5 / 7
5
しおりを挟む
「……そっか、私の勘違いだったかもね。」
博美はそう言って笑った。
柔らかくて、少し寂しそうな笑顔。
その笑顔が、香織の胸に静かに突き刺さった。
香織は――いや、今の「斎藤隆司」は、黙って頷いた。
真実を言えばきっと、彼女は困惑する。
恋人の隆司が、突然“中身だけ”入れ替わったなんて話、誰が信じるだろう。
もしかしたら心配され、病院へ連れて行かれ、まともな目では見られなくなる。
そして何より、博美の心を深く傷つけてしまうかもしれない。
彼女を泣かせたくなかった。
この世界の「斎藤隆司」がどんな人間だったのか、香織にはまだわからない。
けれど、少なくとも博美は、その人を――この身体を――大切に想っていた。
ならば、今ここで自分が崩れてはいけない。
香織は、ベンチに座ったまま小さく深呼吸をした。
男の胸は、こうやって空気を吸うのか、と改めて思う。
肩の動き、喉の感覚、すべてが他人のもののようだ。
「……ごめん、ちょっと最近、考え事が多くて。」
「ううん、いいよ。ちゃんと話してくれて嬉しい。」
博美が微笑んで、隣に座る。
香織の手に、自分の手をそっと重ねてくる。
その手の温もりが、かつての健一とはまったく違っても、なぜか涙が出そうになる。
香織は、唇をかみしめた。
この身体の主であるはずの“斎藤隆司”は、いまどこにいるのだろう。
彼もまた、香織の元いた世界で、見知らぬ身体に戸惑っているのだろうか。
確かめる術もない今、香織にできるのはただ一つ――この世界で、斎藤隆司として生きること。
「……大丈夫だよ。何でもない。心配かけてごめん。」
「ううん。私、隆司のそういうところ、好きだよ。」
その言葉が、胸に残った。
斎藤香織は、静かに目を閉じた。
そして、心の中でそっとつぶやいた。
――私は、斎藤隆司として生きる。あなたのために。
この身体が、誰かにとって大切なものだったのなら――私は、壊したくない。
どんなに自分が壊れても。
彼女の心だけは、守りたかった。
---
博美はそう言って笑った。
柔らかくて、少し寂しそうな笑顔。
その笑顔が、香織の胸に静かに突き刺さった。
香織は――いや、今の「斎藤隆司」は、黙って頷いた。
真実を言えばきっと、彼女は困惑する。
恋人の隆司が、突然“中身だけ”入れ替わったなんて話、誰が信じるだろう。
もしかしたら心配され、病院へ連れて行かれ、まともな目では見られなくなる。
そして何より、博美の心を深く傷つけてしまうかもしれない。
彼女を泣かせたくなかった。
この世界の「斎藤隆司」がどんな人間だったのか、香織にはまだわからない。
けれど、少なくとも博美は、その人を――この身体を――大切に想っていた。
ならば、今ここで自分が崩れてはいけない。
香織は、ベンチに座ったまま小さく深呼吸をした。
男の胸は、こうやって空気を吸うのか、と改めて思う。
肩の動き、喉の感覚、すべてが他人のもののようだ。
「……ごめん、ちょっと最近、考え事が多くて。」
「ううん、いいよ。ちゃんと話してくれて嬉しい。」
博美が微笑んで、隣に座る。
香織の手に、自分の手をそっと重ねてくる。
その手の温もりが、かつての健一とはまったく違っても、なぜか涙が出そうになる。
香織は、唇をかみしめた。
この身体の主であるはずの“斎藤隆司”は、いまどこにいるのだろう。
彼もまた、香織の元いた世界で、見知らぬ身体に戸惑っているのだろうか。
確かめる術もない今、香織にできるのはただ一つ――この世界で、斎藤隆司として生きること。
「……大丈夫だよ。何でもない。心配かけてごめん。」
「ううん。私、隆司のそういうところ、好きだよ。」
その言葉が、胸に残った。
斎藤香織は、静かに目を閉じた。
そして、心の中でそっとつぶやいた。
――私は、斎藤隆司として生きる。あなたのために。
この身体が、誰かにとって大切なものだったのなら――私は、壊したくない。
どんなに自分が壊れても。
彼女の心だけは、守りたかった。
---
0
あなたにおすすめの小説
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる