セックスチェンジアプリ2

廣瀬純七

文字の大きさ
9 / 15

安堵する和也

しおりを挟む

 部屋の鍵を回して、ドアを閉めた瞬間、和也はぐったりと壁にもたれかかった。リビングには誰もおらず、カーテンの隙間から差し込むオレンジ色の街灯が、静かに床を照らしていた。

 手の中のスマホには、まだあのアプリ《Re\:Form》の通知が残っている。

> 【変身可能時間:残り 1時間43分】
> 次の変身までに、48時間の休止を推奨します。

 和也は無言で画面を閉じ、スマホを机の上に投げ出した。

 ソファに倒れこむように座り込み、しばらく天井を見つめたまま、深く息を吐いた。

 足元の身体にじわりと重さが戻ってくる感覚。“かずは”だったときの軽やかさ、繊細な皮膚感覚が徐々に引いていく。やがて、和也はゆっくりと立ち上がり、鏡の前に立つ。

 そこには、見慣れた男の自分がいた。

 短めの黒髪、少し寝癖が残ったままの前髪、薄い口元。どこにでもいる大学生の顔。

 けれど、どこか安心した気持ちもあった。久しぶりに「帰ってきた」と感じる自分の身体——それが、まだここにあることに。

「……やっぱ、これが俺なんだよな」

 小さくつぶやいた声は、かずはのそれではなく、自分自身の声だった。低く、少しだるげで、でも正直な響きを持っていた。

 和也は冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注いで一口飲む。味気ない、ただの水分。けれど今は、その無味が心地よかった。

 “かずは”として過ごした時間は、確かに輝いていた。誰かに必要とされる実感。誰かに褒められ、期待され、慕われるという感覚。それが嘘であっても、自分の中では確かに生きていた。

 でも、その代償は小さくなかった。

 結衣に嘘をついた。
 陸に偽りの顔で好意を向けさせてしまった。
 そして、自分自身の身体が、限界を訴えている。

 「もう、戻れないかも」——その恐怖が、現実味を帯びていた。

 ソファに再び腰を落とし、スマホを手に取り、何気なく《Re\:Form》の利用履歴を眺める。

 そこには、変身した日付と時間、累積使用時間が正確に記録されていた。

(使いすぎてた……自分でも気づかないうちに)

 和也は深く、長い呼吸をした。

「……どうすればいいんだろうな」

 このまま“かずは”として生き続ければ、きっといつか戻れなくなる。
 でも、すっぱりやめたとしても、陸に対して何の説明もできないまま、突然消えることになる。

 結衣にも、ちゃんと向き合わなければならない。もう隠せる段階ではないと、和也自身が一番分かっていた。

 彼はスマホのホーム画面をじっと見つめた。《Re\:Form》のアイコンが、どこか不気味な輝きを放っているように見えた。

 ——本当にこのアプリは、ただの“遊び”だったのか?

(もしかして……誰かを試すための道具なのかもしれない)

 誰かを救うため?
 それとも、誰かを破滅させるため?

 いや、考えても仕方ない。問題は“今の自分”だ。

 和也はスマホの電源を切り、充電コードから外して、引き出しの奥に静かにしまった。

 今は、変身する必要なんてない。

 それよりも、まず——

「……ちゃんと、自分の人生を生きる時間を、取り戻さないと」

 その夜、和也は久しぶりに、夢を見なかった。

---
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

航空自衛隊奮闘記

北条戦壱
SF
百年後の世界でロシアや中国が自衛隊に対して戦争を挑み,,, 第三次世界大戦勃発100年後の世界はどうなっているのだろうか ※本小説は仮想の話となっています

ナースコール

wawabubu
大衆娯楽
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

処理中です...