなっており、平時の維持費さえ日露戦争の戦費以上になる事が予想された。
海軍内でやりくりするのは明らかに無理であり、日本の国力そのものを向上いや飛躍させる必要があると北山は結論づけた。
国力増強の思いを抱き続けた北山に転機が訪れる。
第一次世界大戦が勃発したのだ
この大戦に日本は多数の観戦武官を送り込んだが、その一人として北山も派遣された。
総力戦で必要な物資の調達供給の様子を主計の立場から報告することを求められたからだ。
だが、そこで北山が見た物、新兵器が使われる悲惨な戦場は勿論だが、その後方で山積みにされる物資の補給と兵站、その作業量は、彼の想像を絶していた。
日露戦争で使われたのとほぼ同じ量の砲弾が叩き付けられる会戦が幾度も行われ、その弾薬を供給するために連合国の工場はフル稼働だった。
砲弾だけではない。
総力戦による総動員で兵士の数が増大。
彼らに支給する衣服、食料、装備、生活必需品、勲章その他ありとあらゆる物資が必要でその量は、平時の調達数を遙かに超えている。
連合軍の物資集積所には幾つもの小山のように物資が積み上げられ、それが消費されていく。それも一つの戦場でだ。
西部戦線だけでなく、東部戦線、イタリア戦線、中東、アフリカ。
世界各地に戦場があり、補給を行わなくてはならない。
西部戦線ほどの兵力展開はないだろうが、何万キロも離れた戦線へ物資を運ぶなど多大な労力を必要とする。
これを、膨大な日本が行えるか?
無理だ。
主計将校として北山は日本の補給能力、生産力の限界を知っていた。
日露戦争など、ほんの千キロほど離れた満州へ百万人送り込むだけで疲弊した国だ。
数百万の人間を動員出来る国力などない。
西部戦線は英仏の本国に近いため出来たのだろうが、それでも根底にある国力の差を見せつけられ、総力戦の遂行能力を思い知らされた。
だが、この量を調達出来なければ、生産出来なければ、将来起こりえる総力戦に日本は勝てない。いや、戦場に立つことすら出来ないだろう。
平時の兵力で緒戦は勝てるが、長期戦になると地力が違いすぎる。
欧州より遠く離れた極東の大国である日本は、アジア地域なら他の列強にも負けない。
だが、仮想敵であるアメリカ相手には決して勝てない。
漸減作戦を勝利しても、勝てる見込みがない。
視察を終えて報告書を書き上げた北山は、悩み抜いたあげく決意を固めると、報告書と辞表を上官に提出し現地英国で除隊した。
海軍いや日本に国家総力戦で起きる消耗戦を戦う力はない。
ならば民間人として財閥を起こし、総力戦体制を支えられる会社を作ろうと北山は決意し実行に移した。
日露戦争後、海軍兵学校に志願したが視力が弱く不合格。築地の経理学校へ改めて志願し合格すると主計将校として海軍に入隊した。
日露戦後の大正デモクラシーの中、実家を手伝っていたこともあり、帳簿と数字に強い北山は順調に主計将校としてのキャリアを重ね昇進していった。
その中で、北山は個人的興味から将来の戦争に備え、日露戦争時の経理を研究し始めた。
そこで導き出されたのは、絶望的な数字だった。
膨大な必要経費に多量の補充用品。
勝ち戦の日本海海戦でさえ、弾薬、燃料――津軽海峡出現に備えて過積載し、対馬で発見後海上投棄された分を含め膨大な額になっていた。
日露戦争の戦費は海軍の分だけで二億二〇〇〇万、陸軍は一二億八〇〇〇万、総計で一五億円も掛かっている。
陸軍は一〇〇万以上を動員した人件費が七億円と陸上での輸送費が二億円もあり、海軍側が人件費三七〇〇万と輸送費二〇〇〇万で収めているのに比べ圧倒的に多い。
だが平時の国家予算が三億円だった事を考えると海軍予算だけでも膨大だ。
