ベストパートナー

廣瀬純七

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女子のリアル


 夕方、講義棟の廊下は静かになり始めていた。長い一日を終えた学生たちは次々と帰路につき、残されたのは掃除の音と、窓の外に広がる朱色の夕焼けだけ。

 教室を出てすぐ、拓也――いや、美奈子の体になった彼は、机に手をついて深いため息をついた。
「……つ、疲れた……」

 頭は重く、腰はだるい。集中しようとしても、身体がじわじわと抵抗してくる。授業中、板書を取ろうとした手が止まり、何度も溜め息をついた。今まで「ちょっとしんどそうだな」と横で見ていた美奈子の様子を、まるで自分の体で再現していることに気づいて、拓也は愕然としていた。

 そんな彼の隣を歩くのは、美奈子の魂を宿した拓也の身体。いつもの軽い足取りなのに、目は真剣で、どこか心配げに拓也(美奈子の身体)を見やっていた。

「どう? 大変だったでしょ」
「……大変どころじゃねえよ。腹は重いし、腰は痛いし……おまけに頭がボーっとして講義内容なんて全然入ってこなかった」
「ふふっ。ようやくわかった?」
「わかったよ……これはマジで地獄だな」

 ふらつく足取りで廊下を歩きながら、拓也はようやく口にした。
「でも、まあ……今日だけの辛抱だろ?」
 軽く笑おうとしたが、うまくいかない。顔は青ざめ、声は弱々しかった。

 その言葉を聞いた美奈子――今は拓也の身体の彼女が、ぴたりと足を止めた。
「え?」
「え、って……だってそうだろ? 明日になったらアプリも切れて、俺は元に戻って……」

 その瞬間、美奈子は思わず額に手を当て、呆れたように大きなため息をついた。
「ちょっと、拓也。何言ってんの?」
「え?」
「生理が一日で終わるわけないでしょ!」

 拓也の顔から血の気が引いた。
「……は?」
「普通は四日から一週間くらい続くの。重い人はもっと長い場合もあるし。だから私、毎月毎月こんな生活を何日も繰り返してるのよ」

 拓也はその場で固まり、ぽかんと口を開けた。
「……いや、だって……毎月、一週間も?」
「そうよ」
「そんなの……地獄じゃねえか!」

 声が廊下に反響した。近くにいた学生がちらっとこちらを振り返り、二人は慌てて声をひそめた。

「一週間も、こんな痛みとだるさを抱えて……それで普通に授業受けて、レポート書いて、バイトもしてんのか?」
「そうだけど?」
「お、おかしいだろそれ! 人間の耐えられる範囲を超えてるぞ!」
「でも、女の子はみんなそうやって生きてるの。仕方ないの」

 淡々とした言葉に、拓也は愕然とした。今まで「仕方ない」という一言で片づけていた自分の無知と鈍感さが、胸にずしりと重くのしかかる。

 彼は思わず、自分の腹を押さえた。ずっと鈍く続く痛みが、確かにそこにある。今日だけで限界を感じているのに、これが何日も……? 信じられない思いだった。

「……美奈子、すげえな」
「え?」
「いや……だってさ。俺、今日一日で泣きそうなのに、お前は毎月これを耐えてるんだろ? 普通に笑ったり、友達としゃべったりして……俺、想像すらできなかった」

 美奈子は一瞬、言葉を失った。彼の顔は真剣で、今までにないほど真摯なまなざしだった。

「……そうやって、ちゃんとわかってくれるだけで、少し楽になるんだよ」
「ほんとに?」
「うん。今まで、誰に言っても“辛いよな”って軽く流されるだけだったから」

 ふっと二人の間に、静かな空気が流れた。夕日が窓から差し込み、床に長い影を落とす。その影の中で、互いに入れ替わったまま向き合う二人は、まるで新しい関係を築き始めたように見えた。

「なあ……」
 拓也がぽつりとつぶやく。
「もし明日も続くなら……俺、ちゃんと付き合うよ。バイトも休むし、講義も一緒に出て……できること全部やる」
「……ふふ。ありがと。でも、私が拓也の体でいる限り、体力はあるから逆に助かるかもね」

 二人は小さく笑い合った。入れ替わりの不可思議な体験は、決して楽なものではなかった。けれどその苦しさの中に、互いを深く理解し、寄り添うきっかけが確かに芽生えていた。

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