秘書と社長の秘密

廣瀬純七

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「……始めてくれ」

 高橋の指示通り、社長(由紀)が低めの声で促す。 プロジェクトマネージャーの佐藤が、冷や汗を拭いながらプレゼンを始めた。

「はい。プロジェクト『ゼウス』ですが、現在、UI設計の見直しにより、若干のスケジュール調整が必要となっておりまして……」

 佐藤の説明は、いつも高橋が聞いている通りの「もっともらしい言い訳」だった。 だが、高橋は気づいた。 佐藤が喋っている最中、末席に座っている若手エンジニアの山下が、机の下でスマートフォンを激しく叩いているのを。

 由紀の視力は、高橋のそれよりもずっと良かった。 高橋は秘書のふりをして、山下の手元を盗み見る。 そこには、社内チャットツール『Slack』の画面が開かれていた。

『佐藤さん、また嘘ついてる。UIのせいじゃない、仕様変更を勝手に受けたからなのに』『社長に言っても無駄だよ。あの人は数字しか見てないから、現場の悲鳴なんて聞こえないんだ』

 画面の中で、他のメンバーからの「同意」を意味するスタンプが次々と押されていく。 高橋の心臓が、ドクンと跳ねた。

(……なんだ、これは。私の耳には、こんな話は一度も入ってこなかったぞ)

 会議は進む。社長(由紀)は、高橋の指示通りに「ふむ」「検討が必要だな」と短く返しているが、その横で高橋は、今まで見えていなかった「真実」の濁流に飲み込まれていた。

 佐藤マネージャーの顔色を伺うメンバー。 死んだような目で画面を見つめるデザイナー。 そして、社長である自分に向けられた、透明な壁のような拒絶感。

 会議が休憩に入った時、高橋(中身は由紀)は、山下たち若手が給湯室へ向かうのを見逃さなかった。

「……ちょっと、資料を片付けてきます」

 高橋は偽物の社長に耳打ちすると、トレイを持って彼らの後を追った。

 給湯室からは、低い笑い声と、隠しきれない愚痴が漏れ聞こえていた。

「マジでさ、あの『鉄仮面』の秘書も怖いよな。社長の横でずっと無表情でメモ取っててさ。二人してサイボーグかよ」「木村さんだっけ? あの人も大変だよな、あんなワンマン社長に仕えて。俺なら三日で辞めるわ」

 入り口で足を止めた由紀の姿の高橋は、自分の顔が引きつるのを感じた。 サイボーグ。ワンマン。三日で辞める。  だが、次に聞こえてきた言葉は、さらに高橋を打ちのめした。

「でもさ、社長が昔書いたコード、見たことある? あれは凄かった。あの頃の情熱が今の社長に少しでも残ってれば、俺たちだって……」

 高橋は、持っていたトレイを強く握りしめた。 (……私の情熱は、もう社員には届いていないのか?)

 その時、背後から「木村さん?」と声をかけられた。 振り返ると、そこには怪訝な顔をした佐藤マネージャーが立っていた。

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