7 / 15
深まる関係
しおりを挟むその日の夕方、和也は再び“かずは”に変身して、佐々木陸の家を訪れていた。家の玄関先に立つたび、結衣との会話が胸を締めつけるように思い出される。
(……あれは偶然だ、って嘘ついた俺が、今こうして来てるの、最悪だよな)
けれど、扉を開けた陸の笑顔を見た瞬間、その罪悪感は一瞬だけ遠のいていった。
「こんにちは、かずは先生!」
「こんにちは、陸くん。今日も頑張ろうね」
笑顔を作って返す自分が、演技なのか本心なのか、もう分からなくなってきている。
リビングのテーブルには、いつものようにノートと参考書が並べられ、陸は席につくとすぐに言った。
「この前やった英語のテスト、20点も上がったんだ!」
「本当? やったじゃない。努力がちゃんと実ってるね」
和也は自然に声を弾ませながらも、心のどこかで警鐘が鳴るのを感じていた。これは、“教える側”としての喜びじゃない。ただ、“かずは”として、陸の笑顔を誰よりも近くで見られることへの満足感。
それが、自分にとってどんどん心地よくなってきているのが怖かった。
「先生ってさ、なんでそんなに丁寧に教えてくれるの?」
「ん? それは……陸くんがちゃんと話を聞いてくれるし、頑張ってるからだよ」
和也は笑って答えたが、陸はまっすぐな目で彼女——いや、彼を見つめてきた。
「俺ね、先生に会うの、毎週すごく楽しみなんだ。学校の友達とかよりも、先生といると落ち着くっていうか、ちゃんと見てくれてる気がして」
——やめろ、それ以上は。
胸の奥に、鋭い棘が刺さる。和也は笑顔を崩さず、ペン先をノートに向けた。
「……ありがとう。でも、あくまで私は家庭教師だからね。陸くんが一人でやっていけるように、サポートするのが役目」
「わかってるけど……俺、もっと先生と話したいなって思っちゃうんだよね」
陸は言葉を濁すことなく、素直に好意をぶつけてくる。それが子供特有の純粋さゆえだとわかっていても、和也の心はざわついた。
(俺は……何をしてる?)
陸にとっては、今目の前にいる“かずは”が本物だ。年上の優しい女性で、少し頼りがいがあって、話をきちんと聞いてくれる存在。
でも、その中身は——男であり、陸の従姉の彼氏で、そして彼に嘘をつき続けている裏切り者だ。
「……あのさ、陸くん」
「ん?」
和也は言いかけて、言葉を飲み込んだ。
(今ここで本当のことを言ったら、陸の中の信頼は全部壊れる。結衣との関係も終わる。それだけじゃない、俺自身が、自分を完全に嫌いになってしまう)
ノートを開き、何事もなかったように声をかけた。
「今日は、間接疑問文を復習しようか。“I don’t know what she wants.”っていう例文、覚えてる?」
「うん、覚えてるよ!」
明るく返す陸の声が、和也には遠く聞こえた。
罪悪感はある。後ろめたさもある。けれど、それでも「かずは」として過ごす時間が、自分にとって何よりも“居心地がいい”ことを、否定できなくなっていた。
どこかで終わらせなければいけない。
けれど、今はまだその終わらせ方も、終わらせる勇気も見えなかった。
---
0
あなたにおすすめの小説
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる