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夕暮れの住宅街
しおりを挟む夕暮れの住宅街を並んで歩いていると、前から自転車を押してくる女性の姿が見えた。白い帽子に買い物袋――隆司と美咲もよく知っている、向かいの家の奥さんだ。
「あら、二人で仲良くお出かけ? いいわねえ!」
明るい声に、二人はぴたりと足を止めた。互いに目を合わせる。中身は入れ替わっている――つまり、いま隆司の体をしているのは美咲、そして美咲の姿をしているのは隆司だ。
「え、ええ、まあ……」
答えたのは美咲だった。低い隆司の声で返事をする感覚にまだ慣れず、微妙に語尾が上ずってしまう。奥さんはそれに気づく様子もなく、にこにこと笑顔を向けてくる。
一方の隆司は、美咲の体を借りたまま、ぎこちない笑みを浮かべることしかできない。普段なら愛想よく挨拶できるのに、いざ自分が「妻の顔」をして近所の人に見られると、心臓が早鐘のように鳴った。
「新婚さんは仲良くていいわねぇ。うちの主人にも見習ってほしいわ」
そう言って奥さんは冗談めかして笑い、自転車を押しながら去っていった。
残された二人はしばし無言。やがて、美咲が「ふぅ……」と息を吐いた。
「危なかったわね。声、ちょっと変だったかも」
「いや、十分自然に聞こえてたと思う。……でも、俺は完全に固まってたな」
隆司は額の汗をぬぐった。美咲の顔に小さな汗が滲んでいるのもまた不思議な感覚だった。
緊張が解けると、次第に周囲の景色が目に飛び込んできた。隆司はふと、足元のアスファルトのざらつきを意識する。女性の小さな足で歩くと、靴底を通して地面の硬さが直に伝わってくる。歩幅も短く、普段の自分なら一息で届く距離が、少し遠く感じられた。
一方の美咲は、長い脚で歩くことの爽快さに驚いていた。視線が高い分、遠くまで見渡せる。夕陽に照らされる街路樹の緑が、まるで別の場所の風景のように鮮やかに感じられた。
「ねえ、なんだか世界が広く見えるわ」
「俺は逆に、やたら近くて細かいものに目がいく」
二人は顔を見合わせて笑った。
スーパーの前に差しかかると、夕食の買い物を終えた人々が出入りしている。ドアが開くたびに、冷房の涼しい風と一緒に惣菜の香りが流れ出てくる。その匂いすら、体が違うと新鮮に感じられるのだから不思議だった。
駐輪場を通り抜けるとき、隆司はふと、自転車のサドルに腰掛ける主婦たちの姿を見て「なるほど」と思った。女性の身体なら、こういう高さがちょうどいいのか――。一方の美咲は、隣に立つ隆司(=自分の身体)を見ながら、こんなにも小柄に見えるのかと内心で驚いていた。
「いつも私、あなたの横に並んでると小さいって思ってたけど……逆になると、結構頼りなさそうに見えるわね」
「おいおい、それは俺のせいじゃないだろ」
そう言い合いながらも、二人の口元は自然と緩んでいた。
やがて公園に差しかかると、遊具の周りで子どもたちが走り回っていた。ブランコの鎖がきしむ音、ボールの弾む音、笑い声。隆司はその声を聞きながら、自分の胸に響く音の高さの違いに気づいた。女性の体だと、鼓動も軽やかで高く、耳に届く子どもの声と妙に調和しているように感じられる。
「……体が違うだけで、世界の音や匂い、全部変わって聞こえるんだな」
隆司が呟くと、美咲も頷いた。
「うん。私たち、同じ景色を見てたつもりでも、ほんとは全然違う世界に生きてたのかもしれないね」
そうして二人は、互いの身体で歩く町のひとつひとつを確かめるように眺めていた。普段なら通り過ぎてしまう石畳の段差や、植え込みの花の色、電柱に貼られたチラシさえも、まるで初めて見るもののように鮮やかだった。
夕陽はますます傾き、影は長く伸びてゆく。入れ替わった二人の冒険は、まだ始まったばかりだった。
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