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入れ替わってバスタイム
しおりを挟む「ふぅ……今日はなんだか、すごく長い一日だった気がするね」
美奈――孝弘の身体を借りた彼女が、伸びをしながら靴を脱いだ。夜風にさらされた肌に、室内のぬくもりがやさしく染みる。
「うん、外に出ただけなのに、体力的にも精神的にもけっこう消耗するね」
孝弘はそう言いながら、美奈の姿で髪をかき上げた。ロングヘアの扱いはまだ慣れず、髪が首筋にまとわりつくたびに、妙に気になっていた。
「じゃ、先にお風呂入ってくるね」
「え、ちょっと待って。私の体、勝手に見ないでよ」
「見るって……いや、それはもうこの数日で慣れて……あ、いや、違う違う、見てないから!」
「ふふ、冗談よ」
美奈はくすっと笑いながらタオルを手にして、浴室へと入っていった。バスタブの蛇口からはお湯が勢いよく流れ、室内はすぐに湯気で満ちていった。
鏡の前に立つと、そこには彼の顔――木村孝弘の顔をした“自分”が映っていた。見慣れた顔なのに、動かすたびに誰かのような、不思議な距離感がある。けれどそれも、もう少しで愛着に変わりそうな気がしていた。
湯船に身体を沈めると、たちまち全身の力が抜けていく。広い肩、長い足、温かいお湯がすべてを包み込み、思わず目を閉じた。
一方の孝弘も、入れ替わった身体を持て余しながら洗面台の前でため息をついていた。長い髪をほどき、ヘアゴムを洗濯機の上に置く。なめらかな肌と柔らかな曲線――触れるたびに、「彼女」がどれだけ日常的に気を配っていたかがわかる。
「……こっちも、入っていい?」
ドア越しに聞こえた声に、美奈は一瞬迷ったが、やがて「うん」と答えた。気まずさよりも、今はただ、お互いに安心したかった。
湯船は広めで、二人が少し距離をとって並んで入っても窮屈にはならなかった。湯気の中、互いの顔をぼんやり見つめながら、どちらからともなく小さく笑った。
「不思議だよね。今、君の体で、君の隣にいるのに、中身は逆って」
「うん。ほんとに“入れ替わってる”んだなあって、こういうときに実感する」
「……でも、なんか嫌じゃないね。不思議と落ち着く。心が見えてるからかな」
「うん、同じこと思ってた」
静かなお湯の音だけが、しばし会話の合間を埋めていた。
「また明日も出かける? それとも、一日中ゴロゴロする?」
「うーん……ゴロゴロしたいけど、君の身体でゴロゴロってなんか罪悪感あるんだよね。スキンケアとかちゃんとしなきゃって思っちゃう」
「え、ありがと。じゃあ明日はゆっくり美容デーにしよっか」
ふたりはくすくす笑い合いながら、もう一度湯に身を沈めた。入れ替わったままでも、お互いのことを大切に思っていられる――それが今、何よりも安心できる事実だった。
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