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郊外のスイッチハウス
しおりを挟む木村孝弘は、自分の指先があまりにも細く、柔らかいことにまだ慣れきれていなかった。鏡の中の自分を見つめながら、彼は小さく息をついた。肩幅は狭く、胸元には明らかな膨らみがあり、声は昨日までとはまるで違う高さで響いていた。すべてが、美奈の体だった。
そして、その隣で腕を組んで笑っているのは、自分の肉体を着た――いや、宿した――松本美奈だった。彼女の顔には好奇心と少しの照れが混ざった笑みが浮かんでいる。孝弘の姿をした彼女は、長く低い声で「どう? 孝弘の一日って案外楽かもね」などと茶化してきたが、本人の声で聞かされると何とも妙な気分だった。
彼らが訪れたのは、郊外のとある山間にひっそりと存在する「スイッチハウス」と呼ばれる古い洋館だった。噂では、そこに入ると望んだ通りに性別を交換できるという。胡散臭い都市伝説の一つとしてSNSでバズっていたが、美奈が冗談半分に「行ってみない?」と言い出したのが始まりだった。軽いノリで訪れたはずだったが、玄関の重たい扉をくぐった瞬間、ほんの一瞬、空間がねじれたような感覚に襲われた。そして次の瞬間、二人は入れ替わっていた。
「これが……男の身体ってやつかぁ」と、自分の喉を鳴らして驚きつつ、美奈は孝弘の肩を何度もまさぐっていた。逆に孝弘は、視界がわずかに低くなった感覚と、身体の重心が変わったことに困惑していた。
だが、驚きと困惑のすぐあとにやってきたのは、思いがけない安堵だった。お互いの視点で相手を知ること――それは、どんな愛の言葉よりも深く、お互いの存在を理解する方法なのかもしれないと、孝弘は思い始めていた。
問題は、この性別交換が「一時的」かどうかが、ハウスの中でも明言されていないことだった。
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