性転換をするツボ

廣瀬純七

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蝶の夢は目を覚まさない

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「……“蝶の夢”って、聞いたことある?」

ふと、カウンターに立つルナが、グラスを磨きながら口にした。

雄太と美紀は顔を見合わせる。
その言葉は、どこかで耳にしたような、しかし確信には至らない謎の響きを持っていた。

「……夢の中で、自分が蝶になって飛んでいた。そして目覚めたとき、蝶が人間の夢を見ていたのかもしれない――そういう話、知ってる?」

「荘子の“胡蝶の夢”ですよね」

美紀が頷くと、ルナは微笑んだ。

「その話に着想を得て作られたと言われているの。“蝶の夢”は、ある種の超常的な術と知識を受け継いできた、影の組織なの。世界のどこかに、今も確かに存在する」

「超常的な術……それって、“変化のツボ”みたいな?」

雄太が口を挟むと、ルナは一瞬、真剣な眼差しを彼に向けた。

「そのツボ、どこで知ったの?」

「美紀がスマホで偶然見つけた記事で……背中の、肩甲骨の間くらいにあって、押した翌日に――」

「変わったのね。身体が」

雄太は小さく頷いた。

ルナはグラスを置き、ゆっくりと語り出した。

「“蝶の夢”に伝わる術の一つに、“変化の手順”というものがあるの。人はその術に触れたとき、ある条件を満たすと性質が書き換わる。身体だけじゃない、魂の側面も微かに変わることがあるわ」

「条件?」

「一つは“素直さ”。もう一つは“選ばれる心”。偶然に見えて、実はその人自身の心が引き寄せるものなのよ」

雄太は、自分の手を見る。今は細く、女性らしい指先だ。それが、そんな曖昧で、どこか運命的な条件で起こったのだとしたら――?

「ここには、あなただけじゃない。似たような“変化”を経た人たちが集まってくる。紹介するわ」

ルナが合図すると、店の奥から数人の客がやってきた。

ひとりは、中性的な顔立ちの小柄な青年。名前はリオ。大学時代、古い神社で不思議な光を見て目覚めたとき、性別が曖昧な姿になっていたという。

もうひとりは、医療関係者のアキコ。40代で男性から女性に“変化”し、戸惑いながらも、自分を解放するように生き直している最中だった。

そして、やや距離を置いて座る長身の人物――ハルカ。かつては女性として生きていたが、変化後は男性の姿に。だが、心の奥にはまだ“両方”が共存しているようだった。

「……みんな、変わってるんだな」

雄太がぽつりと言うと、リオが笑った。

「変わるってさ、怖いことだけど、実は本当の自分に近づく一歩だったりもするんだよ」

「俺は、戻れるなら戻りたいって思ってた。でも最近、少しだけ――このままでもいいのかもって……」

ハルカが、静かに口を開いた。

「戻れないことを“失う”って捉える人もいるけど、俺は“見つけた”って思ってる。目に見える姿が変わることで、本当の感情や望みに触れることがある。君も、そう感じ始めてるんじゃない?」

雄太は言葉に詰まり、そっと美紀の顔を見た。
美紀は、やさしく微笑んでうなずく。

「私は……どんな姿の雄太でも、一緒に生きていける。ううん、今の雄太は、なんだかすごく魅力的で……好き」

「美紀……」

その夜、雄太は“変化”が単なる事件でも呪いでもなく、自分の深層に眠っていた何かを引き出す“鍵”だったのかもしれないと初めて思えた。

ルナが、グラスを新しいカクテルで満たし、そっと彼に差し出す。

「乾杯しましょう。蝶の夢に、そして――目を覚ましたあなたへ」

その一杯は、少しだけ甘くて、そしてどこか懐かしい味がした。


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