バーチャル性転換システムを開発した男

プロローグ

**山中慎太郎と“境界”の消える部屋**

彼が初めて「女性になりたい」と思ったのは、13歳のときだった。
それは性同一性障害ではなく、憧れでも欲望でもない――
ただ純粋に、「向こう側の世界を見てみたい」という知的な衝動だった。

山中慎太郎。現在32歳。
東京工業大学大学院を卒業し、国内大手VR企業の先端技術研究部門に在籍していた異端のエンジニアである。
周囲には「天才」と称されることも多かったが、本人はその言葉に微かな嫌悪を抱いていた。

天才とは、理解されない孤独の別名である――彼はそう考えていた。

「なぜ、男と女はこんなにもすれ違うのだろう？」

開発の動機は、ある種の無力感だった。
社会の中で繰り返される性別による誤解、非対称な負担、そして“わかってもらえない”というあきらめ。
自分自身も幾度となく恋愛や人間関係で摩擦を起こしてきた。

「言葉で説明しても、わかり合えない」
「“体験”すれば、少しは近づけるのかもしれない」

その思想が、のちに「スイッチハウス」の根幹を成すことになる。

開発は困難を極めた。
ただ外見を模倣するだけでは、性別の“文脈”や“社会的な体験”は再現できない。
慎太郎は、独自の「情動連動AI」と「感覚錯誤フレーム」を設計し、身体的錯覚に加え、感情・記憶・行動傾向までも再構成できるバーチャル人格転送技術を確立していった。

構想から7年。
彼の技術は、最初の被験者――つまり慎太郎自身――によって試される。

彼は“自分自身が女性だった場合の人生”をバーチャル上で生きた。
そこにあったのは、思っていた以上の制約、無意識の視線、違和感、そして強さだった。

「これは、“学び”ではない。“目覚め”だ」

そうして誕生したのが、仮想性別交換体験施設「スイッチハウス」である。

サービス開始から1年。
その体験はSNSを通じて静かに広がり、性別や価値観に悩む人々の“鏡”となっていった。

だが、慎太郎は表に出ない。
どれだけ注目されてもメディアには姿を現さず、運営会社のウェブサイトに彼の名は載っていない。
理由を聞かれたとき、彼はこう答えた。

「僕は、入り口を作っただけです。
　そこから先の“答え”は、体験した人それぞれの中にあるんです」

そして今、新たな挑戦が始まろうとしていた。
性別だけではない――年齢、国籍、障害、立場。
「他者の世界を体験する」ことでしか見えない本質を、慎太郎は次のステージへ持ち込もうとしていた。

“理解”では足りない。
“共感”では届かない。
それでも、「知る」ことは、変わることの始まりだと、彼は信じていた。

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