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メイクアップルーム
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「あなた、新人さんね?」
柔らかく、それでいてどこか鋭さを含んだ声が背後から届いた。振り返ると、そこには年齢不詳の美しい女性が立っていた。赤いドレスに身を包み、優雅な身のこなしをする彼女は、まるでこの空間そのものを支配しているかのような雰囲気をまとっていた。
「……はい、はじめてで」
「ふふ、やっぱり。仕草と目線でわかるのよ。緊張してるでしょ?」
「……はい、ちょっとだけ」
「いいのよ、最初はみんなそう。でもね、この世界で自分を演じるには、少し“魔法”が必要なの。こっちへいらっしゃいな」
彼女――“バーのママ”と呼ばれるその女性は、ユイの手を取り、奥の扉へと導いた。そこには「Makeup Room」と書かれたネオンサインが瞬いている。
部屋の中は、柔らかな照明と大きな鏡が並ぶサロンのような空間だった。椅子に座らされ、ふと鏡を見ると、そこにいるのは戸惑いを隠しきれない少女の姿。拓也の心の奥に、妙なくすぐったさと恥ずかしさが同時に込み上げた。
「あなた、素材は悪くないわ。でも“目”がまだ決まってない。心が定まると、目元が変わるのよ」
ママはそう言いながら、筆を取り、ユイの瞼に優しくアイシャドウを乗せていく。リップの色は落ち着いたローズピンク。頬に軽くチークを入れ、最後にマスカラでまつ毛を整えると、鏡の中のユイはまるで別人だった。
「……すごい」
自分の口から漏れたその言葉は、素直な驚きだった。少し大人びた、けれど無理をしていない自然な美しさ。ママは笑った。
「ようやく“目”に色がついたわね。あなた、恋をする準備ができてきたわよ」
「……恋、なんてまだ」
「いいの、焦らなくて。まずは“見られる”ことを楽しむの。次に“話しかけられる”。そしていつか“誰かを見つめる”ようになる。そうやって恋は始まるのよ」
メイク室を出たユイは、さっきまでとは違う感覚を抱えていた。視線が、肌に触れるように感じる。足取りは軽く、姿勢も自然と伸びている。まるで、新しい皮膚を得たようだった。
バーに戻ると、さっきまで一人でグラスを傾けていた男性アバターが、こちらに気づいて目を見開いた。そして、静かに席を立ち、ユイの前に歩み寄ってくる。
「さっきとは……雰囲気、ずいぶん変わったね」
「……そう見えますか?」
「うん。なんか、目が強くなった気がする」
その言葉に、ユイはママの言葉を思い出した。“目に色がついた”――たしかに今、自分は少しだけ変わった気がする。
「よかったら、一緒に飲みませんか?」
そう自分から声をかけた瞬間、ユイの心が小さく震えた。でも、それは怖さではなく、初めての“踏み出す感覚”だった。
そして、彼女の(いや、彼の)恋愛体験は、静かに幕を開けようとしていた。
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柔らかく、それでいてどこか鋭さを含んだ声が背後から届いた。振り返ると、そこには年齢不詳の美しい女性が立っていた。赤いドレスに身を包み、優雅な身のこなしをする彼女は、まるでこの空間そのものを支配しているかのような雰囲気をまとっていた。
「……はい、はじめてで」
「ふふ、やっぱり。仕草と目線でわかるのよ。緊張してるでしょ?」
「……はい、ちょっとだけ」
「いいのよ、最初はみんなそう。でもね、この世界で自分を演じるには、少し“魔法”が必要なの。こっちへいらっしゃいな」
彼女――“バーのママ”と呼ばれるその女性は、ユイの手を取り、奥の扉へと導いた。そこには「Makeup Room」と書かれたネオンサインが瞬いている。
部屋の中は、柔らかな照明と大きな鏡が並ぶサロンのような空間だった。椅子に座らされ、ふと鏡を見ると、そこにいるのは戸惑いを隠しきれない少女の姿。拓也の心の奥に、妙なくすぐったさと恥ずかしさが同時に込み上げた。
「あなた、素材は悪くないわ。でも“目”がまだ決まってない。心が定まると、目元が変わるのよ」
ママはそう言いながら、筆を取り、ユイの瞼に優しくアイシャドウを乗せていく。リップの色は落ち着いたローズピンク。頬に軽くチークを入れ、最後にマスカラでまつ毛を整えると、鏡の中のユイはまるで別人だった。
「……すごい」
自分の口から漏れたその言葉は、素直な驚きだった。少し大人びた、けれど無理をしていない自然な美しさ。ママは笑った。
「ようやく“目”に色がついたわね。あなた、恋をする準備ができてきたわよ」
「……恋、なんてまだ」
「いいの、焦らなくて。まずは“見られる”ことを楽しむの。次に“話しかけられる”。そしていつか“誰かを見つめる”ようになる。そうやって恋は始まるのよ」
メイク室を出たユイは、さっきまでとは違う感覚を抱えていた。視線が、肌に触れるように感じる。足取りは軽く、姿勢も自然と伸びている。まるで、新しい皮膚を得たようだった。
バーに戻ると、さっきまで一人でグラスを傾けていた男性アバターが、こちらに気づいて目を見開いた。そして、静かに席を立ち、ユイの前に歩み寄ってくる。
「さっきとは……雰囲気、ずいぶん変わったね」
「……そう見えますか?」
「うん。なんか、目が強くなった気がする」
その言葉に、ユイはママの言葉を思い出した。“目に色がついた”――たしかに今、自分は少しだけ変わった気がする。
「よかったら、一緒に飲みませんか?」
そう自分から声をかけた瞬間、ユイの心が小さく震えた。でも、それは怖さではなく、初めての“踏み出す感覚”だった。
そして、彼女の(いや、彼の)恋愛体験は、静かに幕を開けようとしていた。
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