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突然の訪問者
しおりを挟む日曜の午後、和也の部屋のインターホンが鳴ったのは、14時を過ぎた頃だった。
彼は、プリント資料の束を膝に置いたまま、しばらく動けなかった。日曜といえば、今では“かずは”としての家庭教師の稼ぎどきで、15時からまた一件入っている。なのに、突然の訪問者。誰だと思って覗いたドアスコープの先にいたのは——斎藤結衣だった。
(……やばい)
心臓が跳ね上がる。スマホには、さっき既読もつけていなかったLINEのメッセージ。目を逸らしていた彼女が、とうとう“現実”として目の前に来てしまった。
和也は仕方なく扉を開けた。
「……結衣」
「やっと、出た」
彼女の声は、冷たさと不安の入り混じった独特なトーンだった。髪はハーフアップにまとめられ、黒のシャツワンピースにスニーカーという、どこか気合いの入った格好。彼女は小さく笑って言った。
「久しぶり。……って言っても、二週間ぶり、かな。LINEも全然返ってこないし、電話も出ないし……だから、来た」
和也は視線を逸らしながら、ドアの脇を開けた。
「……中、入る?」
「うん」
部屋に入った結衣は、彼の机の上に積まれた資料を見て眉をひそめた。単語カード、参考書、手書きのプリントの束。白地のルーズリーフに、丸い文字で“教えるポイント”がいくつも書かれていた。
「佐々木陸くん(中2)→ 不定詞の使い方が曖昧」「話す前に目線を合わせて安心させる」
そんなメモに、結衣は思わず声を上げる。
「……これ、家庭教師の準備? こんなに丁寧にやってたんだ」
「……ああ。最近、新しい生徒が増えてさ。日曜も毎週入ってて、時間全然なくて」
和也はそれだけ言うと、ソファの端に腰を下ろした。結衣は正面に立ったまま、じっと彼を見下ろすようにして言った。
「じゃあ、私に連絡くれなかったのも……それが理由?」
「……そうだよ。スマン、ほんと。忙しくて、余裕がなかった」
「でも、たった一言返す時間もなかった? “今日は無理、ごめん”って、それだけでも」
その声に、責めるような響きはなかった。ただ、寂しさと心配が滲んでいた。和也はそれに、まともに目を合わせられなかった。
「俺、今ちょっと……複雑なんだ。家庭教師の仕事、自分でも驚くくらい向いてて……そっちに気持ちが入りすぎてるのかもしれない」
「気持ちが……?」
結衣は眉を寄せた。和也は言葉を選びながら、なんとか形だけの説明を試みた。
「自分じゃないみたいな感覚があってさ。別の役になって人と接してるような……うまく言えないけど、仕事してるときの自分が、本当の自分じゃないみたいな。でも、その“仮の自分”の方が、うまくいってる」
言いながら、自分でも何を言ってるのか分からなくなる。結衣も困惑した顔をしていた。
「……ねえ、それって本当に“仕事”だけの話? 他に……誰かいるの?」
「違う、そういうのじゃない」
即答したけれど、自分の口から出たその言葉に、和也の心はわずかに揺れた。
(“かずは”として過ごす時間が、いつの間にか、俺の中心になってきてる)
結衣は一瞬視線を伏せたが、静かに言った。
「……私ね、あんたがそうやって人を放っておくタイプじゃないって知ってる。だから今、すごく不安。何があっても、話してくれる人だって思ってたのに」
「……ごめん」
その言葉しか出てこなかった。本当は、もっと何か言わなければならない。でも、“かずは”として生きている時間の中に、彼女がいないことを認めるのが怖かった。
結衣はそれ以上何も言わず、荷物も持たず、ただ玄関の方へ向かって歩き始めた。
「今日はもう帰る。また……ちゃんと話してくれる日が来るって、信じてるから」
その背中に、何も言えないまま、和也は立ち尽くしていた。
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