今後起きるであろう戦争では、日露戦争以上の金額が掛かる。
およそ二年の日露戦争で国家予算の五年分。
実際に掛かった費用であるだけに信憑性は高く、十分にあり得る数字だ。
しかも日露戦争後、世界はドレッドノートショックにより新たな建艦競争が発生。
次々と新型戦艦を開発建造していた。
日本海軍も新型戦艦を建造していったが、河内型戦艦や鞍馬型巡洋戦艦など就役してもすぐに陳腐化し失敗するする例が多く、新たに金剛型、扶桑型の建造が決定される有様だった。
その扶桑型でさえ建造の経験が少ない、技術革新が早すぎることから、すぐさま修正を加え新たに伊勢型を作る事になる有様だ。
しかも伊勢方が作られた理由が予算不足で扶桑型三番艦、四番艦の起工が遅れたため時間が出来たからだ。
そして当時の海軍は最終的に八八艦隊――日露戦争の戦訓に基づき、一人の指揮官が運用可能な最大隻数八隻の戦艦と八隻の巡洋戦艦からなる艦隊を建造を構想しており、三笠以上の巨大戦艦が続々と現れる状況だった。
それを護衛する補助艦艇の数も増えて性能も建造費も高くなっており、平時の維持費さえ日露戦争の戦費以上になる事が予想された。
海軍内でやりくりするのは明らかに無理であり、日本の国力そのものを向上いや飛躍させる必要があると北山は結論づけた。
国力増強の思いを抱き続けた北山に転機が訪れる。
第一次世界大戦が勃発したのだ
この大戦に日本は多数の観戦武官を送り込んだが、その一人として北山も派遣された。
総力戦で必要な物資の調達供給の様子を主計の立場から報告することを求められたからだ。
だが、そこで北山が見た物、新兵器が使われる悲惨な戦場は勿論だが、その後方で山積みにされる物資の補給と兵站、その作業量は、彼の想像を絶していた。
日露戦争で使われたのとほぼ同じ量の砲弾が叩き付けられる会戦が幾度も行われ、その弾薬を供給するために連合国の工場はフル稼働だった。
砲弾だけではない。
総力戦による総動員で兵士の数が増大。
彼らに支給する衣服、食料、装備、生活必需品、勲章その他ありとあらゆる物資が必要でその量は、平時の調達数を遙かに超えている。
連合軍の物資集積所には幾つもの小山のように物資が積み上げられ、それが消費されていく。それも一つの戦場でだ。
西部戦線だけでなく、東部戦線、イタリア戦線、中東、アフリカ。
世界各地に戦場があり、補給を行わなくてはならない。
西部戦線ほどの兵力展開はないだろうが、何万キロも離れた戦線へ物資を運ぶなど多大な労力を必要とする。
これを、膨大な日本が行えるか?
無理だ。
主計将校として北山は日本の補給能力、生産力の限界を知っていた。
日露戦争など、ほんの千キロほど離れた満州へ百万人送り込むだけで疲弊した国だ。
数百万の人間を動員出来る国力などない。
西部戦線は英仏の本国に近いため出来たのだろうが、それでも根底にある国力の差を見せつけられ、総力戦の遂行能力を思い知らされた。
だが、この量を調達出来なければ、生産出来なければ、将来起こりえる総力戦に日本は勝てない。いや、戦場に立つことすら出来ないだろう。
平時の兵力で緒戦は勝てるが、長期戦になると地力が違いすぎる。
欧州より遠く離れた極東の大国である日本は、アジア地域なら他の列強にも負けない。
だが、仮想敵であるアメリカ相手には決して勝てない。
漸減作戦を勝利しても、勝てる見込みがない。
視察を終えて報告書を書き上げた北山は、悩み抜いたあげく決意を固めると、報告書と辞表を上官に提出し現地英国で除隊した。
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